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第8話

 公爵家に戻ってからも、公爵が毎日俺の怪我の手当てをした。そして一週間目の午前中、無事に傷も塞がり抜糸を済ませた。 「ユーイン。昼食後に出かける。あなたも一緒に来てくれ」 「どちらに」 「あなたの服を仕立てに」 「はい?」 「先日の銃撃で、シャツも背広も駄目にしてしまっただろう。弁償したい」  公爵はあの出来事に責任を感じているらしい。そりゃそうだよなと思うし、その心情を思うと、遠慮せず買ってもらうべきだろう。  執事は制服ではなく自前の服を着る。俺はスーツを二着しか持ってなくて、そのうちの一着を駄目にしたわけだ。しかもあれから買いに行く暇もなかったから素直にありがたい。  しかし普通は金を渡されて好きに買って来いって感じになると思うんだが、公爵も一緒に行くってどういうことだろうと疑問に思いつつも承諾し、昼食後、公爵と共に馬車で外出した。  目的地は街中にある公爵家御用達の仕立て屋。公爵が服を買うときには屋敷に店主を呼んでいて、公爵自ら店に足を運んだことはなかったという。事前に連絡もしていなかったから、店に入ると店員たちはたいそう驚いていた。しかも買うのは公爵じゃなくて俺の服。 「どういうのが好みだ」 「好みは…着心地がよいものがいいです。公爵家の執事として恥ずかしくないものでしたら、デザインはどのようなものでも」  デザインの好みはない。悪目立ちするものでなければなんでもいい。  そう告げたら、公爵がテキパキと既製品の棚からスーツを数着選び、俺に着るよう言ってきた。  それから公爵はソファにすわり、試着した俺の姿を真剣に眺める。すべて試着を終えると、俺は店員に採寸をされた。  女性じゃないし、シャツとズボンを着ているためか、試着室の前、公爵が見ているところで採寸される。途中、公爵に見られているのに気づいてなんとなく目を向けたら、公爵は慌てたようにバッと顔を背けていた。それからカタログを開き、店長に指示を出す。 「どれも似合っていたな。気に入ったものはあったか」 「あ、はい。二番目に着たやつが一番無難で、着心地がよかったです」 「ああ、あれか。わかった。店主、試着したものはすべて貰う」 「いやクライド様、聞いてました?」  俺のツッコミに公爵は平然と「ああ」と答え、支払いを済ませてスーツを馬車に運ばせてしまった。  買うのは一着と思っていたのだが、結局、試着した四着の他、オーダーでも三着購入してもらってしまった。靴や手袋などの小物も。 「ありがたいですけれど、そんなに必要ないのですが」 「あなたのことだから、そう言う気はしていた。これから頻繁に、私の用事につきあってもらうことになる。それらしい服が必要だ」 「それらしい服、ですか」 「あなたは私の恋人だろう」  なるほど。そういうことか。  俺は公爵の恋人役になったのだった。  いつも同じ地味で安っぽいスーツじゃ、公爵の恋人っぽくないもんな。演出は大事だ。  店を出ると、公爵は「少し歩こう」といって馬車に戻らず、商店街を歩きだした。  行きかう人がチラチラとこちらに視線を向けてくる。  公爵が街を歩くのが珍しいということもあるだろうが、単純にイケメンに目がいくというのもあるだろう。  冷たそうだったり威圧的な感じだったりするが、それを凌駕する美形ぶりだからな。俺だってつい見惚れるくらいだ。 「ユーイン。こちらに入ろう」  少し歩き、仕立て屋の並びに立つカフェに立ち寄ることになった。  公爵がテーブル席に着く。俺は控えていようと思ったら、向かい側にすわるように促され、メニューを選ぶよう言われる。  疲れるほど仕立て屋で時間を使ったわけでもないはずだが、なぜカフェに来たのか。そりゃ、そういう気分のときもあるだろうけれども。若干戸惑いつつ、公爵と同じコーヒーを注文する。 「サイラスに節税の提案をしてくれたそうだな」  コーヒーを待つあいだ、公爵が話題を振ってきた。 「ああ、はい。と言いましても、たいしたことでは。サイラス様はお金のかかる趣味が多いようでしたから、財団でも作ったらいかがかと。趣味に使う金はそちらに置いておけばよろしいとお話ししました」  三日ほど前、公爵の弟サイラスに節税のアイデアがないか訊かれたので、そう答えた。 「財団?」 「ええ。簡単に言えば利益を追求しない会社、みたいなものでしょうか。税金対策に有効かと。周知されていないためか、我が国で設立された方はまだいらっしゃらないようですが、法的に問題ありません」  前置きし、詳しく説明してやった。 「なるほど。あなたはいろいろなことに詳しいな。