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第3話

   3 「はあ……つい、た……」  一時間半近くかかって、ようやく空いているホテルを見つけた。部屋に入ってカヲルをベッドに寝かせ、俺はソファに浅く座る。 「週末の観光地だし、電車は人身事故で止まるし、……タクシーつかまらないし、ホテルも全滅かと思ったけど、よかった。ありがとう……圭悟くん」  はあ、はあと肩で荒く呼吸をしながらカヲルが喘ぐように言うのを聞いて、俺は生まれて初めて、抗えそうにないほどの熱を感じた。カヲルが呼吸をするたびに、腹の奥が疼いてくる。 (まずい……薬の効果もそろそろ切れる)  カヲルがベータだから、明日、俺のかわりに薬局に行ってもらえばいいと思っていた──だが、カヲルはベータではなくてオメガで……ああ、頭が回らない。困ったな、こんなことなら、さっき、抑制剤をすべて渡さずに、残しておくべきだった── 「ふう……」 暑いのか、カヲルがシャツのボタンを一つ、二つと外して、前をはだけて手でぱたぱたとあおぐ──一瞬、釘づけになってしまった俺は急いで目を逸らした。 「はは……ヒートって、こんなにキツくなるんだ。飲み忘れたことないから、知らなかったよ……ごめん。圭悟くん……嘘ついてて」 黙ったままの俺が怒っているとでも思ったのか、カヲルが不安そうにもう一度謝る。 いつもクールで、飄々(ひょうひょう)とした態度の彼が、よわよわしく視線を伏せる(さま)に、俺は飛びかかりそうになるのを必死におさえる。 「──カヲル、俺は出かける」 立ち上がって、背中を向けると、カヲルが困惑する。 「え、嘘でしょ。そんなに嘘ついてたのが嫌だった? すごく不安なんだ……朝まで、一緒にいてほしい──興奮して、どうなるか分からないし……怖い」  目の(はし)に、両腕で自分を抱きしめるカヲルが映る……発情期のフェロモン特有の、むせ返るように甘くて香ばしい匂いが、部屋中に漂ってきて頭がぐらぐらする──俺がほんとにベータならば、こんなにオメガのフェロモンに反応しない。朝まで、何事もなくそばにいてやれる。  でも俺はアルファだっ──! 思わずドンっと壁を殴ってしまう俺に、カヲルが驚く。 「圭悟くん? どうしたの?」 「すまないっ。カヲル……俺も嘘なんだ」 「え……?」 「アルファ──俺はアルファなんだ……っ」 「……うそ、でしょ」  カヲルの一瞬(おび)えた表情が、俺の中の(けもの)を呼び覚ましてしまう。俺は気づいたらカヲルを押し倒してしまっていた。 「んっ、ちょ……ッツ」 荒い呼吸をする唇を塞いで、何度も角度をかえて舌を絡ませ、噛み付くように口づける。 「は、ぁっ! や、めてっ 圭悟く──」  ヒートのせいか、どこもかしこも敏感なカヲルがいやらしくて、たまらない。乱暴にシャツの中に手を入れて、彼の湿った身体を存分に撫でまわす。 「ああっ、やめて……けいごくっ……こわいっ──ボク、まだっしたことな──んんっ」 「な……お前っ、ヴァージンってことか」 思わず動きを止めた俺を、カヲルが睨む。 「……偏見だよ、圭悟くん。オメガが全員やられてたり、淫乱だったりするわけじゃない──」  憎しみすらこもった目で、カヲルが吐き捨てる。だが俺はもう、その告白に逆に興奮してしまっていた。誰もまだ触れていない彼の中に入りたくて仕方ない──だが、傷つけたいわけじゃない俺は、必死に理性を保つ。 「……そうだな……っ、安心しろ。入れない……抜くだけだ」  そう言うとカヲルがほっとしたのか、ほんの少し力をゆるめた。だが、その隙に俺がズボンの中に手を突っ込んで、後ろに指を入れると、裏切られたとばかりに暴れる。 「え!? あっ! やあっ……あっ、けい、ごく……入れないって言っ──はあぁんっ!」  男性オメガの子宮は直腸の奥にある。指で押し拡げると、カヲルのそこはもうとろとろに(とろ)けてしまっていた。 「ぁ……っ、やだっ……け、ごくっ」  聞いたこともない、彼の快感で高く濡れた声が耳元で(つむ)がれると、鼓膜に直接響いて、理性が無くなりそうになる。力なく暴れるカヲルを押さえながら、出来るだけやさしく答える。 「入れない──でも触りたいし、指で塞いでいないと、ほんとに犯してしまいそうなんだっ!」 「っつ──……!」 「イッたら……おさまるだろ、お互い……」 「あっ!──」  お互いに前を合わせてこすりながら、俺は後ろの指を二本、三本と増やし、根元まで押し込んで刺激する。例えようのない柔らかさと熱さと弾力。入れたらどんなに気持ちいいかという欲望が頭を支配しそうになる。それを振り払うように、俺は何度も激しくキスを繰り返す。カヲルの息が、さらに上がる。 「はあ、はあっ……んんっ、あ、あ、あ」  後ろの指の動きに合わせて声が漏れ、その刺激だけで、腰がぴくぴくと小さく跳ねる。本当に、早くイカないと、理性がもたない。普段、いつだって冷静で、完璧な彼の、あられもない声が、姿が、俺の情欲をますます掻き立てる。 「カヲル……前、もっと強く握って扱いて」  快感で頭がまわらないのか、カヲルが、俺の言われるがままにする。濡れて硬くなったそれを二本握りこみ、ちゅくちゅくと音をたてて扱いていく。 「っ──そう、カヲル、もっと……」 「あ、ぁっ、圭悟く──けい──ああっ!」 