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第16話 背中を追い越して
漆原と唐津が並んで客先に入るのは、実に十年ぶりのことだった。
会議室のドアが閉まる音がやけに静かに響く。広い部屋に立つ二人の男──どちらもスーツの襟元をきっちりと整え、だが唐津はネクタイを緩め気味で、漆原は反対に少しきつめに締めていた。
ひと目でわかるタイプの違い。
唐津は明るいブラウン系のスーツをさらりと着こなし、髪はやや無造作に流している。彫りの深い顔立ちに、柔らかく垂れた目尻が印象的で、話す前から人当たりの良さを印象づける。そこに立っているだけで場が華やぐようだった。
一方で、漆原は黒のスーツにグレーのネクタイ。長めの前髪が目元にかかり、切れ長の瞳が静かに周囲を見渡している。口数は少ないが、内に強い意志を秘めたその佇まいには、まるで研ぎ澄まされた刃のような緊張感があった。
華と静。
軽やかと鋭さ。
真逆のようでいて、不思議と並んだ姿には調和があった。
「……で、何から話す?」
商談前のブレイクタイム、唐津がコーヒーの紙コップを傾けながら訊いた。
「提案の骨子は昨日の資料で通ってます。あとは、先方の懸念事項について……」
「──漆原、声が小さい」
「はい」
思わず笑ってしまうくらい、昔と変わらないやりとりだった。
だが、唐津はすぐに気づいた。言葉の端々が研ぎ澄まされている。昔のように詰まることもなく、プレゼンの展開も予測して動いている。漆原は、とっくに“指導される側”ではない。
それどころか──
(俺よりずっと、周到だ)
商談が始まると、その印象はますます強くなった。
先方が提案の意図を読み違え、やや懐疑的な口ぶりになった瞬間。
漆原は、迷いなく資料を差し替え、数値と実績の裏付けを端的に示した。早口にならず、落ち着いたまま、言葉の強さと柔らかさのバランスを絶妙に保って。
最初は腕を組んでこちらを値踏みしていた相手が、次第に身を乗り出し始める。
表情に曇りが消え、疑念が関心へと変わっていくのが、唐津の目にもはっきりと見て取れた。
「……それ、面白いですね」
先方の担当部長が、思わず声を上げる。
「たしかに、それなら御社に頼む意味があるかもしれない」
──営業マンは、よく喋る。
にぎやかで、誰とでもすぐに打ち解けて、空気を読んで笑いを取る。
それが“できる営業”のスタンダードだと思われてきた。
だが。
(本質は、違う)
唐津は、となりで喋る漆原を見ながら思う。
営業という仕事の本質は、“相手の無意識の欲求を引き出し、買いたい気持ちにさせる”こと、第二部長の言う通りだ。
漆原は、それをやってのける。
静かに、確実に、相手の核心を突いていく。
口数は少ないが、視線は鋭く、相手の出方を見透かすように淡々と話を進める。
(こんな営業、他にいない)
唐津は心の中で呟いた。
そして──少し悔しいような、誇らしいような気持ちになる。
(さすがトップセールス、か。あれだけの表彰歴も納得だ)
気づけば、商談は佳境に差し掛かっていた。
最後に、唐津がまとめ役として口を開く。
「本日はお時間ありがとうございました。いただいたご意見を踏まえたうえで、来週中には再提案できるよう調整いたします」
それにうなずくように、漆原が小さく会釈した。
まるで呼吸が合っているかのような、自然な連携だった。
会議室を出たあと、エレベーターホールで、唐津がぽつりと言う。
「……おまえ、すげぇな」
「え?」
「いや、まじで。なんかもう、俺いらなかったんじゃねえかって思った」
漆原は少しだけ目を見開き、そして珍しく笑った。
「そんなことないです」
「へえ、そう言ってもらえると助かるな」
沈黙が落ちる。
だが、気まずさのない、心地よい間だった。
「──俺さ」
ふいに、唐津が言う。
「昔は、おまえは大人しいから俺が引っぱってやんねーとって、勝手に思ってたんだよな」
漆原は、何も言わずに聞いている。
「でも今日、おまえの話聞いててさ。なんか……俺の方が助けられてる気がした」
ゆっくりと振り返って、漆原の横顔を見る。
「だから、正直ちょっと焦ってんのかも」
その言葉に、漆原はすっと視線を向けた。
「焦る必要、ないと思います」
「そうか?」
「俺は……唐津さんが一緒にいてくれると、心強いですから」
一拍置いて、唐津はたれた目尻をふわりと緩めた。
「──なんか、今の言い方、ちょっとかわいくない?」
「え?」
「いや、なんでもない。行くか」
そう言って、背を向ける。
そのまま歩き出しながら、胸の奥にわずかな熱を覚えていた。
──十年前は、守ってやらなきゃと思っていたその背中。
今はもう、並んで歩ける距離にある。
いや、むしろ。
(俺が、こいつの背中を見てるのかもしれない)
そんなことを思って、唐津はまた、苦笑した。
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