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第3話

 小説に俺は登場していなかったはずだ。出ていたとしても名前もセリフもないモブ。このまま何も知らないふりをしていても、俺が咎められることはない。  だが俺のせいで職場で殺人事件が起きるのは寝覚めが悪い。当然避けたい。  どうしたら回避できるだろう。  まずは、今が小説のどのあたりの場面なのか把握したい。  小説内でも年号が記されていたが、もちろん覚えているはずがなく、公爵の身のまわりで起きる事件から予想するしかない。  たしか、前公爵が亡くなり、主人公が公爵位を継いだ後、賊に襲われたはずだ。そして、どこかの領地の鉄道敷設権を奪いとる。それからどこかの駅舎の管理を任せていた親族にハニートラップをかけられ、仲たがいする。その後王都に出かけた際に恋をする。物語が進み、再度命を狙われて重傷を負うが、助かる。  最終的に殺されるまで、危険な目にあうのは二回。  仕事や恋愛などは第三者からはわかりにくいが、怪我したことならば使用人でもわかるだろうから尋ねてみよう。  あれこれ考えているうちに夕方になり、腹が空いてきたので食堂へ向かった。  使用人の食堂は厨房の続き間で、細長いテーブル一脚と丸椅子が十脚置かれただけの狭い部屋だ。ベアード親子は上級使用人ということで別室で食事をしていたようだが、俺は先週もここで食べていたし、今後もここで食べるつもりだ。  中を覘くと、七人ほど使用人がすわり、食事をしていた。入室するなり俺は姿勢を正し、彼らに向かって声を張り上げた。 「明日より公爵家の執事を務めるユーイン・ボナーです! よろしくお願いします!」  厨房の料理人たちにも聞こえただろう。  公爵家の使用人に好まれる挨拶は上品寄りかもしれないと思ったりもしたが、俺の経験上、この体育会系のノリがもっとも受け入れてもらいやすい。  予想通り、その場にいた全員が食事の手を止め、拍手で迎えてくれた。 「敬語なんて使わないでくださいな。執事様なんだから、威張っていいのに」 「威張れませんよ。この屋敷で一番新人でなにもわからないのに。色々教えてください」  促され、空いている席にすわる。メイド長もいて、向かいにすわる青年が俺の補佐となるマシューだと紹介された。朴訥な雰囲気だが計算が得意とのことで補佐に推薦された、赤毛にソバカスのある十八歳の青年だ。  その場にいたみんなから一通り自己紹介を受け、料理長から貰った夕食を食べだすと、マシューがへにゃ、とした笑顔を見せて、吐息交じりに言った。 「よかった…いい人で」 「なに言ってんのよ、いい人どころじゃないでしょ。あの威張り腐ったスケベ親子を追いだしてくれたのよ! 英雄よ!」  俺の隣にすわる若いメイドが言い、「そうそう」と周囲が同調する。  あの親子、相当嫌われてたっぽいな。 「ユーインさんも執事だから同類かもなって最初は思ってたんだけど、こうして私らと食事してくれるし、気さくだしねえ」 「先週は、誰も話しかけてくれなかったですよね。私が位の低い子爵家の使用人だからかと思ってました」 「やだ、それは違うの。執事様って私たちより偉いでしょ。下手なこと言って怒らせないよう警戒してただけなの」  客人扱いだった先週は、公爵や家令親子だけでなく使用人たちも必要以上話しかけてこなかった。だから使用人たちからも歓迎されていないと思っていたし、今後やりにくそうだなあと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。  ホッとして少し笑みを漏らす。するとそれを見たメイドの数人が、驚いたように固まった。  これまで疎外感を覚えていたし、話す機会がなかったから笑顔を見せる機会もなかった。公爵みたいに笑わない男と思われていたのかも。  食事を終えたメイド長が先に席を立つと、その後は屋敷内の情報収集となった。 「ここだけの話、公爵家の人たちってどんな感じですか?」 「どんなって…見ての通りよ」 「気をつけるべきこととか、あったら教えてほしいです。現在ここにお住まいなのは、クライド様とサイラス様のお二人、その他にはどなたかいますか?」  公爵の母もすでに他界しており、住んでいるのは息子二人だけと聞いている。が、そう公表していても、じつは愛人やその子供も同居しているといったケースが貴族家にはよくあるので、一応確認しておく。 「いいえ、お二人だけよ。奥様は五年前にご病気で亡くなったし」 「奥様…ああ、思いだしたくもないわ。人使いが荒いしメイドいびりがひどい人だった。息子二人もあれだけど」 「やめなさいよクレア」 「黙ってたって、ユーイン様もわかってるでしょ」  息子二人はあれ呼ばわりか。