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第2話
「発情期 の時は必ず帰って来るって、約束したのに、な……」
匂いのしない、彼のワイシャツに顔を埋め、ポツリと愚痴が零れる。
もう、何度目だろう……
運命の彼を優先されたあの日から、僕が発情期 になっても一緒には居て貰えなくなった。
運命の彼と僕の発情期 が被ってしまうのがいけないんだってわかってはいるんだけど、シゲルさんは僕を優先してくれない。
何度も、何度も、何度も……
ひとりで発情期を迎えたせいで、ひとりぼっちで発情期 を過ごすことにも慣れてしまった。
狂いそうな程の不安感も、満たされない欲も、疼いて堪らない身体も……
不安からいっぱい傷を作ってしまった。
満たされないせいで何度も名前を呼んだ。
疼く身体を慰めるために、色んなものを集めた。
どうして帰って来てくれないの?
僕のこと「愛してる」って、言ってくれるのに……
どうして。
どうして。
どうして。
浮かんでは消える呪いの言葉を、涙と一緒に飲み込んで耐えた。
彼もきっと苦しんでいるんだと思う。
運命の彼と出逢ってしまったから……
番 関係を結んでいても、運命の番 が見つかると本能が運命を求めてしまうらしい……
抗うことのできない渇き、欲、妄執から離れられない。
だから、彼が悪いんじゃない。
運命のイタズラのせいで、僕だけの番 じゃなくなってしまったから……
だから、彼が悪いんじゃない。
でも、ホントに?
本当は、僕のことなんてもう要らないんじゃないの?
運命の彼を愛してしまったから、側に居てくれないんじゃないのかな?
心にはびこる暗い感情を唇を噛み締め、頭を強く振って雑念を振り払う。
「薬、今日は効いて欲しいな……」
効かないとわかっている抑制剤をいつもより多めに手のひらに取り出し、水と一緒に流し込む。
彼を疑ってしまった心も一緒に流し込むように、一気に水を飲み干す。
「はぁ……シゲルさんに、会いたい……」
呟いた声は、消え入りそうな程小さな声だったのに、思っていたよりもずっと大きく響いた。
誰もいない、静か過ぎる部屋では小さな物音だけでもよく響く。
ガチャッ
玄関のドアを回す音が微かに聞こえ、期待から目を見開いて廊下へと続く扉を見つける。
ガチャガチャと鍵を開ける音、靴を脱ぐ音、何かを探すように部屋の扉が開く音。
全ての音が、愛しい彼が帰って来てくれたのを告げている。
「シゲル、さん……シゲルさん、シゲルさん、シゲルさん」
発情期 のせいで食事もままならなかったせいで、立ち上がっても身体がふらついてしまう。
それでも愛しい彼に会いたくて、脚をもつれさせながらもリビングに走った。
「シゲルさん!おかえり、なさいっ!」
リビングの扉を開くと同時に声を掛ける。
愛しい人。
ずっと会いたかった人。
今すぐ抱きしめて欲しい人。
涙ながらに抱きつこうと彼に向かって走ったけれど、ひとりぼっちで発情期 をやり過ごしていた身体には体力が残っていなかった。
もう少しで彼に辿り着けるというところで、脚をもつれさせてしまい、顔面から床に転んでしまう。
「みつる!」
彼の驚いた声を聞いて、当然受け止めて貰えると思っていた。
でも、待ち受けていたのは鼻を強打する鈍い痛み。
「ちょっ、大丈夫か?あぁ、鼻血が出てる。みつるはどんくさいな……」
困ったように眉を下げながら微笑み、僕を助け起こしてくれるシゲルさん。
机に置いていたティッシュを手に取り、鼻血の溢れる鼻を拭くように渡してくれる。
「ん?この匂い……あぁ、みつるも発情期 になってたのか……」
困ったような表情を浮かべるシゲルさんに胸騒ぎがして堪らない。
僕が発情期になったのを知ってて、側に居てくれるために戻って来てくれたんだと思っていた。
もうとっくに発情期は始まってしまったけど、それでも、ちょっとでも側にいてくれるって……
思っていたのに……
「ごめんな。希も今発情期 でかなりキツいらしいから、すぐに戻らなきゃいけないんだ」
彼の手には分厚い目の封筒が握られていた。
「必要なモノがあったから、コレを取りにきただけだったんだ。一緒にいてやれなくて、本当にごめんな……」
申し訳なさそうな表情をしているシゲルさんに、僕は何も言えなかった。
転んだ時も、受け止めて貰えると思ったのに、倒れる僕に一切手を差し伸べてはくれなかった。
鼻血の滴る顔を見て、一瞬眉をひそめていたのが目に入った。
発情期になった僕を見て、小さな溜息をついたのが見えた。
鼻を手で押さえながら出血を止める僕の肩を抱き、寝室に押し込めるように連れ戻される。
やっと僕の元に帰ってきてくれたんだって嬉しかったのに、彼の口からは無慈悲な言葉が零れ落ちる。
「ごめんな。でも、みつるは大丈夫だろ?希には俺が付いていてあげないといけないんだ。みつるは、強い子だから大丈夫だろ?」
笑顔で僕の肩をポンポンと叩き、シーツを肩にかけてくる。
「僕も……」
「じゃあ、行ってくる。あと3日もすれば希の発情期 も収まるから、そしたら一度こっちに戻るよ」
僕の言葉を遮るように、彼は予定を告げてそのまま寝室の扉を閉じる。
彼が来た時と同じように、扉を閉める音が室内に響き、また静寂だけが残される。
「僕も、僕も……発情期 で、苦しいのに……。全然、大丈夫じゃないのに……。一緒に、いて欲しいのに……」
誰にも聞いて貰えない泣き言を、誰もいない扉に向かって何度も口にする。
さっき抑制剤を多めに飲んだはずなのに、番 である彼の匂いを一瞬感じたせいか、治まっていた疼きが襲ってくる。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
震える手でベッド横のチェストからΩ用の抑制剤が入ったシートを取り出す。
震える手で錠剤を手のひらに取り出し、ダメだとわかっているのに祈るような気持ちで薬を流し込む。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
これだけ飲んだら効いてくれるはず。
これだけ飲んだから、きっと治まるはず。
あと3日、あと3日耐えれば……彼は帰って来るはず……
自分に言い聞かせるように何度も何度も「大丈夫」だと口にする。
薬の効果なのか、発情期のせいなのか、グルグルと目の前が歪む。
気持ち悪いのに、吐くことなんてできない。
早く、早く、早く……
自分の匂いしかしない、彼の服を抱き締めてベッドに上半身を預ける。
ベッドの上にはぐちゃぐちゃになってしまった彼の服でできた巣がある。
これだけ沢山服はあるのに、どれももう彼の匂いはしない。
今日、久しぶりに会った彼は、すっごく良い匂いがした。
僕の好きになった彼の匂い。
一瞬でも、彼に抱き締めて貰えたのに……それだけじゃ足りない。
もっと、もっと、もっと……彼の匂いに包まれたかった。
うなじからくるチリチリとした痛みと吐き気を唇を噛み締めて耐える。
抑制剤が効いていないのはわかっている。
でも、ただこの期間が少しでも早く終わることを願うしか、今の僕には方法がなかった。
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