あなたを雇えてよかったと心から思う」 「いや、そんなお褒めいただくような助言はしておりませんよ」  淡々と答えると、公爵が口元を少し歪ませるようにして苦笑した。 「謙虚だな」  コーヒーが運ばれてきて、公爵がカップに口をつける。 「初対面のときのあいつの態度はひどかったが…あれから、あなたに妙なことを言っていないか?」 「はい。ほとんどお会いする機会もありませんし」  サイラスは酒にギャンブルに女と、派手で自堕落な生活を送っていたが、父親が他界してからは控えているようだ。また自分の収支に関しては自分で管理しており、意外ときちんとしている面もある。彼付きの侍従がしっかりしているので、サイラスが不在でも連絡事項等で困ることもない。 「そうか……。だったらいいんだが」  公爵は小さくため息をつき、コーヒーカップに目を落とした。思案するように黙り込む。  なぜサイラスの話題を振ってきたのか。その理由は心当たりがある。  じつは昨日、先日の襲撃事件の黒幕が判明したのだ。俺も公爵と一緒に報告を聞いた。襲撃犯の依頼者は小説通り、サイラスの信奉者だった。名をクレイトンという、男爵家の次男だ。現在行方がわからず、警察が捜索中という。サイラスの友人であることも報告されている。  公爵の心の中で、サイラスへの疑念が芽生えたところかもしれない。  よけいなお世話かもしれないが、こじれる未来を知っている俺としては無視できない。  当初は無視するつもりだったんだけど、やっぱり目の前で起きていると、干渉したくなるものだ。 「クライド様。クレイトンの件ですが。昨夜、私なりに調べてみたのですが、クレイトンの犯行は、サイラス様の意思とは無関係です」  断言すると、公爵の目が俺に向けられた。 「理由は」 「クレイトンはサイラス様の信奉者だったようです。そのことをサイラス様はわかっていない様子です。そしてこれは特にお伝えしたいのですが、サイラス様は公爵の地位を望んでおりません。三日前にお話ししたときに、そうおっしゃっておりました。自分は楽に生きたい、公爵なんて面倒なことはしたくないからクライド様に長生きしてもらわないと、と。ですから、サイラス様に公爵になってほしいというクレイトンの勝手な思いからの犯行と思われます」 「それは、初耳だな」 「昨日報告を受けたあと、サイラス様の他のご友人にも確認しましたし、使用人たちからも聴取しました」  聴取してみたものの、正直、そこまで有用な意見を聴取できたわけでもなかった。だがいいのだ。サイラスにその気がないのは、話してみてわかったし。 「そうか……たしかにサイラスは自堕落なやつだし、責任ある立場を嫌がるのはわかる気がするな…進んで公爵などという面倒な仕事をしたがるはずはない…」  公爵は気持ちを整理するように視線を落としてそう呟くと、再び俺に目を向けた。 「じつはサイラスを疑っていた。公爵家のスペアとして、私にはわからない鬱屈した思いがあるのかもしれない、と。あなたからその話を聞けてよかった。最近、あいつとじっくり話す機会もなかった。今夜にでも腹を割って話してみたいと思う」 「ええ、それがよろしいかと」  よし。これでうまく転がるといいな。  俺はコーヒーを飲み、ひと息ついた。  さて。サイラスの件はこれでいいとして。  何故ここに来たのかという謎が未解決だ。  サイラスの話をするためにカフェに来たわけではないはずだ。いまの話は本来なら誰も聞いていない場所ですべき内容だった。 「それで、クライド様。なぜこちらに?」  単刀直入に尋ねたら、公爵は唇を引き結び、それからボソボソと答えた。 「……デートらしいことを、してみようと思っただけだ」  ……。  はい? 「……私と、ですか」  公爵の耳が仄かに赤くなる。 「私たちは恋人同士になっただろう」 「ええと…。ふり、ですよ。令嬢もいない場所で、恋人のふりをする必要はないのでは」 「こういうのを誰かが目撃して噂が広まったほうが、現実味が出るじゃないか」 「まあそうかもしれませんが……」  言葉を濁していると、公爵の右手がこちらに伸びてきて、ティーソーサーに添えていた俺の左手に触れてきた。 「せっかく来たんだ。噂が広まるよう、それらしいことをしておこう」  公爵が開き直ったように言う。  カフェの席はほどほどに埋まっている。周囲の客の視線は、入店時から集まっていた。公爵の手が俺に触れたとたん、周囲から息を呑むような気配が感じられ、俺はいたたまれなさに赤面した。 「…クライド様」 「私に触られるのは、嫌か」 「嫌というより…恥ずかしいというか」 「恥ずかしいだけなら、我慢して協力してくれ」 「しかし…人前での接触は、その……、恋人のふりというのは、どの程度を想定していますか。私は、どこかへ赴いた際、令嬢に紹介される程度と思っておりましたが」  恋人役を了承したものの、具体的なことはまだ決めていなかった。  