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第2話

 俺は公爵の親書を持って子爵家へ帰り、数日後、荷物を纏めて公爵家に戻ることになった。  公爵家から正式な執事として依頼されたと報告したとき、子爵は戸惑った顔をしたが、書簡を読んだら目を輝かせた。そして「ぜひお役に立ってきなさい」と満面の笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。  どうやら公爵から、俺を譲り受ける対価として結構な額を提示されたようだ。  少しは惜しんだり心配してくれよと思うが、そういう人物じゃないのはよく知っている。  さすがに心配してくれた父には、どうにかやってみるよと肩を竦め、前回よりはしっかり荷造りして公爵家へ戻った。道中の馬車の中で、ちょっとだけドナドナを思いだした。つまり、そこまで悲愴でもないということだ。もちろんワクワクするわけでもない。数日経過し、淡々と受けとめられるまでに至っていた。  到着すると、荷物をひと先ず自室へ置き、公爵の元へ向かった。  公爵の執務室前まで行くと、メイド長のスザンナがちょうど入室しようとしたところで、俺も彼女の後に続いて入る。公爵は休憩中だったようで、ソファで長い脚を組み、ティーカップ片手に新聞を読んでいた。  窓から差し込む日差しが彼の艶やかな銀髪や冷たそうな横顔に陰影を作り、整った容姿を際立たせている。まるで絵画のようだと、思わず見惚れそうになる。  イケメンはすごいな。ただ紅茶を飲んでるだけで絵になるんだ。  俺もまあまあ整っているほうだと思うが、さすがに絵にはならない。 「旦那様、ボナーさんが戻りました」  メイド長の声掛けに公爵が顔を上げ、こちらを向いた。とたん、人形のように冷たそうだった表情に威圧感が増す。  ぼんやり見惚れかけていた俺はすぐに正気をとり戻し、報告した。 「ただいま戻りました。こちらでお勤めするということで、子爵から許可を得ました。改めまして、明日からよろしくお願いします」 「そうか。よろしく頼む。いきなり一人では大変だろうから、あなたの補佐として、侍従のマシューをつけることにした」 「わかりました。マシューさん、ですね」 「スザンナ、あとで二人を引きあわせてやってくれ」  公爵は手にしていたティーカップと新聞を置き、咳払いをした。それから俺を見つめて、やや硬い口調で言う。 「私は、家の者をファーストネームで呼ぶことにしている。これからあなたのことを、ユーイン、と呼ぶつもりだが、いいか」  なぜか緊張した様子であることに戸惑いつつ、俺は頷いた。 「もちろん、なんでもかまいません。私も、これからは公爵様ではなく旦那様とお呼びすべきですね」  どちらでもよさそうな気もするが、この家の流儀では「旦那様」で統一しているようなので一応確認した。俺の母親くらいの年齢と思われるメイド長も静かに頷く。が、公爵が待ったをかけた。 「いいや。クライド、と」  俺と目を合わせて、重ねて言う。 「クライドと、呼んでくれ」  メイド長が、急になに言ってるんだと言いたげな表情を公爵に向けているのが視界の端に入るが、たぶん俺も同じような顔をしていると思う。  俺たちの態度に、公爵はちょっと気まずそうに咳払いをし、メイド長に言いわけしだした。 「その、父が他界してから、家の者は私を旦那様と呼ぶようになっただろう。だがそれははたして適切だろうかとずっと思っていたんだ。スザンナにとって主人は私ではなく父だったし、私をそう呼ぶのは慣れないだろう」 「たしかにそうでしたが、いまはクライド様が私の主人でございますし、すでに慣れましたが」 「いや、そうは言ってもだな。慣れない者もいるだろうし、使用人だからといって無理に旦那様と呼ぶ必要はない。だからスザンナも他の者も、以前の呼び方に変えてくれていい」  メイド長は相変わらず怪訝な顔だ。  ともかく公爵は名前で呼んでほしいようだ。 「ええと、ではクライド様とお呼びしますね」 「ああ」  公爵は頷くと、ほっと息をついて俺を見つめた。  ……。  えっと。  公爵、俺から視線を外さないけど、もう話すことないよな? 俺はないぞ。  会釈をして部屋を出ようとしたら、とっさに、というように公爵が呼びとめた。 「ユーイン」 「はい、なにか」 「……少し、茶につきあわないか」  また圧が強まる。  表情は変わらないのにこの威圧感ってなんだろう。動物の第六感みたいなものか。いやそれもあるかもだが、この人、目力が強いんだな。  それにしても、公爵から茶に誘われるなんて初めてだ。名前呼びといい、急にどうした。  ここで働いていた一週間、公爵と話す機会は初日と最後の日くらいで、それ以外は声をかけられたこともなかったのだが。何か話でもあるんだろうか。  だが貴族とお茶なんて、気詰まりだ。  仕事の話なら仕事中にしてくれたらいい。そうでなく暇潰しの相手をしろというなら、他をあたってほしい。 「お誘いありがとうございます。しかし私はこれから荷解きをしないとなりませんので、これで失礼します。仕事の話でしたら明日承ります」  ギョッとするメイド長を後目に、俺は踵を返した。  主人のお茶の誘いを断る使用人なんて、前代未聞だろう。  でもなあ。  偉ぶった貴族が嫌いってだけでなく、公爵って、なんかちょっと苦手なんだ。  