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第21話

王女メリアは、チルの言葉を聞き、言い返すことができずにいた。けれど、その胸の内では、沸々と怒りが煮えたぎっていく。 次の瞬間、感情が爆発した。 「この庶民風情がっ!黙って聞いていれば!」 王女は顔を真っ赤に染め、叫び声を上げた。 突然の剣幕に、チルは肩を震わせ、足元に力が入らなくなる。反射的に後ずさろうとしたそのとき、 王女が、手を振り上げ、チルに向かって一歩踏み出した。 「こんの……っ!いい気になって!」 チルは恐怖に顔をこわばらせ、思わずぎゅっと目を閉じた。 だが、次の瞬間。すっと、誰かの影がチルの前に立ちはだかる。 「……王女殿下。お控えください」 凛と澄んだ声が空気を震わせる。恐る恐る目を開けたチルの視界に映ったのは、マイロの背中だった。 「無礼だとおわかりですか?ましてや他国の国民に手を上げようとするなど、王族の品位に著しく欠ける行為です」 王女と貴族たちは一瞬言葉を失ったが、すぐに怒りを取り戻し、叫んだ。 「何よ、あなたは!何の権利があってそこに立つの!」 「そうだ!お前は、便利屋だろ!庶民の下の下じゃないか、無礼者!」 周囲の貴族たちも声を荒げ、王女を煽る。 だが、マイロはまったく動じなかった。静かに一歩進み出ると、まるで雰囲気が変わる。先ほどまでの軽やかな笑顔は消え、鋭く、整った動きと気配をまとっていた。 そして、落ち着き払った声で名乗りを上げた。 「リミト王国直属警護隊、マイロ・グランヴィル。国王陛下の命により、チル様の護衛を一任されています」 図書室に、静寂が落ちる。 「よって__これ以上の無礼は、国家間の問題とみなします。容赦はいたしません」 マイロの声は澄んでいて、けれど冷たく、王女の怒声をすっと切り裂く。 「私は便利屋ではありません。これは任務です。陛下が直々に私をここへ送り込んだ意味を……あなた方が軽んじていいものではない」 マイロの周囲の空気が、きりりと引き締まる。 「チル様は、陛下より『絶対に傷ひとつつけるな』と命じられております。たとえ、それが王族であろうと、例外はありません」 その口調に、軽さは一切なかった。背筋を伸ばし、チルを一歩も引かせずに守る姿に、図書室の空気が張り詰めていく。 「……どうかお引き取りを。これは警告です。次は『対応』となります」 王女と貴族たちは、息を呑んだまま声を失った。マイロの声には、揺るぎない強さが宿っていた。 チルは、マイロの背中越しに、その言葉のすべてを聞きながら、胸の奥で小さく、何かが弾けるのを感じていた。 そして、マイロのその背に守られているという事実に、ほんの少し、安心を覚えていた。 王女と貴族たちは、マイロの名乗りに一瞬ひるんだが、次の瞬間、王女はヒステリックに叫んだ。 「そんなもの、偽物に決まってるわ!こいつを捕まえて!!」 怒号が飛ぶと同時に、周囲の貴族たちがマイロに一斉に押し寄せた。 マイロは一人、冷静に応戦していたが、数の多さに動きを封じられていく。肩を押さえつけられ、膝をつきながらも、必死にチルのほうを振り向いた。 「チル、聞け!逃げろ、今すぐ! ここは俺がなんとかする!」 「マイロっ……!」 チルは必死に叫んだ。 「やめてください!離してください!」 必死で止めようとするチルの腕まで、貴族たちが乱暴に掴んだ。 「お前もだ。無礼者はここから引きずり出す!」 強引に腕を引かれ、チルはよろける。マイロも押さえつけられ、引きずられようとしていた。 「やめて…っ!こんなやり方、間違ってます!」 声は震え、息も上がる。それでも、チルは懸命に言葉を紡いだ。 「これは……ただの暴力です!」 どうしようもない。 助けを呼ぶ声も、誰にも届かない。 __ジーク様… 図書室の緊迫する空気の中で、チルの心は絶望でいっぱいになりかけた。張り詰めた空気、押し寄せる罵声、視線、嘲笑。身体の奥に、冷たいものがじわりと広がっていく。 「自分を王と並ぶ存在とでも思っているの?……身の程を知らない滑稽な人ね」 王女メリアの声が、冷たく響いた。嘲るような笑みとともに、王女はゆっくりとチルに歩み寄る。 「あなたのような存在が、王と同じ未来を語るなんて……この王宮にふさわしくないのよ」 その言葉に、胸の奥がひやりと凍る。 もう、何も言葉が出なかった。身体を押さえつけられ、手は震える。ぎゅっと強く振り払おうとするも、力が入らない。 __その時だった。 静まり返った廊下に、鋭く規則的な靴音が響いた。 高く、硬く、迷いのない足取り。その音は、まるで冷えた空気を一刀両断にするように、重く、はっきりとこちらへ向かってきていた。 何人かが慌てて駆け寄る足音が混ざり、扉の向こうでざわめきが起きた。あっと思う間もなく、図書室の扉が勢いよく開かれ、冷たい風が吹き込む。 その風の先頭に立っていたのは、深い藍の旅装を翻した人__ジークだった。 「__何をしている」 鋭く、怒りを押し殺した声が、図書室に響く。 「この場所を、誰の許しで踏みにじっている…そして……誰の前で、何を口にした?」 険しい目元に、強い光を宿している。その金の瞳が、まっすぐに王女メリアを射抜く。 しばらく見なかったはずのその姿が、あまりにも突然で、あまりにも堂々としていて、チルは息を呑んだ。 まるで、空気そのものが変わるようだった。 ___王が、帰ってきたのだ。

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