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第14話 漆原崇彦はなぜトップでいられるのか

朝の定例ミーティングが終わったあと、唐津は自席から何気なくガラス越しに第一部の方を見やった。 漆原が、資料を手に立っている。 取引先に向かう直前らしく、ネイビーのスーツに、落ち着いた色のネクタイ。 切れ長の目が伏し目がちに細まり、まるで何かに集中しているように見えた。 (無口なのに、なぜか緊張感があるんだよな) そう思うのは、部下だけじゃない。 唐津も、ふと視線を向けてしまう瞬間がある。 「唐津部長、そろそろお時間です」 部下に声をかけられ、時計を見て慌てて席を立つ。 ちょうど漆原とエレベーターの前で鉢合わせた。 「いってらっしゃい」 「……唐津さんも」 やっぱり無表情で、でも不思議と嫌味がない。 数時間後、唐津は取引先の役員応接室で、次の打ち合わせの準備を進めていた。 隣室から、第一部の案件プレゼンが始まる声がかすかに聞こえる。 「──本日ご提案するのは、前回の打ち合わせをふまえて……」 その声は、落ち着いていて、よく通った。 抑揚は少ないのに、数字の見せ方と構成に妙な説得力がある。 (相変わらず、さすがだな) そう思ったときだった。 「──こちらが、そのリスクシナリオを含めた場合の想定グラフです」 間を置いて、やや低めのトーンでそう言うと、相手役員の空気がすっと変わるのが、ガラス越しにも見えた。 刺した。 唐津は、心の中でそう呟く。 緻密な準備と情報整理。 読み切ったタイミングで、表情も声色も変えず、最後の一点を突くような言い方をする。 口数は少ない。 でも、それが逆に効いている。 顧客の前では、少し柔らかい笑顔も見せるようになった。 ただ、それもどこか“計算”ではなく、“自然”のように見える。 (あいつ、本当に変わった) いや、変わったというより── (元から、そういう男だったのかもしれないな) 唐津は、静かに微笑んだ。 その日の午後、第一部から大型案件が決まったという報せが社内に広まった。 営業第一部のフロアがざわつき、拍手と歓声が上がる。 部下たちの顔は明るく、ひとつの勝利を素直に喜んでいた。 漆原も、控えめに頷いていた。 ほんの少し口角が上がるだけの笑顔。 (客の前ではもっと笑えるんだから、もうちょい喜べばいいのに) そんなことを思いながら、唐津は自販機の前で缶コーヒーを選んでいた。 「お疲れさま、唐津部長」 声をかけてきたのは、営業第二部の部長だった。 漆原より十歳以上年上。柔和な笑みをたたえて近づいてくる。 「第一部さん、やってくれましたねえ。漆原部長、すごいじゃないですか」 「……ですね」 「転勤してくる前から話題の人材でしたからねえ。最年少で部長、それも本店営業部のポストなんて、普通ならあと十年はかかりますよ」 「確かに」 「表彰歴もすごい。最優秀営業賞に、社長賞のMVP。あんなに静かなのに、どこからそんな数字が出てくるのかと思ってました」 唐津は缶コーヒーを開けながら頷く。 「でも、実際にプレゼンを隣で聞いたら──まるで獣ですよ」 「獣、ですか」 「ええ。静かに、鋭く、躊躇なく突き刺す。あれは獲物を仕留めにいく獣の目ですよ。洞察力とスピード、それにあの直線で刺すようなセールストーク。ぐるっと回り道なんてしない」 「……なるほど」 「営業マンって、にぎやかで、明るくて、人あたりのいいやつばかりでしょう。実際、うちもそういう人が多い。でも営業の本質は違う。相手の無意識の欲求を引き出して、買いたい気持ちにさせること。それができる人間が、ほんとのトップセールスなんでしょうね」 「……あいつは、それができる」 唐津の言葉に、二部長が頷いた。 「最初は“おとなしい子だなあ”なんて思ってたんですけどね。今じゃ、うちの課長たちも彼の資料を見て刺激受けてますよ」 「それはいい傾向ですね」 「いやはや、うちも負けられませんよ。第二部としても、気合い入れないと」 笑って去っていく二部長の背中を見送りながら、唐津はまたひとつ、漆原という男の輪郭を深くなぞったような気がした。 (浜松時代から、変わってないな) あの頃から、漆原は数字に強かった。冷静で、理詰めで、でもときどきまっすぐすぎるほどの視線を向けてきて、驚かされたこともあった。 決して器用ではない。 けれど、努力を惜しまない。データを洗い、相手の思考を読み、どんな案件でも妥協せずに向き合っていた。 (あの頃から、武器を磨き続けてここまできたんだ) 唐津は、少し悔しいような気持ちでコーヒーをひと口飲んだ。 (……営業第一部の部長には漆原がふさわしいってことか。たとえば……俺よりも) そう思った瞬間、胸の奥に小さな火が灯った。 (でも、俺も負けられない) 負けたくないと思わせるのも、また漆原だ。 不器用なくらい真っ直ぐで、冷たく見えて実は情が深い、そんな男と同じフロアで働けていることが、心から嬉しかった。 唐津は缶コーヒーを持ち直しながら、静かに息をついた。

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