なるほど。  遠慮なく口を割りそうなメイドに尋ねる。 「貴族じゃないんだからユーインでいいですよ。あれってどういう意味?」 「サイラス様は女と酒と金、賭博。ご友人がたも似たり寄ったり。旦那様は冷酷無慈悲、人を人とも思わない、前公爵と同じ拝金主義者。きっと私たちなんて虫けらと一緒と思われてるわ」 「なるほど…ご結婚の予定などは?」 「お二人ともご結婚されてもおかしくない年齢なのに、まだ独身で婚約者もいらっしゃらないの。サイラス様はもっと遊びたいからでしょうね。旦那様は金儲けに夢中で、結婚したら財産が減ると思ってるのよきっと」 「旦那様のお相手は政略結婚になるでしょうね。愛されず、お可哀そうな未来が見えるわ」  聞いているうちに、俺なんてそっちのけで、メイドたちだけで盛り上がりだした。  兄弟揃って使用人たちにいい印象を抱かれていないようだ。  まあ、どこの家も、貴族宅はそんなものだろう。ドプソン子爵家でも、使用人は主家の悪口を言いあってストレス発散し、それによって仲間意識を高めたりしていた。 「あー、えっと。クライド様ってそんな拝金主義者なんですか?」 「ええ、そういう話よ」 「それは恨みを買いやすそうで怖いな。いつだったかな、取引でケチったどこぞの貴族が相手の恨みを買って銃で撃たれたって話を聞いた気がしたけど、もしかしてそれってここの公爵の話じゃなかったですよね?」 「そんな話は知らないわ。少なくともうちの旦那様じゃないわね」  適当な話をでっちあげて尋ねてみたら、メイドは否定した。  最初に賊に襲われたときは、銃撃された。しかしメイドたちの反応からすると、公爵が銃で撃たれるような事件はまだない様子だ。  恋人や婚約の話もない。まだ物語の序盤のようだ。  とりあえず知りたい情報は得られたので、食事を終えて席を立った。  さて。どうするか。  物語で起こる事件は、最後に殺される以外は公爵が自力でどうにかするので、俺は手出し無用。  殺されるまでまだ時間があるはずだから、それまでにベアードと接触し、恨みを抱かないよう説得するか……難しそうだな……。下手したら俺が殺されかねない。  まあとにかく、まだ時間はある。ひとまず置いておいても問題ないだろう。  それより早急におこなうべきは、ここの仕事を覚えることだな。  客分ではなく正式に就職したので、明日は改めてメイド長に屋敷内を詳しく案内してもらい、まだ見ぬ他の使用人に挨拶せねば。それから公爵と仕事の打ち合わせ。そんなことを考えながら就寝し、一日を終えた。 「クライド様、ベアードさんたちの行き先はご存じですか」 「さあな」  翌日、公爵と会うなり尋ねてみた。返ってきたのはすげないひと言。 「他にも余罪があったりですとか、忘れものだとか、なにか連絡をつけたい場合はどうなさるんですか」 「どうしようもないな。この屋敷の近くに家を持っていたから、しばらくはそこにいると聞いていた。だがすでに退去して、もぬけの殻らしい」  まだ数日なのに、消えるの早いな。  横領した金はすべて博打で失ったらしいし、ここではもう暮らせないか。 「どうして聞く? 忘れ物でもあったか」 「いえ…私としましては、少々責任を感じておりまして……遺恨を残さぬためにも、彼らに次の奉公先を斡旋してやるとか、そんなお気持ちは…」 「あるわけないだろう。罪人を他家に紹介するなんて、できるわけがない。本来なら警察に引き渡すところを解雇ですませただけでも感謝してほしいものだ」  まあ、そうですよねー。  うーん。行方がわからないとなると、困ったな。  おそらくその時期が近づいたら、殺す隙を探るなどの理由で近場に潜んだりするだろう。それを見つけるしかないかな。  俺が仕事の合間に探すのは難しいだろうから、人を雇うべきか。それまでは、公爵の外出時はできるだけ付き添うことにしよう。  ベアードのことはとりあえずそれでよしとして。頭を切り替えて、今日の仕事だ。  まずはこの時間に集まれる使用人に集合してもらい、挨拶をした。  挨拶を済ませたらメイド長に屋敷内を案内してもらう予定だったので、その旨を伝えて公爵と別れようとしたら止められた。 「私が案内しよう。メイド長は忙しいだろうから」 「クライド様もお忙しいのでは」 「まだ大丈夫だ」  というので、公爵に案内してもらった。  先週は執務室と自室周辺の、必要最低限の区域しか立ち入らなかったが、公爵家族の私室や、美術品の保管庫なども案内された。それから、公爵は滅多に訪れないであろう洗濯場や物品庫など裏方の現場も足を運ぶ。  執事に制服はないので、俺は子爵家にいたときと同じ茶色の野暮ったいスーツを着ている。