伯爵家での出来事のように、令嬢のアプローチを躱すときに「恋人がいる」と宣言される程度かなと考えていた。こんなふうに、日常でも恋人のような接触を求められることは想定していなかった。 「そうだな…だが令嬢に会うたびに執事を恋人と紹介してまわるのも、嘘臭く思われそうじゃないか」  公爵は思案するように窓へと視線を向け、そのまま大通りの向こう側の建物へ視線を留めた。 「……新聞社に言って、記事にしてもらうのもいいかもな」  彼の視線を追ってみると、向かいの建物は新聞社だった。 「え。記事? 新聞の?」 「ああ。貴族のゴシップ記事がよく載っているだろう。国中に知らしめるには手っ取り早い。どうだろう。あなたがどうしても嫌ならやめておくが」  たしかに新聞で広めてもらえたら、手っ取り早いのかもしれないが……。しかし国中に広まるのは……。えええ……。 「本気ですか」 「ああ」  どうしよう。  自分が新聞の記事に載るなんて想像したこともなくて、動揺してしまう。  しかも公爵の恋人として紹介されてしまうなんて。親に知られたらどう説明したらいいんだ。  でも所詮嘘なのだから、さほど大仰に考える必要はないのだろうか。公爵がたいしたことではなさそうに提案するから、あまり恥ずかしがるのもおかしな気がしてくる。とはいえ素直に同意もしかねる。  俺は自分を納得させるために交渉を試みることにした。 「では…同意する代わりに、一つ、お願いを聞いていただけますか」 「なんだ」 「ローレンス・グリーンカレーさんにお会いしたいです」 「ローレンスに? なぜ」 「探偵という職業の方を見たことがないので、興味を持ちまして」  公爵は眉間を寄せ、探るように俺を見る。 「以前、あいつを知っているような口ぶりだったな。しかし知りあいではないんだな」 「はい。人づてに噂を聞いただけで。えーっと、誘拐事件を解決したとか……その関係者の知人の知人から話を聞いて…ただの軽薄な興味でして…」  とっさの思い付きだったから、彼を知っている言いわけを用意していなかった。しどろもどろにそれらしいことを口にしてみる。  話しているあいだにも公爵はなにか気に入らなそうに眉間を寄せていたが、少し考えるような間の後、了承してくれた。 「わかった。来月王都に行くだろう。そのときに会えるか連絡してみよう」  やった。 「交渉成立だな」  俺が頷くと、公爵は店員を呼び、新聞社の記者をここに呼ぶよう頼んでチップを渡した。  まもなく記者らしき男性が店員に案内されて俺たちの元へやってきた。 「公爵様。フィライーズ新聞社アルイ支所の記者、ドネリーです。このたびはお呼びいただきましてありがとうございます」  新聞記者は公爵に促されて相席すると、胸ポケットからペンとメモをとりだした。 「それで、今日はどのようなお話で」 「記事にしてほしいネタがある。このユーイン・ボナーは我が家の執事だが、私の恋人でもある」 「なんと!」  記者が目を輝かせてペンを走らせる。 「華麗なる独身貴族アルドリット公爵についに恋人が! そのお相手はなんと男性の執事! 国中の令嬢が悲鳴をあげますね。ぜひ詳しくお話を!」  恥ずかしさに赤面する俺の隣で、公爵は平然と話しだす。 「なにから話せばいい」 「まず馴れ初めを。たしか公爵家の執事は、ひと月前にかわったのでしたね」 「ああ。ドプソン子爵家から手伝いに来てもらったのが初対面だ。私の一目惚れだ」 「ほほう、公爵様の一目惚れですか。ボナーさん、美形ですものね。美男同士で絵になりますなあ。ボナーさんは、初めは公爵をどう思われたのですか」 「…え…あ…その、どうだったかな…」 「彼は恥ずかしがり屋なんだ。質問は私にしてくれ」  公爵、よく照れもせずに堂々と対応できるな。  その後、公爵は俺の毅然とした態度や仕事ぶりに惚れただとか適当なことを記者に話した。その後二人で紅茶を飲む姿を写真にとられた。視線やポーズまで指定された完全なヤラセ写真だ。 「すぐに社に戻って記事に起こすので」といって記者が先に帰った後、俺はぐったりと椅子にもたれた。精神的に、非常に疲れた。 「あなたのそんな姿はめずらしいな。いつも毅然としているのに」  公爵が堪えきれないようにククッと笑った。そんな笑顔を見せられたのは初めてで、ドキッとする。以前汽車で見たのとはまた異なるいたずらっ子のような笑顔。  いつも感じている、公爵の傍にいるとぞわぞわする感じが強くなった。  公爵、笑うと可愛くなるんだな…。  マフィアのボスじゃなく、年相応の青年に見える。  俺はしばらく、その笑顔に見惚れてしまった。

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