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第3話

一時間目の授業が終わると、鈴木咲桜が窓際席に座る安田陸の肩に腕を絡ませる。 「ねえ、最近、雨の日の昼休みはどこに行っているの?」 陸はいつも幼馴染みの菊池和弥達と一緒に食堂で昼食を取るが、この一週間、雨の日は売店で昼食を買っていた。 「付き合っている()の所だよ」 軽く答えながら、陸は教科書を片付ける。驚いた咲桜は、腕を絡ませたまま、陸の顔を前から覗き込む。 「いつから?誰?どうして、咲桜が知らないの?」 矢継ぎ早に詰め寄る咲桜に、陸は微笑む。 「心配しなくて大丈夫だよ。今回は期間限定だから、あと二週間で別れるよ」 「……泣かれて、嫌々付き合ってあげているんだね。陸、女の子に優しいんだもん」 胸を撫で下ろすと、咲桜は前の席に座った。 「今の彼女はどんな子なの。可愛いの?スタイルは?胸は?」 「うーん。小柄で痩せていて、ソバカスがいっぱいで、顔は普通かな。胸はないかなー」 想い浮かべて、のらりくらりと陸は答える。 「やだー。その子、そのレベルで陸に交際を申し込んだのー?」 道を歩けば、必ずスカウトされる華やか美貌の持ち主の咲桜は、忌々しく顔を歪ませる。 陸は窓の外の運動場をちらっと見た。体育の授業はいつも見学する相原燈真が、クラスメートから離れ、俯いて歩いている。 「図々しい女の子じゃない」 「───でも、優しい人だよ」 何気なく呟いた陸の声は、授業開始のチャイムに消された。席に戻る咲桜の後ろ姿を一瞥し、陸は再び運動場の隅で小さくなって座っている燈真の姿を見つめた。 今日は、雨が降らないらしい。 昼休みになり、陸は咲桜に腕を密着された状態でB棟の南側階段を降りる。食堂に繋がる渡り廊下を通り抜ける直前に、中庭を垣間見ると、案の定、燈真が校舎の角に隠れるように立っていた。陸の姿を見られて満足したのか、嬉しそうだった。 ───燈真は律儀に約束を守っていた。 決して2メートル以内近付かない。美術室の準備室では、窓際に座る陸から一番離れたドア付近に座って、おにぎりを食べる。そして、食べ終わると、教科書を取り出して勉強をする。スマホを見たり、外を眺める陸の邪魔をしないし、話しかけたりしない。 いつも、どこでも女の子に放っておかれることがなかった陸にとって、初めてのことだった。 先日の雨の日、ふと、燈真の、数学Αの教科書に書かれた落書きが見えた。気になって近付いた陸に、勉強に集中していた燈真は気が付かなかった。手を伸ばせば触れる距離になった時、燈真がハッと顔を上げた。直ぐ目の前にいる陸と視線が合う。 燈真は椅子を蹴って、物凄い勢いで後ろに飛び退いた。バンっと背後のドアと衝突する音。 顔面蒼白になった燈真は、震えながら、近くに来てしまったことを何度も陸に謝った。陸は苦笑いした。 ───俺から近寄ったんだから、君が約束を破ったことにはならないよ。………そんなに怯えなくても、これで終わらないよ そう言うと、燈真は目を真っ赤にした。陸が無言で窓際に戻ると、燈真も倒れた椅子を起こして漸く椅子に座った。燈真は床に落ちた教科書を拾う。 その数学Aの教科書には、黒色マジックで大きく『死ね ホモ』と書かれていた。 食堂で咲桜達とご飯を食べながら、陸はその雨の日を思い出す。 「不機嫌そうな表情して、珍しいじゃん」 「………このステーキ肉が硬くてね」 片岡秀に人差し指で眉間の皺を指摘され、陸は軽く笑った。すると、和弥が鼻で陸を笑う。 「二週間も禁欲生活送っているからじゃねえ?」 「えー、どういうこと?菊池君は陸の今の彼女を知っているの?」 陸にべったり密着する咲桜が身を乗り出す。和弥は咲桜をじっと見た後、肩を小さく竦めた。 「知らねえ」 冷たく言い捨てた和弥に、咲桜は頬を膨らませる。和弥は昔から何故か、咲桜に冷たい。