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第33話【番外編チル】
ジークにプロポーズされてからというもの、気がつけばチルはあっという間に「婚約者」として扱われるようになっていた。
その辺り、ジークはどうやら用意周到だったらしい。
このあと、国を挙げての盛大な結婚式が執り行われる予定だ。何せお相手は国王陛下。チルは王族の一員となるわけで、結婚式までに学ばなければならないことも山ほどあった。
王宮の歴史、王族のマナー、祭事制度、王室の役割と責任__
けれど、図書室で司書をしていたチルにとって、その勉強は苦ではなかった。
歴史を知ることは、楽しい。
知れば知るほど、この国の大地と文化、人々がどれほど豊かで尊いものか、改めて誇りに思えるようになっていった。
結婚式までは、やるべきことがたくさんある。図書室の整理、式の準備、身の回りの整理……
何より、自分の家もちゃんと引き払わなければならない。ここ王宮にはジークからの意向もあり、少しの間滞在するというくらいで来ていたはずだ。
だから少しのあいだ、王宮を離れて、落ち着いて準備を進めよう。そう考えた。
「…なので、式までは、自宅に一度戻って過ごそうかと……ジーク様に迷惑をかけないように、少しでも整理を……」
そう口にした瞬間、真っ先に「困る」と声を上げたのは、他ならぬジークだった。
「困る。迷惑なんて思わない。むしろ、今さら君がいない生活なんて想像できない」
思わず、チルは目を瞬いた。
「……でも、式の前ですし……何かと落ち着かないのでは……?」
「落ち着かないのは、君がそばにいない時だ」
ジークは、どこまでも真面目な顔でそう言った。
「だから、ちゃんと俺の隣で準備してくれ。君がいないと、俺も不安なんだよ」
そんな言葉を、王である人から向けられるとは思っていなかった。チルの頬が、じんわりと熱を帯びる。
「離れるのは、どうしても無理だ」
そう言って譲らなかった結果、結局ふたりは式の前から同居生活を改めて始めた。
ジークは、王宮の一角にチルのための居室を整えた。今はそこが、ふたりの静かな住まいとなっている。
朝。カーテン越しにやわらかな陽射しが差し込む。チルはベッドの上で、ふわりとまぶたを開けた。そしてすぐ、背中にぴったりとくっついている温もりに気づく。
大きな手に、全身を包まれていた。
「……ジーク様……」
寝ぼけた声で名前を呼ぶと、すぐに返ってきたのは低く甘い囁き。
「おはよう」
そして、そのまま腰をぎゅっと引き寄せられる。裸の胸板が、チルの背にぴたりと張りついた。
「……今日も、可愛いな。チル」
甘ったるい声。
チルの耳たぶに、ジークの唇がそっと触れる。くすぐったくて、でも嬉しくて、顔がかぁっと熱くなる。
「ジーク様……今日、お仕事が……」
チルが慌ててそう言い、身を翻しジークの方を向いた瞬間、ジークは迷いなくチルの身体を抱きしめ、静かに囁いた。
「休みだ」
にっこりと、悪びれもせず言い切る。
休み…… いや、そんなはずはない。
寝起きの頭でチルは思い出す。確か、昨日、カイルに呼び止められて言われたことがある。
『明日は大切な議会があります。いいですか、チルさん、陛下を連れ出して下さい。絶対、陛下に流されないように』
と...
「今日は一日、チルと過ごすって決めたんだ」
「え……っ、でも……」
「ダメだよ、チル。今日は、君を甘やかすための一日だから」
にっこりと微笑みながら言われてしまえば、もはや逆らう余地なんてない。そっと頬を撫でられ、唇を重ねられる。優しく、やわらかく、けれど深く、甘く。
「……ん、ん……」
チルはただ、されるがままにジークに身を預けていく。
「好きだよ、チル。君は、俺の自慢だ」
耳元で何度も囁かれる愛の言葉。
照れくさくてたまらなくて、チルはジークにしがみついた。
「……私も、好きです。愛してます。ジーク様」
小さな声でそう伝えると、ジークは嬉しそうに笑い、チルをもう一度きゅっと抱きしめた。
「よし、今日一日、君を離さないって誓う。甘やかし専念日にする」
「……えぇぇぇ……」
「覚悟しておけよ?」
にやりと笑ったジークの顔に、チルはぐったりと力を抜き、小さくため息をこぼした。それでも顔は赤く、心は満たされていた。
世界一甘やかされる日常が、今日も静かに始まる。
だけど、遠くからノックの音が微かに聞こえてくる。
……きっと、もうすぐ。
カイルの声も、聞こえてくるだろう。
end
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