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第22話
ジークは、深く険しい表情のまま、鋭い視線を王女たちに向ける。
「誰の許しで、この部屋に足を踏み入れた」
その声は低く抑えられ、しかし威圧感に満ちていた。静寂に包まれた室内で、王女メリアは小さく肩を震わせた。
「わ、私は……!陛下との婚姻の準備を」
しどろもどろになりながら、王女が答える。だが、ジークの顔は一切緩まない。
「……婚姻準備?」
ジークが一歩、また一歩と近づく。
その足音に、誰もが息を呑んだ。
「私はスターク王国との間に、新たな条約を結び直した。時代錯誤の婚姻条項は、正式に撤回されている」
図書室全体に、はっきりと告げられた。
「よって、メリア王女。あなたと私の間に婚姻の義務も、縁も、何も存在しない」
王女の顔から血の気が引く。後ろに控えていた貴族たちも、ざわっと動揺した。
その隙を逃さず、ジークはさらに言葉を重ねた。
「正規の使者でもなく、許可も得ず、王宮に立ち入った。しかも、王宮の財産に手をかけ、破壊しようとした。重い罪だ」
「そ、そんな……私はただ……!」
王女が必死に言い訳をしようとするが、その声はか細く震えている。
「この場を荒らした責任は、必ず問う。覚悟しておけ」
ジークの低い声が、王女を追い詰める。王女メリアは、かすかに震えながらも、なお諦めきれずに叫んだ。
「ま、待ってください!私は正しいのです!古書に、ちゃんと書かれているのです!」
震える手で、彼女は一冊の古びた書物を取り出す。それは、かつてチルの前でも見せた、あの伝承が記された本だった。
「色を失った王は、真なる伴侶を得た時、新たな富と繁栄をもたらす。そう記されています!私は陛下の伴侶になるためにここへ来たのです!あなたが色を取り戻すのは、私なのです!」
声を張り上げる王女の目は、必死だった。
誇りも、立場も、何もかもを賭けて叫んでいた。
だがジークは、その場に微動だにせず立っていた。冷ややかな金の瞳で、静かに王女を見据える。そして、たった一言いった。
「それは、あなたではない」
図書室に、しんと重たい沈黙が落ちた。
王女が凍りついたように立ち尽くす。
ジークは、さらにゆっくりと続けた。
「もし、色を取り戻せる……それができるというならば、チルだ」
まるで疑う余地などないというように、ジークははっきりと告げた。その声には、一片の迷いもなかった。
王女の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。取り巻きの貴族たちも、言葉を失って硬直していた。
チルは、思わず息を飲んだ。自分の胸の内側で、何かが強く打ち鳴らされる音がする。
ジークは視線を外さず、最後にこう言い切った。
「色を取り戻すとは、心に光を取り戻すことだ。その光を、俺に与えてくれたのは、チルだけだ」
そう言ったジークの瞳は、誰よりもまっすぐで、チルだけを確かに見つめていた。
そうジークが言い放った瞬間、側近のカイルがすっと前に出た。
「陛下の命により、即時退去を命じます。不服があるなら、正式に異議申し立てを行うがいい。ただし、その間にも処罰は進む」
カイルの冷ややかな声に、貴族たちはさらに顔を青ざめさせた。
「陛下、お待ちください……!」
一人の貴族が縋るように声を上げたが、ジークはその言葉を容赦なく断ち切った。
「聞く耳は持たない。お前たちは王宮を乱し、民を脅かした。この国を守る者ではない」
その言葉を受けて、王女メリアは顔を真っ赤に染めた。唇を震わせながら、チルに向かって叫ぶ。
「そんな子供のような男が、王の色を取り戻すですって? 書物ばかり読んで陰気で、王の隣に立つにはふさわしくないわ!」
その声はもはや取り繕う余裕もなく、怒りと嫉妬に満ちていた。
「何も知らないくせに、陛下に取り入って……そんな卑しい身の者が!」
その瞬間、ジークの足元から空気が変わった。
「……黙れ」
低く、重く、まるで大気そのものが凍りつくような声音だった。
ジークが一歩、前へ出る。鋭い金の瞳が、王女を射抜くように睨む。
「これ以上、チルを侮辱するなら、容赦はしない。王族であろうと、他国の姫であろうと関係ない」
その声には、かつてない冷たさと怒気が含まれていた。
「勘違いしているようだな。俺は富のために色を取り戻すことはない。心に差した光が、俺に色を見せてくれただけだ。それがチルなんだ」
図書室の空気が一気に張りつめる。
「チルは俺にとって、ただの司書ではない。この国の未来を共に歩く者だ」
その言葉を聞きチルは、目を大きく見開いてジークを見つめた。
「チルの存在を軽んじる者は、この国の未来を軽んじる者と同じだ。俺は絶対に、そんな者たちに王宮を預けたりはしない」
その宣言に、王女とその一派は完全に言葉を失い、厳しい言葉に、誰も反論できなかった。
王女メリアは、悔しさに顔を歪め、唇を噛みしめながらジークを見つめた。
それでも何か言い返そうと、一歩踏み出しかけたが、その足は、ジークの鋭いまなざしに射抜かれたまま、わずかに揺れて止まった。
目の奥に、プライドとも執着ともつかない色がちらりと光る。だが結局、彼女はそれを飲み込むようにして視線を逸らし、ドレスの裾を強く握りしめた。落とされたその指先には、青白い爪痕が浮かんでいた。
「……愚かですわ」
かろうじて絞り出したその一言を残し、メリアは貴族たちを従えて、まるで追い立てられるように図書室を後にした。残された香水の残り香だけが、誇りと未練の名残を空気に滲ませていた。
「チル……遅くなって、悪かった」
低く優しい声が、耳に触れる。次の瞬間、ジークがまっすぐにチルへと駆け寄った。
ぎゅっと……強く、迷いのない力でチルの腕を引き寄せる。そのまま、チルの小さな身体をしっかりと自分の胸に抱きしめた。
すぽりと、ジークの胸の中に収まる。
温かい…夢かと思う。
何度も、何度も願った光景だったのに。実際に触れて、声を聞いて、それでもまだ信じられない。
だけど、耳元に届く心音、優しく包む腕の力強さが、確かに現実を教えてくれる。
ジークが、帰ってきた。
どくん、どくんと胸が跳ねる。
チルは、必死に言葉を紡ごうとした。
「ジーク様……おかえり…なさ……」
そこまで言った瞬間、ぷつりと糸が切れるように、チルの身体から力が抜けた。
全身の緊張も、不安も、張り詰めた心も、すべてを解き放ったように、チルはジークの腕の中で、静かに気を失った。
ジークは、驚きながらも、そっとチルを抱き支えた。
「……ああ。ちゃんと、戻ったぞ。チル」
誰にも聞こえないほど小さな声で、チルの髪に額を寄せ、そう囁いた。
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