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第8話

こんなにわーわー言われるのなら、話をしなければよかった、と広瀬は思った。 あの時の雰囲気からして、通報してくださいとはいいにくかったのだ。 宮田だって、鈴野だって、そんなこと言うべきだなんて全く思ってなかったはずだ。鈴野はかなり酔ってたから、状況を把握してなかったかもしれないが。 東城が言うとおり、武中は怪しい雰囲気のある人物だ。後から、立食パーティの会場に対していちゃもんをつけてくるかもしれない。そんなことがないようにも、通報させて届出をさせるべきだったのだ、と今になって東城に指摘されると思う。 そうだとしても、現場にいもしなかった東城から、上から目線で注意だけされるのは不愉快だ、と思った。 不愉快な気分をわざと表に出して、夜遅くなってもソファーに座っていた。 東城はそんな広瀬にかまいもせず、寝室に入っていった。ドアがパタンと小さい音をたてて閉まる。広瀬は動かなかった。こういうとき、自分の家じゃないと不便だ。このまま、ソファーで寝てしまおうかと思っていたら、しばらくして彼が寝室からでてきた。 ソファーに近づいてきて、半分横になっている広瀬を見下ろしている。 「寝ないのか?」と聞かれた。 広瀬は、いよいよソファーに沈みこんで、動かない意志を示した。「お前って怒りっぽいよな」と言われたのには驚いた。そっちがはじめたことだろうに。 「怒ってる顔も悪くないけど」と言う。「唇の形がつんってして、目も少し尖ってていい感じになってる。いつもの無表情より全然いいよ」 そう言いながら手を伸ばされて、唇に指先で触れられた。顔をふってよけた。噛まれるのを警戒したのか、それ以上は触れてこない。だが、こんどはソファーに座ってきた。顔をよせてくる。 「ずっと怒ってるつもりなのか?」 耳を甘噛みされる。それを押しのけようとして、少しもみあいになる。力の加減がうまくいかなかったのか、簡単に抵抗を封じられた。痛くはないが動けないのは屈辱だ。 「こういう乱暴は、犯罪に近いですよ」と広瀬は言った。 「なに?今度はちゃんと通報する?」と東城が面白がってこたえてくる。 「不謹慎なことを」 「だって、ずっと怒ってるじゃないか。つまんないだろ、そんなふうにお前が怒ってたら」 「東城さんが、先に言ってきたんじゃないですか」 「ああ?110番させろってこと?正しいことを言ってるだけだろ。なんで、それで怒るんだよ」 もう一度耳に顔をよせられ息をかけられる。くすぐったいような痺れるような感覚がする。広瀬は、顔をそらした。 「怒るのやめて、寝ようぜ。一緒にいるときは楽しく過ごしたいんだよ」 「そんな気分にはなれません」自分でも意地になっているのはわかる。 「じゃあ、どうしたらいい?あやまれっていうのか?まあ、いいけど。正しいこと言って、お前を不快な気持ちにさせたんなら、申し訳なかった。あやまるよ」誠実さのかけらもない謝罪だ。 バカにされているのだ。ますます腹がたってくる。 「あやまったんだから、いいだろ」そういうと、また唇をよせてくる。手に力をいれられて抑え込まれた。唇が重なる。 「や、」広瀬は声をあげて拒否した。こんな風に力ずくでされるのはいやだ。 すると、すぐに東城は手を放し、身体を起こした。 「わかったよ。無理やりする趣味はないから」 広瀬も身体を起こす。 「で?どうしろっていうんだ?」 「別に」 「リクエストしてくれないと、わかんないだろ。読心術を使えるわけじゃないんだから」 「もう、いいです」 「一回すねると、なかなかおさまらないんだな。機嫌直せよ。一緒にいられる時間、そんなにないんだから。俺に怒るのは俺がいないときにしろよ」 「それじゃあ意味ないじゃないですか」 「時間の有効活用だよ」 広瀬はため息をついた。なんだか、こうしているうちに何に怒っていたのかわからなくなってくる。 そうだ、110番しろって言われたんだった。でも、その内容よりも、東城の態度に腹がたったのだ。そして、彼の強引なやりくちに。 彼の大きな手が広瀬の顔を髪をなでてきた。避けないでいると、耳に首筋に触れてくる。 「なあ。そんな、いつまでもすねてないで、ベッドに行こう。なんでもするから」 「なんでも?」 「ああ。俺が痛かったり怖かったりすること以外」 「どこが『なんでも』なんですか」うっかり笑ってしまった。そうするといい気になって頬に唇をよせてくる。 「でも、俺は、お前の望みなら『なんでも』かなえることできるよ」そういいながら、口の端に唇をつけてくる。 「前から思ってたんですけど」 「ん?」 「どっからそれだけの自信がくるんですか?」 東城は笑みを浮かべる。「聞きたい?」 「やっぱりいいです」 「自信を持つ理由、証明してやるよ」 そこまでだった。広瀬はキスを受け入れた。 彼は立ち上がり広瀬に手を差し出した。ソファーからひっぱられて広瀬も立った。

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