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第9話

 彼が1人でシャワーに行ってしまったせいで、僕はポツンとリビングに残された。  僕の足元には、さっきナカに出された精液とローションがポタポタと垂れ落ち、床を汚していく。 「……汚い、な……」  糸を垂らしながら溢れ出る液体を見て、ポツリと言葉が出た。  ちゃんと掃除して綺麗にしなきゃ……  シゲルさん、綺麗好きだからこのままじゃまた怒られちゃう……  痛かった、な……  すっごく、痛かった。  でも、シゲルさんは気持ち良かったって……喜んで、くれたはず。  あの子より、僕を選んでくれた、はず。  痛む身体を動かし、テーブルの下の棚に置いてあるティッシュを取って、汚れた床を拭いて掃除する。  少し動くだけで、焼けるようにお尻が痛い。  少し触れるだけで、ジンジンと痛む。  動く度に、アナルからさっき出された液体が内腿を伝って零れ落ちる。  何度拭いても、床を汚す液体を綺麗にできない。  ポタポタと透明の雫が拭いた場所に次から次への落ちてくる。 「ぁ……これ、涙だ……」  頬を伝い落ちる涙を手の甲で拭い、泣いていた後を隠す。  シゲルさんには、泣いていたことを知られたくなかったから……  浴室のシャワーの音が異様に大きく聞こえた。  普段、僕ひとりしかこの家には居ないから……  誰かが一緒に居るのは、本当に数ヶ月ぶりだから……  シゲルさんがシャワーから出て来てくれるのを、じっと静かに待った。  まだ、やるのかな……?  次は、前みたいに優しくしてくれるかな……?  キス、結局してくれなかったから、次はして欲しい、な……  シゲルさんとのキス、最後にしたのはいつだっけ…… 「好き」って、最後に言ってくれたのは、いつだっけ……?  出てきたら、また抱いてくれるのかな?  痛いのは、もう……やだなぁ……  ぎゅって、抱きしめて欲しい。  次は、向かい合ってしたいなぁ……  ……優しく、して欲しい、な……  浴室のシャワーが止まった音、シゲルさんが機嫌よく鼻歌を歌っている音、洗面所の扉が閉められ戻ってくる音が聴こえる。  シゲルさん用に用意していたバスローブを当然のように羽織り、タオルを片手に髪を乾かしながら出て来たシゲルさん。 「シゲ、ル……さん」  さっき悲鳴をあげ過ぎたせいで声が掠れてしまった。  でも、彼の耳に届いているはずなのに、僕には一切目もくれず、そのまま寝室へ行ってしまった。  僕以外、誰もいないリビング。  間接照明の明かりだけのせいで、部屋は仄暗い。  部屋にポツンと残された僕は、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐことしかできなかった。 「仕方、ないよね……。だって、発情期(ヒート)中のあの子の、相手……してたもんね……」  ポタポタと膝に水滴が滴り落ちる。 「1回、1回だけでも……僕のこと、抱いてくれたんだもん。それだけでも、きっと……優しい、よね……」  言葉にするたび、口元が歪む。  声が震えて、叫び出したくなる。 「シゲルさんは……優しい、から……」  口にするたび、虚しさと寂しさだけが募っていく。  涙で汚れた汚い顔をこれ以上晒したくなくて、気持ちを落ち着けたくてシャワーを頭から浴びた。  ナカに出された精液を自らの指で掻き出す。  発情期(ヒート)中のセックスじゃないから、Ωの僕でも今は子どもはできないはず。  でも、万が一……万が一、子どもができてしまったら…… 「シゲルさん、どんな顔をするかな……?」  自分の浅はかな考えに嫌気がさす。  僕とのセックスは、ただの義務のようなものだ。  愛を一切感じない、ただの性欲処理のようなもの。  彼が愛しているのは……今は、僕じゃない。  自覚してしまうと寂しさと悔しさで耐えられず、涙が溢れ出した。  そっとうなじに触れると、今はまだはっきりと彼との(つがい)(しるし)が残っている。  彼と(つがい)になるとき、噛んで貰った歯型がしっかりと残っている。 「運命の、(つがい)なんて……ズルいよ……」  本音が口から溢れ出してしまい、それをきっかけに全てが我慢できなくなってしまった。  その場に小さく蹲り、腕を噛んで声を殺す。  彼に泣いているのがバレないように……  彼が起きてしまわないように……  声を殺すために腕を噛んで、泣き声を殺した。  浴室内には、僕のくぐもった泣き声とシャワーの水音だけが響いていた。  赤く腫れてしまったお尻を冷たく冷やしたタオルを当て、少しでも腫れが引いてくれるのを祈る。  明日も仕事があるから、お尻が痛かったら座ってパソコンを打つのもツラいし……  発情期のせいで1週間もお休みを貰っていたから、これ以上迷惑をかけたくない。  少しだけマシになったのを確認し、ふわふわのパジャマに着替えて寝室に向かう。  きっとシゲルさんは待っていてくれるだろう。  次は、ベッドの上で優しく抱いてくれるかもしれない。  もし抱いてくれなくても、今日は一緒に寝られる。  彼の匂いに包まれて、久しぶりに眠れるかもしれない。  そんな期待を胸に、寝室の扉を開けた。  ベッドは、結婚した時に2人でゆっくり寝れるようにって、ダブルの大きいものにした。  成人男性2人が一緒に寝るんだから、広い方が何かと便利だし……って、嬉しそうに彼が言ってた。 「よかった、今日……ちゃんと綺麗にしてて……。シゲルさんと一緒に寝れるの、嬉しいな」  寝室に足を踏み入れ、ベッドに近付く。  大の大人が2人は余裕で眠れる大きなベッド。  そのはずなのに、ベッドの真ん中で大の字になってゆったりと眠る彼の姿。 「……シゲルさん。……シゲルさん」  少しだけ端に寄って貰おうと、彼の腕を揺すり小さな声で名前を呼んでみる。  何度か名前を呼んでみた結果、寝ぼたシゲルさんに邪魔だという様に腕で払い除けられ、危うくベッドから転倒しそうになった。 「…………どこで、寝ようかな……」  溜息交じりで呟いた言葉は震えていた。  悲しくて、苦しくて、今すぐ消えてしまいたい。  シゲルさんと一緒に寝たいけど、無理矢理起こしちゃうのは迷惑だよね……  リビングのソファーで1人で寝るのは……今日は、ヤダな……  ぐっすり気持ちよさそうに眠る彼を見て、もう一度溜息を漏らす。  ベッドで一緒に寝るのは諦め、仕方なく薄手のタオルケットをクローゼットから取り出す。  ベッドの横のスペースにちょこんと嵌り、床で小さく丸くなって眠った。  微かにだけど、一緒の部屋に彼がいてくれるから、彼の匂いがする気がした。  きっと、明日も一緒にいてくれるはず。  僕、今日は頑張ったから……  それに、明日は一緒に寝てくれるはず。  あのベッドで寝たら、彼の匂いがするはず。  大丈夫。今日はいつもより温かいから……  小さな期待を胸に、冷える夜を冷たい床の上で眠った。  朝、目が覚めると身体はバキバキで足腰が痛い。  ベッドに視線を向けると、当然のように彼の姿はなかった。  ただ脱ぎ捨てられるように、昨日、彼が着ていた服がベッドに置かれていた。 「……また、ひとりぼっちか……」  彼の残してくれた服を抱きしめ、またひたすら彼を待つだけの日々が始まる。

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