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第2話

───好きです。付き合って下さい。 2週間ぶりに会った相原燈真は、いつもと同じ言葉で告白をしてきた。暴力による顔の腫れは引いているが、顔のアザはまだくっきり残っている。激しい暴力の痕跡に、安田陸は相原燈真の告白を直ぐに拒絶出来なかった。 脳裏に弟の翼の泣き顔が浮かぶ。 ギブスで固定された右腕で、独り暮らしの燈真はどうやって日常生活を送っているのだろうか。何よりも、視力が低下した右目は見えているのだろうか。 好きな男の為に払う代償としては、いくら何でも大きい過ぎる気がした。 「や、や安田さんの恋愛対象が女性だけなのをし、知っています。す、少しの間だけでも、つつき合って貰えないでしょうか」 深く頭を下げる燈真は、手が震えていた。 「や、安田さんにはぜ、ぜ絶対にふ、触れません。2メートル以内、近付きま、ません」 それは、付き合っていると言うのだろうか。陸は少し首を傾げる。必死な燈真が、少し憐れに思えた。 「1カ月間だけででも、い、いいです。も、もし、その間に、他に付き合いたい人や、安田さんにこ、告白する人が現れたら、それで終わりでも、でも構いません」 お願いします 一心不乱に縋る燈真に、陸は初めて口を開いた。 「君は、本当にそんな条件でいいのかなー。俺には、今と変わらない関係に思えるけど」 「ぜ、ぜん全然違いますっ」 がばっと顔を上げた燈真は、「2メートルまで近付くことが許されますっ!!!」と大声で言った。面食らった陸は目を丸くする。 「いま、今は、4メートル以内近付いていませんっ。安田さんにできるだけ、気持ち悪い思いをさせた、たくなくて……」 男に付き纏われている時点で、気持ち悪いのだが。再び、脳裏に弟のことが横切って、陸は言葉を飲み込んだ。考えてみれば、確かに、燈真は4メートル以内近付かない。今もだ。 但し、今のように、朝の登校時間に1時間以上も駅で待ち伏せされたりする。それは、いいのか。 「相原君は、男が好きなの?」 「わ、わかりません。安田さん以外、好きに、ななったことありません」 「………」 陸は困ったように笑みを浮かべた。このままでは埒が明かない。 「お、終わったら、もう安田さんの前には現れません」 「───本当に?」 初めて、燈真の言葉に反応した陸は、疑訝しむ。 「はい。貴方との約束を破るぐらいなら、死にます」 躊躇いなく断言する燈真に、陸は目を見開く。 「重いなあ」 短い沈黙の後、陸は苦笑いした。 大切な弟の命を救ってくれた燈真。最大1カ月間交際すれば、ストーカー行為を止めてくれる。その間、女の子とセックスできなくなるだけ。 燈真に触れる必要もないし、燈真も触れてこない。 「その条件なら、いいよ」 陸は飄々とした態度で答えた。その瞬間、燈真の目尻から大きな涙が零れ落ちた。驚いた陸に、燈真は再び深く頭を下げる。 「ひ、卑怯な手を使って、ほ、本当にす、すみませんでした」 「………」 恩義がある陸が簡単に告白を断れなくなったのを、燈真はわかっていた。 「───少しの間ですが、よ、よろしくお願いします」 真っ赤な目で嬉しそう笑う燈真は何度もお辞儀する。そして、踵を返して、駅の改札口に行った。 燈真の後ろ姿が見えなくなると、今度は、菊池和弥が陸の背後から近付いた。 「お前が1カ月間も、女とのセックスを我慢できるんかよ」 和弥は疑った眼差しで陸を見上げる。陸は軽く肩を竦めた。 「……翼の為に、相原君は片目の視力を失うかもしれないからね。本当は、俺の1カ月間の時間だけじゃ、割りに合わないと思うよ」 「ブラコンだもんな、お前」 揶揄する和弥を、陸は否定せずに一瞥する。 「誘拐犯は捕まったのか?」 和弥の問いに、陸は頷く。 「相原君が車のナンバーと車種を正確に覚えていたからね」 「へえ、その状況で凄いな」 気が弱く、いつも挙動不審な態度から想像がつかないほど、燈真は冷静沈着だった。車だけでなく、誘拐犯の容姿、年齢、特徴まで的確に説明が出来ていた。翼を助けただけでなく、誘拐犯の逮捕も全て、燈真のおかげだった。 「命懸けで大好きな弟を救ってくれて、そんで、一途で、健気でしおらしい───正に、お前のタイプじゃん」 「暴れん棒 (・・・・)を持っていなく、おっぱいがあって、いい匂いする場合はね」 揶揄う和弥を、陸は即座に全否定する。和弥は腹を抱えて笑った。 「バケモノよりは、いいじゃねえの?まあ、俺にとっても対象外だが」 外見至上主義の和弥も、燈真の、平均より下の容姿は許容範囲外である。 「あのストーカーは何で、そんなにお前が好きなわけ?