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第26話
いきなり声を掛けられた。
二度と、聞きたくないって思っていた。
ワザと鼻にかかったような気に障る声。
嫌味ったらしい言い方に、顔を見なくても誰なのかわかってしまった。
なんで……どうして……
あの子がここにいるの?
聞き覚えのある声は、あの日と一緒だった。
彼の……シゲルさんの後ろからちょこっと顔を出して、僕を見下してきたあの日。
はちみつ色大きな猫目が勝ち誇ったように細まって僕を上から下まで品定めするように見てきた。
「ふ~ん……。なんか、Ωのクセに普通なんだね。シゲルさんの番 だって聞いてたから、もっと可愛かったり綺麗だったりのかな?って思ったのに……。な~んか、拍子抜けしたぁ~」
シゲルさんの腕に絡みついて、嬉しそうな笑みを浮かべながら僕を見下したあの目。
また、あの目で僕を見下しているんだと思うと、それだけで身体が震えそうになる。
会いたくない。
顔も見たくない。
見ないで欲しい。
僕を、見ないで……
怖くて振り返ることすらできない。
息を吸っているはずなのに、息苦しくてしかたない。
冷や汗が頬を伝い落ち、うなじに付けられた『番 』の証 である噛み痕がズキズキと痛む。
「ねぇ、みつるくん聞こえないの?それとも、ボクのこと忘れちゃったとか?」
耳を押さえたいのに、震えて身体が動かない。
噛み痕があるはずの場所が熱い。
番 の証 があるはずの場所が、痛くてしかたない。
「みつる?」
あの子じゃない、低く落ち着いた声に突然名前を呼ばれ、ギュッと閉じていた目を見開いてしまう。
ずっと聞きたかった人の声。
ずっと、名前を呼んでほしかった人の声。
連絡したのに……。電話、したのに……
発情期 の時には戻ってきてくれるって、側に居てくれるって……約束したはずなのに……
『助けて』って、何度も留守番電話を残したのに……
あの人は、彼は、シゲルさんは……
壊れそうな僕を、見捨てた。
声がした方を恐る恐る振り返ると、そこには予想した通りの2人が仲睦まじい様子で寄り添って立っていた。
Ωであるあの子を大切な宝物のように、労わるように、細い腰に腕を回して支えている僕の番 。
僕と目が合った瞬間、あの子は大きな目を細めてニンマリと勝ち誇った笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「なんでここにいるの~?偽物の番 さん」
あの子のお腹、少しだけ大きくなっている気がする。
愛おしげに自らのお腹を撫でなる様子は、明らかに僕への当て付けのようだった。
「ボクたちはねぇ、赤ちゃんの定期検診なんだぁ〜。ボクとシゲルさんの愛の結晶。4ヶ月を過ぎたところだから、お腹もちょっと出てきちゃったんだよね〜」
さっきから頭の中でガンガンと警鐘が鳴ってるみたいに痛い。
あの子の言葉が、ナイフみたいに胸の奥を突き刺してくる。
「それで、みつるくんは何しにきたの?」
知ってるくせに……
シゲルさんを、僕から奪ったくせに……
なんで、どうして……
僕より、やっぱりあの子がいいの?
「……ねぇ、何その汚い顔の傷。まさか病気?最悪!やめてよねぇ〜、ボク妊婦さんなんだから!変な病気うつされると最悪だから近付かないでくれる?」
他の患者さんにも聞こえてしまうような、ワザと大きな声で文句を言ってくる。
実際、僕のこの傷は病気なんかじゃない。
でも、ここに来ているΩの患者さんは病気や怪我だけではなく、妊娠中の人も多く通っている。
「みつるくんみたいな汚いのがうつったらどうしてくれるの?サイテー。さっさと出て行ってよ」
嫌悪感を隠す様子は全くない。
むしろ、他の人にも聞こえるように騒ぎ立てるから、訝しがった表情で待合室から廊下にいる僕たちを覗き見る人までいた。
奇異の目に晒され、今まで以上に身体が固まってしまって身動きが取れない。
早く、早く、ここから出て行かなきゃ……
誰にも迷惑をかけないように、僕が居なくならなきゃ……
口元をタオルで押さえながら、汚いモノでも見るような目で僕を睨み付けているあの子。
そんなあの子を労わるように抱きしめ、僕から距離を取るように促している僕の『番 』のはずの彼。
僕の『番 』じゃないの?
僕たち、『番 』じゃないの?
『死が二人を別つまで……』別れないって、大切にしてくれる。って……言ってくれたはずなのに……
僕の、『番 』のはずなのに…
なんで?どうして……?そんな目で、僕を見るの……?
汚物でも見るような目で、顰め面で僕を見てくる。
さっきから頭が割れるように痛い。
呼吸、しなきゃ……。息、吸わなきゃ……。違う、吐かなきゃ……。違う。
わからない。どっち……。
苦しい。
震えの止まらない身体を抑えようと、右腕に爪が食い込むくらい強く爪を立てて引っ掻く。
痛いはずなのに、苦しい方が強くて何も感じない。
泣きたくないのに、無意識に涙が溢れ出してしまって視界が歪む。
目を閉じればいいのに、2人から目が離せない。
…………ハルくん、助けて……
不意に目の前が暗くなり、温かい手で覆われる。
「ミツ、あんな奴らを見なくてもいい。言葉なんて聞かなくていい」
ハルくんの大きな手で僕の目元が覆い隠される。
「ん?あんたダレ~?あ、ふ~ん。そういうことなんだぁ~」
顔を見なくても、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべているのがわかる。
「シゲルくんに相手をして貰えないから、番 でもない赤の他人に種付けして貰ったの?大人しそうな顔してんのにビッチだったんだね」
クスクスと嘲笑う声耳から離れない。
「番 が一応いるくせに、相手をしてくれるなら誰でもいいんなんて……みつるくん今の顔と一緒で汚いなぁ~」
あの子が言ってることを否定できない。
『番 』以外に身体を許すΩなんて、何を言われてもしかたないから。
でも、ハルくんは……ハルくんの悪口は言わないで欲しい。
僕のことはなんて言われてもしかたないけど、ハルくんは、汚くなんてないから……
「ッ……ひゅっ……ぁ、ひゅっ……」
言い返したいのに言葉が出なかった。
ハルくんのこと、弁解しなきゃいけないのに何も言えなかった。
呼吸が上手くできなくて、苦しくて、悲しくて……目の前が真っ暗になる。
「ミツっ!」
ハルくんの焦ったような声が聞こえた気がした。
でも、僕の意識はそのまま闇の中に溶けてしまった。
ごめんなさい。
全部、全部……僕が悪いから……
もう僕のこといらないなら、離婚してよ。
もう僕のこと必要ないなら、『番 』も解消してよ……
僕のこと嫌いなら……もう、解放してよ……
ハルくん、ごめんなさい。
僕のせいで……ごめんなさい。
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