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第22話 ほどける夜

イタリアンレストランの個室。白いクロスのテーブルには前菜とパスタ、グラスワインが並んでいた。 営業第一部と営業戦略部の若手を中心にした打ち上げ飲み会。今期最大の大型案件が無事成約し、自然と声が上がった場だった。 唐津はいつものように白いシャツ。ワイングラスを手にしている姿が妙に似合っていた。 若い社員たちが彼のまわりを囲んで、質問を投げかけている。 「部長って、彼女いるんですか?」 「えー、遊んでるって聞きましたよ?」 女性社員たちが、ワインの勢いに乗って尋ねた。 唐津は苦笑した。 「何年前の話だよ……もう37だぞ、落ち着きたい年齢ってことで勘弁してくれ」 「えー、でも絶対モテてますよね?昔からでしょ?」 「……まぁ、若いときは、それなりに……」 (それなり、ね) 漆原はハイボールに口をつけながら、遠巻きにその様子を眺めていた。 (……また、その言い方) 遠くの席からその様子を見ていた漆原は、ハイボールのグラスを握りしめる。 ──唐津は、昔からそうだった。 浜松時代、唐津に誘われて一度だけ合コンに参加したことがある。 唐津は、前に出て仕切るわけでも、誰かを狙っているようでもなかった。自然体で、誰かの隣に座って会話の流れにさりげなく乗りながら、場の雰囲気を整えていた。 誰かが話しすぎていれば軽くフォローし、沈黙が続けば穏やかに話題を出す。 それだけなのに、気づけば場が唐津のまわりで動いていた。 「やっぱ唐津さんって大人ですよね」「ああいう人と付き合えたら楽しそう」 そんな声を、漆原は隣で何度も聞いた。 唐津は、あくまで自然体のまま、けれどその日の最後には女の子と二人きりになって店を出ていった。 彼に関する“お持ち帰り”の噂はあちこちで囁かれていた。 悪い噂も聞いた。 けれど、唐津はそれを否定することも肯定することもなく、ただ静かに受け流していた。 (それでいいんだろう。あの人にとっては) いま、彼のまわりで笑っている女性社員の視線にも、明らかな好意が混じっている。 その中には、声に出さずとも“特別”になりたいと思っている者がいるのが、漆原にはわかった。 「──漆原さん」 突然、肩を叩かれて振り返ると、そこには眞壁がいた。 「なんかさ、唐津さんすごいっすね!あんなに若手に囲まれて、しかもワイン似合うし、なんかずるいっすよね」 「……そうだな」 「いや、別に憧れてるとかじゃないっすけど、ああいうの見てると、ちょっと面白いっていうか……本部のスターって感じしません?」 いつもの早口でまくしたてながら、眞壁はちらちらと唐津のほうを見ていた。 「てか、漆原さんって唐津さんと仲いいっすよね?浜松時代からですか?何かあったんすか?おれ、ああいう人に翻弄されるタイプじゃないっすけど、興味はありますね」 漆原は、グラスを持ち直して視線を落とした。 「……飲んだりは、してたよ」 「やっぱり!うわ、若い頃の唐津さんと飲んでみたかったなあ」 (飲んでみたい、か) ──それとも、あれくらいモテてみたい、という意味だろうか。 漆原はふと、自分の指先に視線を落とした。 グラスを持つ手の力が、ほんの少しだけ強くなっていた。 唐津の言った「落ち着きたい年齢」という言葉が、何度も頭を巡る。 それが“誰か特定の相手”を意味していたとしたら。 唐津が恋人を作ってしまったら。 その先も──いずれ、結婚とか、家庭とか、 漆原の入り込めない未来が、静かに形になっていくのかもしれない。 (……考えるな) 何もできないくせに、想像だけで不安になって、勝手に傷ついている自分が情けなかった。 (バカみたいだ) でも、目を逸らすこともできなかった。 ──あの人は、今もああして笑ってる。 唐津の隣にいる誰か。 それが、自分であるはずがないことも、痛いほどにわかっていた。 もしも唐津に、特定の彼女ができてしまったら。 その先も──触れられず、ただ見るだけの関係になってしまうのか。 (……考えたくない) グラスの中で氷が音を立てた。 何もできないくせに、想像ばかりして不安になっている自分がばかみたいで、情けなかった。 それでも、ほんの少しだけ。 ほんの少しだけ、期待している。 唐津の優しさが、自分だけに向いている瞬間があることを。 あの人の視線のなかに、他の誰でもない“自分”がいると錯覚する瞬間が──あるような気がしてしまう。 けれど。 その優しさが誰にでも向いているものだと、知っている。 (だから、余計に苦しいんだ) 唐津が、また誰かに触れる夜が来る。 自分が見ないところで、誰かを抱きしめているかもしれない。 その可能性に、胸がきゅっと締めつけられる。 何もできない。 何も言えない。 それでも、まだ唐津の姿を目で追ってしまう。 「……だめだな、俺」 ぽつりと呟いた声は、誰にも届かなかった。

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