斜め前を歩く公爵は、装飾控えめだが高級感のある黒地のスーツ。喪中のためいつも黒のスーツなのだが、よく似合っている。背広は身体にフィットしていて、胸板の厚さがよくわかる。顔がいいだけじゃなくスタイルもいい。歩く姿勢も完璧で、つい目がいってしまう。素直に格好いいと思う。俺もこんな男になりたかった、などとくだらないことを考えながら洗濯場を出ると、公爵がちいさく息をついた。 「自宅なのに、洗濯場に来たのは子供の頃以来だな……落差が露骨で、いっそ見事なものだな。屋敷も人間を現わしているな…」  公爵家の私室や廊下は壁や柱、窓枠、目に入るすべての内装装飾が煌びやかだが、裏方の現場は装飾など一切ない簡素な造りで、下地材がむき出しだったりもする。そんなことは貴族の屋敷で働く者にとっては当たり前のことだが、公爵は裏方の区域に久々に足を運んだようだ。改めてその差を目にし、なにやら思うことがあったらしい。できる使用人としては、スルーしておくに限る。  災害時の避難経路や対応についての説明を受けながら残りをまわり終えた。 「ところでクライド様、先月からの各種事業や領地に関する帳簿が見当たらないのですが」  前公爵が他界して以降の帳簿が、家令の執務室にはなかった。 「私が持っている。父がいなくなってから、私がつけているんだ。父のようにすべてを家令や執事に任せてしまうのは、やはりよくない」 「そうでしたか。では、私の分担は」 「あなたには、屋敷の管理を任せたいと思っている。まずはそれを覚えてほしい。その後、領地を。いきなり全部の仕事を押しつけるつもりはないんだ」  不意打ちで配慮ある言葉を投げかけられた。とりあえず「ご配慮ありがとうございます」と返しておく。  でも、公爵には以前から彼自身が分担している事業の管理もあるはずで、すべてを一人でとなると負担が大きいんじゃないかと思うのだが。できるのかな。  俺の心配をよそに、公爵が話を続ける。 「前任者もいない状況で、わからないことも多いだろう。そこでだな」  ブルーグレーの瞳がこちらへ向けられた。 「しばらくは私の執務室で仕事をするといい」 「…クライド様の執務室で、ですか」 「ああ。同じ部屋にいたほうが、その都度聞きやすいだろう」  まあそうだろうけど。  公爵、マフィアのボスみたいに威圧感を出しているくせして、言っていることは親切でまともだ。  そう、この人、態度は偉そうだけど、じつはそんなに悪い人じゃないんだよな。  公爵が小説の主人公だと気づいたことで、俺はこの世の誰よりもこの人の内面を知る人間となってしまった。お陰で初対面のときに抱いた反感は薄れている。  メイドたちは拝金主義者だとか言っていたし、小説でも悪役主人公として冷酷に振舞っていたが、そうなったのは理由がある。じつは父親の教育がひどかった。公爵家の次期当主となるため、人に騙されないように、人に隙を見せないようにと徹底的に教育された結果、人間不信に陥ってしまっただけで、言われるほど拝金主義なわけではない。  メイドたちは自分たちを虫けらとしか思ってなさそうと言っていたが、メイドに限らず、全人類を信じられないだけなんだ。  人を信じられない。でも、本当は信じたいと思っている、孤独なやつなんだ。  初対面のとき、立ちあがって出迎えてくれたり、すまないと言ってくれたように、庶民だからと見下すような男じゃない。威圧が強いことは小説には出てこなかった気がするが、虚勢とか癖みたいなものじゃないかな。  今も圧をかけるように俺を睨んでいるんだが、たぶん俺の反応を窺っているだけなんだろう。  しかし、そうやって圧をかけるの、怖いからやめてほしいんだが。整った容姿だからよけい怖さが増す。  ちょっとくらい笑ってみせたらいいのに、と思い、そういえば自分だって人のことを言えないと気づいた。  俺もあまり笑わないタイプだ。ヒョロッとしていて舐められやすいから。貴族の前では特に。  でも笑顔はコミュニケーションの基本だよな。よし、笑おう。 「わかりました。では、このあと執務室に戻ったら引っ越し作業ですね」  笑みを浮かべてそう答えた。すると、公爵は驚いたように目を瞠り、立ちどまった。「クライド様?」  小首をかしげて見上げると、彼は片手で口元を覆い、俺から視線を逸らして歩きだした。 「……。そう、だな」  なんだその反応。  その後公爵は、立会人として出席を求められている裁判所へ向かう予定があり、昼食をとる暇もなく慌ただしく出かけていった。  忙しそうだけど、俺の仕事も任せちゃって本当に大丈夫かね。

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