「ッツ──」 「ハァッ、はっ……ッツ」  射精したばかりで火照った身体──乱れたシャツの隙間から見えるピンクに染まった硬く張り詰めた乳首──潤んだ目元も、唾液で光る半開きの唇も、そこから漏れ聞こえる荒い吐息も──いつも笑顔で一線引いている感じからは、想像もできないギャップに、襲わずにいるのがやっとだ。 「……おさまらないね……」 「……ならお互い、おさまるまで抜くまでだ」 「え、けい、ごく……んんっ──!」  五回か六回か、いやそれ以上かもしれないほど精を放って、ようやく俺たちは落ち着いた。    ***  世界がひっくり返ったような気分だ──  結局、あのあと俺たちはすぐに福岡に戻ってきた。彼がなぜ、俺にすらオメガだということを黙っていたのか、帰りの電車でも教えてはくれなかった。おそらく、かなりの理由があるのだろう──  いつもの公園のベンチで俺はぼんやりと考える。 「なにもかも、逆なら良かったのか──」  あいつとするのは気持ちが良くて好きだった。子どもだって仕事だって、俺がオメガなら全部問題なく解決していたと思う。だが、俺はアルファで、カヲルはオメガだった。まだ誰にも体を許したことがないと言っていた。付き合っている俺ですら、拒まれてしまった──。 「……連絡は、ないか……」  あれから二週間。もう何度、携帯電話の履歴を確認しただろうか──話がしたいとLINEを送っても、何度電話をかけても、カヲルから連絡はない。診察中にかかってくる薬局からの問い合わせも、カヲルじゃない。もともと接点がなかったのだから、このままいけば、おそらくフェードアウトしていくだろう── 「…………」  だが、いつもあたたかい笑顔で俺を癒してくれて、人のために自分の薬を差し出すカヲルが好きだ。澄ましたところも、皮肉っぽいところも、あの日、快感に乱れるカヲルも──  俺は意を決して、彼の自宅へ直接向かった。    *** 「圭吾くん……」 「突然すまない。どうしても、話がしたくて」  少し驚いた様子だったが、俺が来ることは想定内だったのか、すんなり玄関の扉をあけてくれた。ラフなVネックのトレーナーに、細めのジーンズがよく似合っている。 「いいよ。上がって」 「ありがとう」    ***  青、白、黒で統一された、スッキリした部屋だ。ストライプ柄の大きめのソファにカヲルが腰掛け、俺はローテーブルを挟んで向かいの青いビーズクッションのそばに座った。(もた)れてリラックスするような雰囲気ではなく、俺は背筋を伸ばして正座した。それを確認して、先にカヲルが口をひらく。 「……アルファだって黙ってたの、泌尿器科に来る患者のため?」  俺は静かに頷いた。 「……キミらしいね。子どもが欲しいのに、患者のために強い抑制剤を飲んでるなんて」 「…………」  俺が無言で肯定すると、カヲルはあきれたようにソファにもたれ、ため息をつく。 「……オメガだってこと、どうして秘密にしてたんだ?」  今度は俺が質問した。できるだけやさしく聞いたつもりだったが、カヲルは眉間にしわを寄せ、吐き捨てるように言った。 「子ども、産みたくないから」 「ッツ──」 「ははっ、分かりやす。そりゃショックだよね。キミは子どもが欲しいんだから」  人を喰ったような顔で言うカヲルを、俺は信じられない気持ちで見つめてしまう。子どもが苦手だとは言っていたが、どうして、そこまで──。 「な、んで……」  カヲルは一呼吸おき、それから、まるでつまらない話をするように話し始める。 「〝オメガ救済制度〟を知ってるよね?」 「あ、ああ」 オメガ救済制度は、少子化に歯止めをかけるため、政府が出した政策の一つだ。子ども一人産むごとに五十万円もの祝い金が出る。俺が頷くと、カヲルが淡々と続ける。 「……ボクの母親は外国人で、この金目当てに何人も産んで捨てた。兄弟の顔も人数も分からない。覚えているのは、(つがい)にならないよう首輪をして、男と女のアルファに笑いながら抱かれている女の顔だよ」 そこまで一息にしゃべって、苦々しい顔つきになる。 「ッツ、〝これでまたお金になる〟そう喘いでイクんだ──思い出したくもないっ!」 「カヲルッ」  拳を握りしめ、ソファの上で小さくなり、全身を震わせている彼を、俺はたまらず抱きしめる。 「ッツ、ぅ……あの女と同じオメガなんて、あんな醜いっ……耐えられない──っ」 「カヲル……」  彼から溢れる涙を、親指で拭いながら、俺は言葉をかける。 「子どもなんていらない。ベッドの中だって、今まで通りでかまわない。だから、一緒にいてくれないか? 俺にはお前が必要なんだ」 「……本当に?」  涙で目を潤ませたまま、カヲルが真っすぐにこちらを見つめてくる。 「ああ……どうせもう、間に合わないんだ。俺の精子はもう──」  嘘だ。まだ間に合う。だけど、俺はカヲルを安心させたかった。 「──キミは噓つきだね。圭吾くん」  だがカヲルはふっと悲しそうに微笑んで、目を伏せてしまう。 「少し……考えさせて」 「え……ッ?」  何を、考える必要があるのだろうか。俺はカヲルのその言葉に、どうしようもない不安を感じてしまった。 「カヲル、俺はお前さえいればそれで──」 「とにかく、今日は帰ってよ!!」 「──ッ」  そのまま背中を向ける彼を、俺は振り向かせることができなかった。

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