11 / 23
第11話
「めちゃくちゃ美味かったなぁ。俺、実家かと思った……いや、それ以上だったかも」
リュックから弁当を取り出す千春の隣で、惠護が頬杖をつきながら感想を口にする。
けれど、このセリフを聞くのは、もう何度目だろう。
初めて惠護を家に招いたときから始まり、見送りの玄関先でも、そして大学で顔を合わせるたびに、彼は決まって絶賛してくれる。
褒められ慣れていない千春は、そのたびに返事に困って、ただ黙り込んでいた。
「千春の唐揚げ、マジで美味いっすよね。俺も一回食わせてもらったけど、金取れるんじゃね? って思いましたもん」
胸の前で腕を組み、うんうんと頷く仙太郎に、千春は「普通の唐揚げだろ」と、つい素っ気ない口調で返してしまった。
仙太郎には平気でなんでも言えるけれど、惠護相手だとそうもいかない。
千春のツン、な態度に慣れている仙太郎は、何を言われても受け流してくれる。
今だって、千春が取り出したタッパに釘付けになっているくらいだ。
「豊浦の言う通り。照れることないよ、千春。本当に美味かったんだから」
相変わらずの秀麗な微笑みは、知り合って一ヶ月が経つというのに全く慣れない。
笑いかけられるたびに、心がスーパーボールのように跳ねて、うまくキャッチできない。
それに、慣れない理由は美人すぎるだけではない。
ふとした瞬間の雰囲気が、葵留に似ているからだ……。
「で、千春様。このタッパの中にあるのは──」
待ちきれないと言わんばかりに、仙太郎が蓋が開かれるのを待っている。
「はい、ご察しの通り、唐揚げでございます。どうぞ、ご査収ください」
千春の言葉に拍手が湧き上がると、惠護と仙太郎が腕まくりして爪楊枝を手に取った。
唐揚げに限らず、千春は大抵の料理を作れるようになっていた。
高一の夏休み、葵留に食べてほしくて必死で特訓した。
そのおかげで、母からは感謝されまくった。
けれど、一番食べてほしい人は、もういない……。
「あ、待った」
今にも爪楊枝が唐揚げに突き刺さる寸前で、千春は二人の前からタッパを取り上げた。
目が点になっている食べ盛りの男子を尻目に、千春はスタスタと食堂の隅へと歩いて行く。
「えっ! 千春、どこに持って行くんだよー」
「トースターっ。これで温める方が美味しくなるんだ」
食堂にはセルフで使用できる電子レンジやトースターが置いてある。持参した弁当など温めることができるのは、寒さが増す季節にはありがたい。
特に、唐揚げやフライものはレンジではなくトースターの方が、カリッと感を再現させることに長けている。
「ふまっ! ひはふ、へんさい! なんほへもくへるわ」
肉で口の中を一杯にしたまま、仙太郎が感想を伝えてくれる。でも、もはやその言葉は日本語とは思えず、千春は、何て、と耳の遠い老人のようにふざけてみた。
嬉しさと同時に、また少しだけ胸が痛む。
楽しいやり取りの合間にも、ふと今、葵留がいたらな、とか、葵留だったらなんて言うかな、なんて考えてしまう。
「あー、美味い。幸せだぁ、なあ、豊浦」
「ですね、これは飽きない味っす。腹一杯でも食える」
「それな。柚子胡椒がほんのり香るのがいいよな。でも、あれも美味かったんだよ。何んて名前だったかな、あの白いハンバーガーみたいなの」
「パオですか? 中華バーガー的な」
「そうそう。あれも絶品だった」
唐揚げを頬張りながら、惠護が思い出して喉を鳴らしている。
「え、何それっ。俺食ってないぞ、千春!」
三個目の唐揚げを爪楊枝で刺したまま、仙太郎が目を剥いて訴えてきた。
「あー、あれは惠護先輩が、焼き豚食べたいなって言ったから。じゃ、作りましょうかって。でも、焼き豚だけじゃ味気ないから、それならパオにしちゃえって……」
「いやいや、じゃ作りましょうかって簡単に出来るもんじゃないだろ。あの白いパンみたいなのも、どうやって出来てるのか皆無だわ」
仙太郎が、両手のひらを上に向けたまま肩を竦めて戯けた顔をする。
いちいち大袈裟なリアクションに、呆れてため息を吐くと、惠護と目が合った。
CMのように唐揚げを掲げ、百点満点の微笑みを向けてくれる。
次は何を作れば、またこの笑顔を見ることができるのかなと、頭の中でレシピアプリを検索していた。
「えっと、パオは意外と簡単だよ、ホットケーキミックスで出来るし。焼き豚も焼き目をつけたあとは煮込んでるだけで仕上がるから。でも、惠護先輩に褒めてもらえて嬉しいです。レパートリー増えたのも先輩のおかげですし。けど、材料費を出して貰ってるのが、本当に申し訳ないんですけど……」
「それはいいんだよ。俺が頼んで作ってもらってるんだから、材料代だけであんな美味いもん食えるなら十分過ぎる」
「いやいや、ちょっと待って下さい。今の話し聞く限り、上条さん、千春と頻繁に飯を食ってませんか?」
最後の唐揚げを、惠護から視線で譲り受けた仙太郎が二人を交互に見てくる。
