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第17話

 はっきり覚えているのはいつが最後なんだろ……  ハルくんにお礼をする為、お茶に誘った。  ハルくんに少しの間会えなくなるって聞いて、不安を感じたけれどそれだけだった。  僕の(つがい)は別の人なんだから、当然のことなんだけど……でも、ハルくんに会えないのは不安だった。  ハルくんが出張に出てすぐ、発情期(ヒート)になってしまった。  前回の発情期が2週間前……  だから、次の発情期はまだまだ先だと思っていた。  急いでシゲルさんに連絡したけど、なんの返事も貰えなかった。  どれだけ電話をしても、何度掛け直しても、繋がらない。  どれだけメッセージを送っても、既読にすらならない。  わかってた……  いつものことだから……  だから、いつもみたいに抑制剤をたくさん飲んだ。  先日置いといてくれたシゲルさんの服を抱き締めて、なんとか凌ぐことができた。  これが1回目。  この時は、5日くらいで終わったと思う。  いつもより少しだけ短い発情期に、違和感と不安感を感じたけど、誰にも相談することなんてできなかった。  2回目は1回目の発情期の3週間後。  いきなりの発情期のせいで仕事が立て込んでしまい、忙しい日々を過ごした後……  やっと仕事も落ち着いたと思った瞬間、身体が焼けるように熱くなったのを覚えている。  こんな短期間で立て続けに発情期(ヒート)が起こるなんてあり得ないのに……  匂いが消えてしまった彼の服をかき集め、バイブを無理矢理突っ込んで耐えた。  どれだけ抑制剤を飲んでも、フェロモンを抑えることが出来なかった。  ずっと帰って来てくれない、触れてもくれない(つがい)なんかを求めているみたいだった。  多分、身体が焦っているんだと思う。  (つがい)がいるΩのくせに、役割を果たせていないから……  死ぬ前にどうにかして子孫を残そうって本能が訴えてるのかな?  そんなことしても、無駄なのに……  ただ、苦しいだけなのに……  通常1週間続く発情期(ヒート)よりも期間は短かったけれど、壊れてしまうかと思った。  たった3日。たった3日なのに、今までで一番壊れてしまうかと思った。  次に発情期(ヒート)がいつ来るのか怖い。  通常であれば、3ヶ月に1度だったから色々準備もできたし、対策もしてこれた。  でも、最近はいつ突発的に始まるのかわからない発情期(ヒート)に怯える日々を過ごしている。  誰にもこんなこと、相談なんてできない……  ハルくんの秘書をしている林田さんが僕を気に掛けて連絡をくれるけど、もし今の僕の状態を知られたら……  林田さんがハルくんに連絡してしまったら……  ただでさえ、ハルくんには迷惑ばかりかけてしまっているのに、これ以上迷惑をかけるなんてできない。  だから、メッセージが来たら自動で返信出来るように設定した。  当たり障りのない、いつもシゲルさんがしてくる連絡と同じことを、僕も彼女にした。  同じ文章だとすぐに疑われちゃうから、何パターンか作って、少しでも心配をかけないように準備した。  そこまでは、ちゃんと覚えている。  でも、3度目の発情期(ヒート)がいつ来たのかは覚えていない。  意識が混濁してきて、ありったけの抑制剤を口にした。  震える手で、何度も、何度も、何度も……助けを求めてシゲルさんに連絡した。  どれだけ連絡を入れても繋がらない。  メッセージを送っても、既読にすらならない……  辛くて、苦しくて、悲しくて、恨むことしか出来なかった。  会いたいのに、僕のところには帰ってきてくれない。  助けて欲しいのに、声すら聞かせてもらえない。  シゲルさんも、運命のあの子も、みんな、みんな、嫌い……大嫌い……  どうして……僕だけがこんな苦しいの?  どうして……僕だけひとりなの?  どうして……僕は、シゲルさんの(つがい)じゃないの?  浮かんでは消える呪いの言葉。  自分の甘いフェロモンの匂いに混じって、血の臭いが部屋中に充満していた。  最後は、もうわからない……  発情期になったのか、そうじゃないのかもわからない。  誰の服かもわからない衣類に押し潰されるように埋まり、浅い呼吸を繰り返す。  暗闇の中、ただひとりの人に会いたかった。  ただ、ハルくんに会いたかった。  シゲルさんじゃなくて、ハルくんに……  ずっと、ずっと好きだったハルくん。  僕の初恋の人で、初めての失恋相手。  黒髪の綺麗な女性との婚約が破談になったのを聞いて、内心嬉しかった。  ショートカットが似合う元気な人と別れたって聞いた時も、嬉しかった。  ふわふわした可愛らしい人との縁談を断ったって聞いて、ハルくんの理想の高さを知った。  僕が(つがい)にして貰えることなんて、最初からなかったんだ。  ハルくんと僕が生きる世界は、同じなのに一緒じゃない。  おじさんの言葉を理解していたつもりだったけど、ちゃんと理解できてなかった……  就職すらまともにできない、Ωでしかない僕をハルくんは助けてくれた。  昔からずっとずっと優しいハルくん。  忘れなきゃ、諦めなきゃ、って思ってたのに、諦めきれなかった。  シゲルさんは、どこかハルくんに似ている。  優しくて、笑った顔がほんのちょっとだけハルくんに似ていた。  ハルくんの身代わりみたいに好きになっちゃったから……  きっと、シゲルさんに僕の気持ちがバレちゃってたんだと思う。  こんなんだから、運命の(つがい)のあの子がシゲルさんの前に現れたんだと思う。  僕からシゲルさんを開放してあげるために……  嫌われちゃったのは、当然の報いだと思う。  もう全てを諦めて死を覚悟した時、ハルくんの声が聞こえた気がした。  ハルくんが僕を抱き締めてくれて、何度もキスをしてくれた。  夢なら、何をしても良いと思った。  最初で最後の幸せな夢なら、我儘言っても許されるよね?  夢の中でハルくんにいっぱい抱いて貰えた。  最初は労るみたいに優しかったけど、途中から激しくされて壊れちゃうかと思った。  でも……シゲルさんと違って、ずっと優しかったし、気持ちよかった。 「ホント、僕って最低だ……。こんなんだから、シゲルさんが愛想を尽かしても、仕方ないよね……」  溜息と共に自嘲の笑みが出てしまう。  死ぬと思ってたのに、浅はかにもまだ僕は生きている。  生きる価値のない僕が、どうやって回復したのかわからない。 「でも……ここ、どこなんだろ?」  ベッドに寝転がったままキョロキョロと頭だけを動かして部屋の中を見渡す。  自分の家ではない。ということだけは理解できる。  でも、病院ってわけでもなさそうだ。  部屋の中はシンプルだけど、綺麗に整頓されており、温かみを感じる。  僕とシゲルさんの……僕の家とは大違い。  それに、僕の家よりも落ち着く匂いがする。  僕の知っている人の匂いが、微かにしていた。

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