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第12話 居酒屋にて
店内はにぎやかだった。木目調のテーブルに吊るされた裸電球、壁には手書きのおすすめメニュー。活気ある笑い声とグラスのぶつかる音が絶え間なく続いている。
唐津に誘われた「少しだけの飲み」が、気づけば本堂を交えての三人飲みになっていた。
(……本堂くん、来るんだ)
唐津の「本堂も来たがってたから」の一言で決まったことだったが、漆原の胸には、ほんの少しの落胆と、それと同じくらいの安堵が同居していた。
──唐津と二人きりじゃなくて、よかった。
──でも、ちょっとだけ、残念だ。
テーブルの上には、ほっけの塩焼き、あたりめ、えいひれ、刺身の盛り合わせといった定番のつまみが並んでいた。唐津は最初に頼んだビールを半分ほど飲み干すと、早々に焼酎のソーダ割りに切り替えていた。
グラスを傾けるその手つき、喉を鳴らして飲む仕草。そのどれもがさりげなく色気をまとっていて、にぎやかな居酒屋の空間にも妙に馴染んでいた。
(……どこにいても、絵になる人だ)
そんなことを思いながら、漆原はビールをちびちびと飲んでいた。飲み会の席でも決してペースを乱さず、会話にもあまり前のめりにはならない。それでも、本堂の元気な話に少しずつ表情がやわらいでいく。
「いやあ、本店はほんと緊張しますよ。唐津さんに毎日しごかれてますからね」
本堂は若さあふれる笑顔でレモンサワーをあおりながら、笑いを交えて話す。髪を無造作に整えたその姿は、どこか不器用な犬のようでもあり、つい構いたくなる。
「しごかれてるのは、おまえが資料を三回も出し間違えたからだろうが」
「うっ、手厳しい……でも、そのあとは完璧でしたよね?」
「最初からやれ」
唐津の言葉に、本堂は「ですよねー」と笑ってみせた。
自然と会話が転がる。本堂が「最近ふられたんですよ、三回目」とこぼせば、唐津が「何が原因だと思う?」と真顔で問い、漆原が「多分、食事中に営業トークを始めたからじゃないですか」と返して、三人で笑う。
にぎやかな空間に、心が少しずつ緩んでいくのがわかった。
「でもやっぱ、営業第一部って格好いいっすよね」
ふと、本堂が真顔で言った。
「なんかこう、歩いてるだけで“営業部だな”ってわかるっていうか。背筋伸びてるし、空気感がちがうっていうか……」
照れたように笑うその横で、唐津がぽつりと呟く。
「漆原が部長になってから、さらによくなった。ピリッとしてて、いい緊張感がある」
「ですよね。あの、喋らないのにどうやってマネジメントしてるんですか?」
「それ俺も知りたい」
本堂と唐津が笑い合う横で、漆原は「……喋ってますよ」と小さく返す。
その最中、ふと気づくと唐津が自分の皿に焼き魚を取り分けてくれていた。
「骨あるから気をつけて」
「……ありがとうございます」
続いて、漆原のグラスを見て、唐津が言う。
「水、飲むか?」
(……優しいな)
些細な気遣い。押しつけがましくない、それでいて目が行き届いている。唐津は昔から、そういう人だった。誰にでもそうなのかもしれない。それでも、漆原にはそれがしみた。
唐津の優しさにふれるたび、胸の奥に、ほどけてしまいそうな何かが生まれる。
「ちょっと、トイレ行ってきます!」
本堂が席を立ち、二人きりになる。
その刹那、唐津の視線がまっすぐ漆原に向けられた。
「なあ、漆原」
「はい?」
「……何かあったか?」
漆原は一瞬だけ言葉を失った。
「心配事でもあるのか? 最近、避けてただろう。こっちのフロアに全然来なかったし」
唐津の声は低く、柔らかかった。糾弾するのではなく、ただ、知りたがっている。
(……ああ、だめだ)
その声を聞いた瞬間、自分の感情がふわりと緩んでしまうのがわかった。
「……いえ。ちょっと忙しかっただけです」
「そうか」
それ以上、唐津は何も言わなかった。
だがその「そうか」に、必要以上の詮索をしない優しさと、信じようとする意志があった。
(……どうして、そんなふうにしてくれるんですか)
危ないところだった。
あと少しで、本音を言ってしまいそうだった。
(でも……ちゃんと隠さないと)
ここからは、自分の戦いだ。
「大丈夫です。業務には支障ありません」
「……なら、いい」
唐津はそう言って、また焼酎のグラスに口をつけた。
その横顔を見ながら、漆原は心の中で誓った。
──ちゃんとやっていこう。
──気持ちはしまって、今まで通りに。
口元に笑みを浮かべながら、唐津の隣でグラスを傾けた。
その心の奥には、まだ温かい何かが灯ったままだった。
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