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第5話

5  カヲルはよほど疲れていたのか、次の日の夕方まで起きることはなかった。俺は一睡もすることができず、ただそばに寄り添っていた。 「ん……」 「カヲル……起きたか」  丸一日寝ていたせいか、まだ頭がぼんやりとしているようだ。だが、顔色は良くなっているのを見て、俺はひとまず安心する。 「圭吾くん……? ボク……ッツ……」  思い出したのだろう。その瞬間、ベッドの中に潜り込んでしまった。 「カヲル……その、すまないっ、本当に──!」  俺は思い切り頭を下げる。だが、カヲルからの反応はない。恐る恐る顔を上げると、何かに耐えるように、カヲルがベッドの中で震えているのがわかる。抱きしめてあげたいのに、彼を傷つけてしまった俺に、そんな権利があるはずもない。 「……カヲル。よく聞いてくれ。このままだと、俺はまた、お前を傷つける。だから──」  俺は拳を握りこみ、大きく息を吐く。苦しい、動悸が止まらない。本当は一緒にいたくてたまらないのに、真逆の言葉を言うのがこんなにも辛いのかと思い知らされる。 「もう、会わないっ……いままで、ありがとぅ……ッ……」 「圭吾く──ッ」  だが、そこに俺の姿はなかった──。    ***  カヲルと別れてから一か月──。休日をどう過ごしていいのかわからない。俺はのろのろと起き上がり、冷蔵庫をあける。 「バナナと、きのこって……ふっ」  カヲルがいれば、下品な料理でも作っていたところだが、もういない。 (俺が、手放したんじゃないか──)  なにもない手のひらを見つめていると、ふいにせわしなくチャイムが鳴る。宅配はなかったはずだが。 「カヲル!?」  モニターに映っているのは、ひどく具合の悪そうなカヲルだった。熱でもあるのか、顔が赤い。俺は急いで玄関ドアをあける。 「カヲル? どうしたんだ? 熱?」  早く中へと促す俺に、カヲルはぶんぶんと首を横にふり、その場から動こうとしない。 「なんでもいいから、圭吾くんのもの、ちょうだい。そしたら、すぐ帰るから」 「何でもいいって……様子が──」  途端にむせかえるほど甘い香りが鼻をつく。俺は反射的にカヲルを部屋に引っ張り込んだ。 「ッツ!」  カヲルが廊下に尻もちをついてしまうが、俺も余裕がない。できるだけ距離をとろうと玄関に張りつくが、気を抜けば、また襲ってしまいそうだ。だが、このまま帰すわけにもいかない。 「……抑制剤、飲んでないのか?」 「……飲んでるよ。通常の五倍」 「ご──」  薬剤師の彼が言うのだから、間違いないのだろう。だがそれでこれなのか? まったく効いていないじゃないか──。 「──キミに抱かれてから、調子が悪いんだ……」  まるで責めるように言われて、胸が苦しくなる。 「ッツ、だから、もう迷惑かけないように別れて──」 「分かってる。分かってるから、ボクも必死なんじゃないかっ……!」  そう言いながら、俺が脱ぎ散らかしたままの服を乱暴にひっつかみ、そのまま出て行こうとするのを、肩をつかんで止める。 「俺が出て行くから、落ち着くまで休んでろっ」  まずい。頭がぼーっとしてきた。目の前のうなじが、ひどく美味しそうにみえる 「──圭吾くんは、ボクと向き合うよりも、傷つけない方を選ぶんだね」  こちらを振り向きもせずに、カヲルが俺にそう告げる。 「え?」  むせかえるような甘い匂いに、思考がまとまらない。どういう意味だろうか──。 「ううん。そんなキミを好きになったのは、ボクだから──」  そう哀しくほほ笑んで、俺の腕を振りほどき、カヲルはいってしまった。    *** 「ハアッ、ハアッ……」  俺はやっとのことで換気をして、空気を入れ替える。 〝圭吾くんは、ボクと向き合うよりも、傷つけない方を選ぶんだね〟 「当たり前だろ……傷つけたくないに決まってるっ……ってッぅわっ!?」  足の裏で何かを踏んだと思ったら、テレビ画面がパッと光り、地上波が流れ出す。 『──ですので、オメガとアルファの相性がいいほど、一緒にいれば、他のカップルよりも幸せを感じることができるんですね。