外見重視主義の和弥だが、咲桜の美貌には何ひとつ興味ないらしい。 不満を言う咲桜を、陸は宥めた。 +++ 今日は朝から雨だった。 相原燈真は、学校の最寄り駅の2番線ホームの北口階段近くで電車を待っていた。陸はいつも7時50分着の電車に乗っている。陸の姿が見れる貴重な登校時間なので、燈真はいつも朝7時にはここで待機していた。 一緒に昼食を取った、夢のような……あの日に、関東は梅雨入りした。あれから、陸は雨の日に、必ずあの準備室に訪れるようになった。その上、燈真がそこにいることを許してくれた。 自分の立場をわきまえている燈真は、陸にこれ以上嫌われないように、一番離れた場所で昼休みを過ごしていた。 7時31分着の電車が、2番線ホームに風を切って滑り込む。降車する人と乗車する人で混雑するホーム。 不意に、燈真は少し離れた場所で、人波に揉まれた老婦人が押され、膝を折ったのを見つけた。降車する男に肩を当てられた彼女は持っていた鞄と仏花の花束が落ち、中身がホームに散乱する。乗車する中年男に舌打ちされた彼女は、オロオロしながら中身を拾った。 燈真は人波をかき分け、老婦人の傍に行く。一緒に散乱した中身を拾い、埃を払う。 お礼を言う彼女に笑顔を見せ、散らばった花を一本ずつ集めた。その時、燈真の横で長身の男子生徒が屈んで一緒に手伝う。 振り向いた燈真は、その生徒が安田陸だと脳が認識した途端、反射的に離れようと後ろに飛び退く。が、陸がそれより早く、燈真の左腕を強く掴んで止めた。言葉を失う燈真を、陸は少し目を細めて見つめる。 「……俺は、弟の命を救ってくれた君のことを嫌っていない。だから、そんなに離れようとしなくていいよ」 「───」 目頭が熱くなる。俯いた燈真が逃げないのを確認すると、陸は手を離した。錯乱した花を全て拾い、陸は老婦人に手渡した。何度も頭を下げる彼女を笑顔で見送った後、陸は燈真に向き合った。 「怪我はない?」 人混みから老婦人を守るように屈んでいた燈真は、何度も人の足にぶつけられていた。ギブスで固定している右腕も、まだ治っていない。燈真が小さく頷くと、陸は安堵したように息を吐き出した。 「次の電車がくる前に、一緒に学校に行こう」 さらっと誘った陸は、掴みどころがなく飄々としている。舞い上がるほど嬉しかったが、何故、今の時間帯に陸が駅にいるのかが理解できなかった。 燈真の返事など、最初から知っているかのように歩き出した陸に、燈真は2メートル程離れて後を追う。 ───もし、自分が女の子だったら、隣を歩くことが許されていたのだろうか。 陸の背中を見つめ、燈真は少し泣いた。 +++ 児童養護施設で育った燈真は、小さい頃から入院と退院を繰り返す子供だった。 親には赤子の時に捨てられたが、病弱な燈真は施設や里親に迷惑ばかりを掛けてきた。社会の負担になっていることは、子供ながら理解していた。 看護師と医者以外、誰も訪れなくなった病室で、燈真は花火の音が響く夏夜空を見つめていた。あと何年持つかわからない、このポンコツな身体(からだ)が生を終える前に、誰かの役に立ってみたかった。 ───一緒に花火見に行く? 同じ病棟に入院した小学6年生の安田陸は、交通事故で右足を複数箇所骨折していた。豪華な個室で閉じ込められた入院生活に飽き飽きしていた陸は、就床時間を過ぎた時、隣の大部屋に入院していた燈真を誘った。 長く外出禁止だった燈真は迷ったが、陸が燈真を軽々抱き上げて自分の膝の上に乗せると、車椅子を漕いだ。びっくりした燈真は、思わず陸に抱き付いた。 屋上に行った二人は、国内最大級の隅田川花火大会の花火を見た。間近でみる、迫力ある花火に、燈真は心から感動した。 ───少しは元気になった? そう笑う陸を、燈真は一生忘れることができない。 触れることが許されないなら、陸の為に死にたかった。

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