「そう言われれば……ここ最近、週末は一緒にいるかな。お互いのバイトがない平日とかも」
な、とウィンクして惠護に言われると、なぜか返事に困った。
そうですねって、軽い口調で返せばいいだけなのに変に身構えてしまう。
「いつの間にそんな仲良くなったんだよ、俺の方が先に上条さんと知り合いだったのに」
最後の一個を堪能し終えると、仙太郎が不思議そうに千春を見てきた。
「いつの間にって……。そっか、仙太郎は惠護先輩と学部同じだもんな」
タッパを片付けながら、惠護と初めて出会った飲み会も、工学部がメインだったなと思い返す。
「学部って言えば、忘れてた。上条さん、お願いしてた講義レポート、持ってきてくれました? 上条さんが一年のとき書いた、専門科目の『建築材料実験』したときの」
リュックを肩にかけながら、仙太郎が思い出したように口にする。
「ああ、あれか。ちゃんと持って来てやったぞ。基本的特性を理解するってやつな。えっと、どこに入れたっけな……」
惠護がカバンに手を突っ込んで、ゴソゴソと目当てのものを探している。
そのときだった。
ひらり、と一枚の細長い紙片が、鞄の隙間からこぼれ落ちた。
「あ、上条さん。何か落ちましたよ」
仙太郎の声に、千春も自然と床へ視線を落とす。
床に落ちていたのは、青い長方形の小さな紙で、紐のようなものが付いていた。
仙太郎が何気なく手を伸ばしかけた瞬間──
「い、いいっ、自分で取る!」
声を上ずらせながら、惠護が素早く手を伸ばし、青い紙を掴み取った。
その動きには、不自然なほどの焦りが見えた。
誰にも見せたくない、大切なものを慌てて隠すような、そんな仕草だった。
惠護の背中を見つめながら、千春の胸にわずかな違和感が残る。
何か大切なことを忘れているような、でもそれが何なのか、思い出せない。
まあ、いっか……。また思い出すだろ。
違和感の正体を突き止めることを諦め、千春もリュックを手にした。
目の前ではレポートの話なのか、惠護と仙太郎が二人にしかわからない言葉で会話をしている。
自分だけが違う学部なのが、ふいに寂しく感じた。
最近、惠護と一緒にいることが増えた分、惠護を独り占めしたいと欲張りになっている気がする。仙太郎だけでなく、他にも惠護と仲のいい人はたくさんいて、自分でも図々しいなと、ちょっと反省した。
「じゃあな、千春。また明日」
憂いた心を悟ったように惠護が頭を撫でてくれた。
「あ、はい。また、明日……」
「千春、白いバーガー俺にもな」
講義へ向かう仙太郎にねだられ、「はいはい」と手であしらった。
親友に対して遠慮のない仕草が可笑しかったのか、惠護が楽しそうに笑っている。
完璧な笑顔に目を奪われていると、「よお、惠護」と、数人の男女が惠護の周りに集まってきた。
惠護の肩に手を回し、楽しげに戯れあっている。
同じ学部なのか、女生徒も惠護の腕を取って教室へ向かおうと誘っていた。
「お前ら、引っ張んなよ。じゃあな、千春。今度はチキンカレーよろしくっ」
友人たちに拘束されたまま、惠護が手を振ってくれたのに、無言のまま顔を逸らしてしまった。
それをしまった、と思ったときには、もう遅かった。
返事もしなかった千春を、どんな風に惠護が見ていたのか。
友人たちに囲まれている姿を見たくなくて、不貞腐れたような態度を取ってしまった。
感情に任せた態度や言葉をぶつけると……後悔することになるかもしれないのに。
独占したい気持ちは危険だ……。
誰かに執着しすぎると、それは思いではなく、心を沈める〝錘 〟になってしまう。
千春は一人、別の教室に入ると席に座りながら、過去に放った言葉を引っ張り出した。
——先輩なんて、どこにでも行けばいいっ!
酷い言葉を叫んだ自分の顔は、とても醜かったと思う。
自己中な言葉と、睥睨 した顔を大好きな人に焼き付けた自分は最低な人間だ。
「おまけに、大っ嫌いなんて……」
組んだ腕を机に乗せ、そこに出来た僅かな空間に顔を埋めると、小さな闇に後悔をこぼした。
意識せずとも、大好きな人のことは簡単によみがえる。
見る夢も、想像や妄想も、葵留の顔は傷だらけで、いつも悲しげに微笑んでいた。
授業にも出ず、いつまでも旧校舎にいたがる葵留を千春はいつも叱っていた。
タバコを注意したのは、真剣に心配していたからだけれど、同じくらい葵留をかまいたくて、そして自分にも興味を持って欲しかったからだ。
好き過ぎて、照れ臭くて、心にもない口調や態度で素直になれなかった幼い恋。
——真面目だな、ちは。
千春が偉そうに言っても、いつだって優しく髪を撫でてくれた。
笑顔と優しさをもらってばかりで、自分は怒った顔や拗ねた顔しか見せず、何も返せないまま、あの人は遠くへ逝ってしまった。
愚かな自分は大切な人を守ることも、幸せにすることも出来なかった……。
いやになるほど、悔しい……。
ともだちにシェアしよう!