傍にいると胸がぞわぞわする。なんだろう、あの威圧感のせいかね。  できれば距離を縮めたくない相手だ。  あとでメイド長からなにか言われそうだが、俺はいつここを離れても問題ないので気にしない。  出口へ向かう際、補助机の上に積んである郵便物が視界に入った。公爵宛の郵便物の仕分けは家令の仕事だが、家令がいないので山積みになっている。俺がその横を通り過ぎたことで、山の一番上にあった封書がひらりと床に落ちた。  それを拾い上げ、なにげなく差出人の名を見た俺は目を剥いた。 「……ローレンス・グリーンカレー……?」  差出人の名を思わず呟くと、それを聞いた公爵が反応した。 「ああ、彼から届いていたか。変わった名だろう。だがれっきとした本名で、不審なものじゃない。私の友人だ」  俺はそれを聞き、呆然と顔を上げて公爵を見た。それから再び封書に目を落とす。  衝撃、だった。まさに後頭部をガツンと叩かれたような。 「公爵…クライド様の、ご友人…?」 「そうだが」 「……」  ローレンス・グリーンカレー。  その名を俺は知っていた。  それは前世で読んだ推理小説シリーズの主人公の名前だ。  基本短編の一話完結もので、探偵であるローレンス・グリーンカレーと、その友人で助手のバーモンドが事件の謎を解いていく。謎解きは普通だが、二人の独特な会話が面白い作品だった。  偶然名前が一緒なだけかもしれない。しかしグリーンカレーなんて苗字、他に聞いたことがない。 「……王都で、探偵をしてらっしゃる……?」 「そうだ。なんだ、知っているのか」 「……」  これは…やっぱり、そうなのか……?  王都で探偵をしているグリーンカレーが何人もいるはずがない。  ということは……ここは、あの小説の世界だったのか……? 「ユーイン?」 「…あ、失礼しました。驚いてしまって。ええと、知っているといっても、噂で少し、です」 「ほう? どんな噂を?」 「…その、王都で活躍されていると…詳細は覚えていないです。失礼しました」  衝撃が強くて頭が働かない。ひとまず頭を整理したく、俺は封書を戻して急いで部屋を出た。  廊下に出ると、しばし立ち尽くした。それからふらふらと、自室へ足を運ぶ。  本当にここは小説の世界なんだろうか。  公爵の友人というグリーンカレーに会ってみないことには、確信は持てない。  しかしそうだと思えば、納得できることもある。小説もこの国もヨーロッパ風文化といいながら、お辞儀だとか出汁だとか、日本っぽい文化が混在している。桜やイチョウの木があったりもする。だからこそ前世を思いだしたときには、なにかの漫画の世界に転生したかなと思ったわけだが。しかしあの小説の世界だったとは……いままでわからなかったはずだ。  小説に出てくる架空の地名なんて覚えてないし。ここが地方のせいか、グリーンカレーがまだ大きな活躍をしていないせいか、彼の記事が新聞に載っていたことはなかったし。  グリーンカレーという名前が目にとまらなかったら、今後もここが小説の世界と気づかず過ごしていただろう。  小説でグリーンカレーが解決する事件は王都の出来事が多いが、地方の話もあった。この公爵領で起きる事件もあっただろうか。  そこまで考えて、ハタと気づいた。  そういえば。 「…グリーンカレーの友人で…、公爵って登場しなかったか…?」  シリーズは基本的に短編で、二人の推理がメインだが、たまに二人がわき役となり、別の人物の人生ドラマの長編があったりする。  グリーンカレーの友人の公爵が主人公だった話があった気がする。  その言動が常に冷酷無慈悲な、悪役主人公だ。  鉄道敷設権を持ち、莫大な富を持つ公爵は、その富と権力を巡って親族や敵対貴族と、交渉と策略によって戦っていく。物理的に命の危険に晒される場面も何度かある。そんな中、一人の女性と出会い、恋に落ちる。父親の教育によって人間不信に生きてきた公爵だったが、その女性のことは信じ、婚約する。しかし結婚直前にして女性の裏切りを知る。絶望に打ちひしがれ、それでも前を向こうとしたときに、かつて解雇した使用人に殺されるのだ。  殺人犯は、当初は弟と目されていたが、グリーンカレーたちの推理によって真犯人が使用人だったとわかる、という結末。  作中の、公爵の名前は忘れていた。でもよくよく記憶を探ってみると、たしかアルドリット公爵と呼ばれていた気がする。  グリーンカレーの友人で、鉄道敷設権を持つアルドリット公爵といったら――クライド・アルドリットに違いないじゃないか。 「マジか…」  公爵、殺されちゃうのか……?  もしここが本当に小説の世界で、小説通りにいったら…って、ちょっと待て。  あれ? 犯人である解雇された使用人って、たしか――執事じゃなかったか?  家令の息子のドミニクは執事。 「……」  あれ。やばいぞ。  もしかして事件の発端は、俺がよけいなことをしてベアード親子を追いだしちゃったせいか?  あれで公爵を逆恨みして殺意を抱いた…?  そういうことだよな…? 「つまり、俺のせい…」  嘘だろう…。  逆恨みするなら公爵じゃなくて俺じゃないか? とも思うが。  俺はめまいを覚えて、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

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