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第13話 にぎやかな夜と、胸の音
にぎやかな夜の街を、三人で歩いていた。
飲み会を終えたばかりの空気は、どこか甘くて、火照った肌に風が気持ちよかった。
「じゃ、俺こっちなんで」
本堂が手を挙げて、駅の階段を降りていく。少し酔っているのか、足取りは軽く、振り返る笑顔も子どもみたいだった。
「……にぎやかだな」
ぼそりと呟いた漆原に、唐津が横目で笑う。
「いつもあんな感じだ。ちょっと目立ちたがりだけど、素直でいいやつだよ」
「……ですね」
居酒屋でのあれこれが思い出される。
ほっけやあたりめを囲んで、レモンサワー片手に喋り倒す本堂。営業第一部への憧れを隠そうともしない姿は、まっすぐで、どこか懐かしい気持ちになった。
唐津は最初こそビールだったが、途中から焼酎のソーダ割りに切り替えていた。
グラスを持ち上げる手首の角度、喉を鳴らして飲む仕草、そのすべてに無駄がなくて、男らしい色気があった。
(どんな場所でも、よく似合う人だ)
そう思いながら、漆原はビールをちびちびと飲み続けていた。
──酔うわけにはいかない。
そう思っていたはずなのに、気づけば頬がほんのりと熱を持っていた。
唐津が「水、飲むか?」と聞いてくれたとき、うまく返せなかった。
嬉しくて、情けなかった。
(ほんとに、ずるい……)
唐津の優しさは、時に不意打ちで、胸の奥にじんとしみる。
「おまえ、避けてただろ」
信号待ちの横断歩道で、ふいに言われて、漆原は肩をすくめた。
「……そんなことないですよ」
「嘘つけ」
「業務が立て込んでただけです」
「ほう。おまえが俺とすれ違って、三歩で立ち去った回数、ちゃんとカウントしてるぞ」
「……それは気のせいです」
照れ隠しのような言い方に、唐津はフンと笑うだけでそれ以上追及しなかった。
気まずくは、ない。けれど、どこか居心地が悪いのは、自分が後ろめたい気持ちを持っているからだ。
「営業第一部、雰囲気いいな」
「そうですか」
「ああ、おまえが来てからいい意味で緊張感がある」
「……ありがとうございます」
「部長がしゃべらないのに、本当に不思議だな」
「だから、それは……」
「冗談だって」
軽口を叩き合いながらも、胸の奥がふっと温かくなった。
唐津の横を歩くのは、いつだって背筋が伸びる。
昔はついていくばかりだった。だけど今は、同じ肩書きを持つ者として、対等に会話ができる。
それが誇らしくもあり、むず痒くもあった。
(ずっとこの人と、同じ景色を見ていたいと思ってた)
でもそのためには、気持ちを抑えなくちゃいけない。
余韻が、体に残っていた。
家に帰っても、唐津の声が、視線が、消えなかった。
(……もう少しだけ、頑張れるかもしれない)
そう思えた夜だった。
***
「ちゃんと水飲めよ」
そう言われたのを思い出して、漆原はキッチンでグラスに水を注ぐ。
無意識に、一口ごとに唐津の顔が浮かぶ。
(ちゃんと、飲みました)
小さく呟いて、思わず苦笑いする。
唐津の男らしい優しさは、昔から変わらない。
浜松支店時代──まだ漆原が新人だった頃。
証券会社は、なにかと“飲み”の文化が強い。
取引先との懇親会、社内の達成会、異動の歓送迎……理由はなんでもつく。
酒が強くない漆原にとって、それはなかなか厄介なものだった。
けれど唐津は、さりげなく気を配ってくれた。
「無理すんなよ」
「水、先に飲んどけ」
そんな言葉を、何度もかけてもらった。
誰にでも優しい人だから、自分だけに向けられたものではないとわかっていた。
それでも、嬉しかった。
少しずつ飲めるようになってくると、「成長したな」なんて言って笑ってくれて、でも最後にはきまって「調子に乗るなよ」と釘を刺した。
東京のにぎやかなチェーンとは違う、地元密着の浜松の居酒屋。
暖簾をくぐると、大将が「おっ、また来たな」と笑って出迎えてくれて、唐津は「いつもの」で通じるような顔をしていた。
隣で飲む背中が、やけに大きく見えたことを、今でも覚えている。
あの頃と、なにも変わっていない気がする。
ただ──自分の気持ちだけが、どうしようもなく変わってしまった。
(どうして、こんな気持ちを抱いてしまったんだろう)
(いつからだろう)
(もしかして、ずっと前からだったのかもしれない)
何年も気づかなかったのに、再会したらどうにも抑えられなくなってしまった。
認められたくて、自分を見ていてほしくて、あの大きな背中とどこまでも遠くへいってみたくて。
唐津の声が、目が、言葉が、心の中で何度も反響する。
(水、ちゃんと飲めよ)
その優しさを、どれだけ飲み干しても、癒えることのない想いがある。
それでも今は、それに溺れずに、胸の奥にそっとしまっておこう。
(……もう少しだけ、隣にいたいから)
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