25 / 40
第25話
翌朝、かなり早い時間に、物音もなかったのだが、ふと目が覚めた。ベッドの上で東城があぐらをかいてじいっと座っていた。
いつもなら起きたらすぐに動き出して、マンションに付属しているジムに行くか仕事に行くかしているのに。
「どうしたんですか?」と顔を起こして聞いた。
「今日は、人生の一大転機なんだよ」
大袈裟な発言はいつものことだ。それにしてもなんだろう。重大事件でも起こったのだろうか。だったら、こんなところで座っている場合ではないはずだ。夕べ帰ってくることもできなかっただろう。「何かあるんですか?」
深刻な表情で重々しく言う。「30歳になった」
アホらしくなって広瀬はシーツに顔をもどした。
「おい、無視すんなよ。感想くらい言ったらどうだよ」
「誰でも、20代で死ななかったら30歳になります」と広瀬は答えた。
「そうだよな。そう。でも、まさか自分が30になって、こんなところでこんなふうに生活してるなんて思ってもみなかった」
「そうですか」あくびまじりに答えた。
「お前さぁ。まあ、いいや。お前が30になる誕生日にはせいぜい盛大に祝ってやるよ。絶対複雑な気持ちになるぜ。俺が、なんでこんなこと言ってるのか、おまえにもわかるよ」
「そうですね」同意したのに、人差し指と親指で軽く鼻をつままれた。
その日の夜、帰ってくると、たまたま東城とエントランスで一緒になった。長身の彼がかがみこんで宅配ボックスを開けている。
見ると、大型の宅配ボックスに大小の小包がいっぱい入っていた。広瀬もいくつか渡されて運ぶのを手伝わされた。腕から零れ落ちそうになるのを防ぎながら、部屋に入った。
リビングのローテーブルの上に並べて2人で眺めた。東城がソファーに座って確認している。送り主は全て女性の名前だ。
東城という苗字の贈り主はわかりやすい。彼の母親だろう。姉の美音子さんからのもある。岩居という姓の女性は東城の叔母だ。
東城は後ろから覗き込む広瀬の視線に肩をすくめた。
「誕生日には毎年いつも贈ってくるんだ」
そんなところだと思った。いくつかの包みを指差して、「これは市村の祖母から」とか「これは仙台の叔母。母親の妹で整形外科やってる」とか説明してくれる。
大半は親戚の女性からだということが分かった。結婚で苗字が違うから人間関係がわかりにくく覚えにくい。
残る2つを見て東城は首をかしげている。覚えのない女性のようだ。
東城はこわごわ手に1つ持って封をあけている。中からカードと高価そうな革のキーケースがでてきた。カードには誕生日のお祝いの言葉とこんな時になんだけど離婚しましたという近況を知らせるメッセージが書いてあった。
東城は安心した顔をする。「離婚して苗字をもどしたんだな。わからなかったはずだ」と言った。
もう一つの包みもがさがさとあけている。メンズのシルバーのネックレスだった。彼が好きそうなデザインだ。
東城はわずかに顔をしかめた。きれいな色のカードもついている。女性の丁寧な文字でメッセージが書かれている。誕生日おめでとう、この前はすごく楽しかった。ありがとう。また今度ね。という親しげな、意味ありげな文章。
広瀬は彼の肩越しでそのメッセージを読んだ後、立ち上がり風呂に入ることにした。後ろから東城が追いかけてくる。
「今、思い出したんだけど、福岡さんとこの前行った店で知り合った女の子からだ。女性たちのグループで、福岡さんが誘えってうるさくて、一緒に飲んだんだ。その中の一人」
広瀬は、脱衣場でシャツを脱ぐ手をとめる。「質問はしていません」
「だよな。俺が説明したいだけ。あんなの贈ってくるなんて驚いたよ。こっちは名前もあやふやなくらいなのに」
広瀬はそこまで聞いてうなずいた。服を脱いで風呂場に入り、彼の鼻先でドアをしめた。
だが、すぐにドアが開き、東城はスーツのままで入ってくる。シャワーの飛沫がかかるのもかまわない。
「なんか言ってくれないか」
「スーツ濡れてますよ」
「そうじゃなくて」
「偶然知り合った女性に自宅住所を伝えたんですか?」そう言ってシャワーの水量を増やした。
「もっともな質問だ。偶然って言っても、福岡さんのなじみの店の常連客で、何回かは会ってる。普段アルバイトしてモデルの仕事もしてる女性たちのグループで、スタイルのいい美人だから福岡さんのお気に入りなんだよ。身元はわかってる。いつも福岡さんがおごってあげてるから、今日のプレゼントはそのお礼だ、と思う。ここの住所は、何かのときに年賀状の話になって教えたんだと思う。彼女たちと会うときはいつも酔ってるからあんまり覚えてないけど。誕生日は、グループの中で占いが得意な子がいて、その時にみんなで話したんだ。いつも、複数で、こっちも3~4人だし、むこうも同じくらいの人数」とぺらぺらとなめらかに説明してくる。誰もここまで詳しく聞こうとは思っていない。
「そうですか」と広瀬はこたえた。
「お前が心配するような関係じゃないから」
「心配ってなんですか?」
「俺が、特定の女性に平均以上のサービスをしたと思っているのなら、そういうことは全くない」
「何も心配していません。そのドアが開いてて寒いので風邪引きそうだという以外は」
広瀬は彼を押し出して、ドアを閉めた。
どこかの女にいい顔をして相手の女が彼に『平均以上のサービス』とやらを期待するというのは全くありそうなことだ。あきれもしない。今日のあの大量のプレゼントが、全部そんな女性たちからだって驚きはしても不快には思わないつもりだ。
広瀬がそのことで気を揉むと東城が勝手に思っていることにいささか不愉快になっただけだ。自信過剰なんだ、いつも。
ともだちにシェアしよう!