高等部に入学してきた途端、毎日告白してきているじゃん。昔からの知り合いか?」 「───小学生の頃に、病院で知り合ったよ」 瞬間記憶を持つ陸は、交通事故で入院した病院で出会った子供が燈真だと気が付いていた。 「あの頃、相原君の髪が長くて、最初、女の子だと思って優しくしてしまったんだよね」 「なんだ、それ」 爆笑した和弥は、バンバンと陸の肩を叩く。 「女たらしが招いた結果か」 否定できなかった陸は、 笑顔を取り繕う。 +++ 高等部の校舎は、A棟、B棟、渡り廊下が中庭を囲むような「ロの字」のように配置されている。校舎東側に体育館があり、西側には約50万冊におよぶ蔵書と1万タイトルの視聴覚資料が収められている図書館がある。 相原燈真は雨の中、中庭の片隅で、B棟の南側階段をじっと見ていた。昼休みのチャイムが鳴った瞬間、燈真は急いでこの場所にやって来る。ここは、三年生が南側の食堂に行く時に使う渡り廊下が見える場所である。 一年生の燈真が、三年生の安田陸の姿を見ることができるタイミングは、登校時間とこの昼休みの時間だけである。この高等部の食堂は、一食3,000円以上するので、とても燈真には払えない。だから、ここで、陸が食堂に行く姿を見届けてから、持参した昼食を取るのが燈真の日課だった。 1カ月間という期限限定で交際を受け入れて貰ってから1週間経つが、陸が言ったように、いつもと何も変わらない日常だった。それでも、陸が誰のモノでなく、少しだけ近くに行くことが許されたことは、奇跡だと思う。 ───毎晩、はしたなく、陸に触れる夢を見る。 見苦しいこの恋を、陸に不快感を与えるだけのこの想いを、一度でいいから許して貰いたかった。 「雨の中、君はここで何をしているのかなあ」 突然、背後から声を掛けられ、燈真は飛び上がるほど驚愕した。振り返った燈真は、顔を真っ青にして後ずさりする。校舎の軒裏からはみ出した燈真は、雨に濡れた。 「や、やや安田さん……!」 「お目当ての人は見つかったかな?」 陸は目を細めて微笑む。驚き過ぎて声がでない燈真に、傘を差した。 「今日は売店で買ったから、一緒にお昼ご飯食べる?」 「え、ええええええ、え、いいですか!?」 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。陸は軽い調子で「たまには、食堂以外もいいしね」と答えた。 陸に促されて向かったのは、A棟の4階の美術室の隣の準備室だった。A棟は音楽室、美術室、実験室などがあり、昼休みや放課後には人の気配がなく、閑寂だった。 「この準備室だけは、いつも鍵がかかっていないんだよ」 それを教えてくれたのは、二年生の時に付き合った年上のガールフレンドだけどね、そう笑う陸は窓際の椅子に腰かける。燈真は、陸から2メートル程離れた場所に立った。陸に「座ったら」と言われ、燈真は恐る恐る近くの椅子に座る。 陸はビニール袋からサンドイッチと水のペットボトルを取り出した。燈真もラップに包んだおにぎりを巾着袋から取り出す。 「……お昼はいつもそれだけなの?」 「あ、は、はい。僕、あんまり沢山食べれなくて」 本当は経済的な理由だが、恥ずかしくて誤魔化す。陸は再びビニール袋から何かを取り出すと、燈真にそれを投げた。思わず怪我をしていない左手と腹で受け取ったのは、リンゴのカットフルーツのパックだった。 「間違って買ってしまったものだけど、リンゴ苦手だから、食べてよ」 「───」 黙り込む燈真に笑うと、陸はサンドイッチを食べ始めた。燈真はペコリと頭を下げると、カットフルーツのパックの切れ目に沿って開けようとする。三度失敗して、漸く開けるのに成功した。 ふと、視線を感じて顔をあげると、陸が燈真を見つめていた。 「………右目、見えていないよね」 「も、元々、僕は目が、目が悪いので」 「目が悪い人が、暗闇の中で車と誘拐犯を正確に見て覚えていると思えないけどなあ」 誤魔化しが効かない。 「……相原君はどうして、悲しまないの」 ひっそりとした準備室の中、陸は静かに聞いた。 長い沈黙が続く。雨の音だけが聞こえる。 燈真は少し俯いた後、顔を上げて小さく笑った。 「あの日、あの場所で、あの時間で………翼君 (あの男の子)の命より大切なものなど存在しなかったです。ただ、それだけのことです」 「───」 「その代わりに、僕は十分、安田さんから見返りを貰っています」 何を悲しむ必要があるのだろうか。 優しく目を細めた燈真は、陸から貰ったカットフルーツのパックを大切に握り締めた。 陸は燈真から視線を逸らすと、窓の外の雨を見つめた。

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