しかし、親の都合かなんかで引き離されてしまうと、オメガ側の体調が悪くなってしまう。ここが問題なんです。これを解消するには──』 「……オメガ側の体調が、悪くなる?」 〝キミに抱かれてから、調子が悪いんだ〟 「あれは、俺を責めたんじゃなくて──?」  考えてみれば、俺はオメガやアルファの『性の構造』には詳しいが、どう影響し合うのかとか、精神的な部分はまるでわかっていないことに気づく。 「確か、バース外来があったはずっ」  俺は急いで携帯で調べ、予約を入れる。同じ院内で助かった。これなら、昼休みに行ける。    *** 「俺の服を、無造作につかんで持って帰ってしまったんです」  俺の話を、うんうんと頷きながら聞いた後、医者は簡潔に答える。 「気持ちが不安定になると、アルファの匂いのついたものを欲しがるんですよ」  そうだったのか──。 「あの……俺たちは事情があって、お互いにベータだと嘘をついていたんです。その時は、うまくいっていました。でも、彼がオメガだとわかって、俺は、自分の中のアルファを抑えられなくなってしまって──」  下を向き、勇気を振り絞って告白する俺に、医者はこともなげに告げる。 「いいんじゃないですか? それは、彼も同じでしょうから」 「──え?」 「バース性には逆らえませんから。いずれ受け入れるしかないですよ」 「──……」 「どっちみち、あなたの服を欲しがるくらいですから、相当相性はいいと思います。おそらく〝運命の番〟ってやつです」 「運命?……都市伝説じゃないんですか」 「ありますよ。ただ、〝運命〟でも努力をしなければ、結ばれません」 「努力……」 「その彼はまだオメガの性に慣れていないようですので、しっかりそばについていてあげてください」  そう言って、にこりと微笑んだ。    ***  何てことだ。彼のためを思って別れたのに、それが、逆効果かもしれないなんて── (今までとは関係が逆になるけれど、子どもを望まなければ、うまくいく、のか──?) 俺がアルファの自分に抗えない様に、彼もオメガの自分に抗えなくて苦しんでいるのかもしれない。 「っつ……はぁー……」 「珍しいですね。舩津先生がため息なんて」  診療室の裏で、同僚の女医が話しかけてくれた。だが、彼女のお腹が丸くなっていることに気づいて、俺は驚く。 「おめでた、ですか?」  思わず声に出てしまっていた。なぜなら、彼女は仕事を優先したいから、子どもは絶対に作らないと豪語していたからだ。 「そう! そうなんですよ! 私は産む気なかったんですけど、旦那が絶対俺も面倒見るからって張り切っちゃって。子育ての本とか読み始めたの見たら、気持ちが変わったんです」 「気持ちが、変わった……?」 「ええ」  そうほほ笑む彼女はとても幸せそうだ。 「あ、あの、もし旦那さんが、そう言わなかったら?」  俺の疑問に、彼女はほんの少しだけ考えて、ハッキリと答える。 「言わなかったら? 産まなかったと思いますよ。私に遠慮してあきらめられる程度の欲しいじゃ、どうせうまくいかないだろうし」 「ッツ──」 「舩津先生? どうかしましたか?」 「いえ、おめでとうございます」 「? はい、ありがとうございます」  午後の診察が始まる。俺は集中して業務をこなした後、急いで帰り支度を始めていると、事務スタッフに声をかけられる。 「あ、舩津先生、院長先生に届いたお歳暮がまだ余ってて。良かったら持って帰りません? 缶コーヒーの微糖とブラック。ブラックが人気で、あと一本です」 「じゃあブラック」  そう言って迷わず受け取り、お礼を言って足早に薬局に向かう。  俺は、自分のことを後回しにして、相手に譲っていれば何もかもうまくいくと思っていた。でも、それが間違いだったのかもしれない。 〝圭吾くんは、ボクと向き合うよりも、傷つけない方を選ぶんだね〟  その通りだ。俺はまだ何一つ、自分の気持ちを伝えていない──!

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