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第9話

 俺たちが恋人という記事は取材の二日後に新聞に掲載され、一気に国中に知れ渡ることとなった。  その日以降、会う人会う人、俺を見る目がなんというか…。含みのある目で見られているようで、いたたまれない。  公爵の仕事関係の人間は、記事の真偽を直接尋ねてくるような真似はしない。もし聞かれても、本音は言えない。  屋敷の使用人たちは、公爵から事情を聞かされている。令嬢除けのためということで、みんな納得していた。 「でも俺、あの記事が本当だったとしても驚きませんけど」  昼食時、その話題が出たときにマシューがぽつりと言った。 「クライド様、ユーインさんのこと大事にしてますよね」 「わかる。私たちに対するのと口調も態度も違うわよね」  その場にいたメイドもそうそうと頷く。 「ユーインが来てから、クライド様の雰囲気が柔らかくなったと思うもの」 「感じがよくなったよね。私、すごくいいと思うの。我儘な令嬢なんかと政略結婚されるよりずっといい。恋人役じゃなくて本物の恋人になるよう、私、応援するわ」 「私も。進展があったらぜひ報告して!」  メイドたちからなぜか笑顔で応援されてしまった。  たしかに、他の使用人への態度と俺に対する態度が違うような気はしていた。汽車旅以降、顕著な気がする。  他の使用人には無駄な発言をしないが、俺に対しては、俺の意思を尋ねる物言いが多い。  俺の前では時々笑うようになったし。雑談する機会も増えた。  俺の職種が、公爵と密に関わる執事だから当然な面はあるだろう。  また、俺自身が前世で会社経営をしていた経験があるため、公爵と同じような、事業者の目線で物事を捉えられる。発言が使用人らしくないことがあって、そこが気に入られているような気は、している。  あの人間不信の公爵に、多少なりとも信頼を得られている感覚はあり、嬉しくはある。あくまでも仕事の関係であり、応援されるのもちょっと違う気がするが。  そんな居心地が悪いような、しかしそれなりに落ち着いた日々が続き、ついにその日がやってきた。恋人役として令嬢たちの前に立つ日が。  この国では葬儀の三か月前後に親族や関係者を集めて、お別れ会のようなものをおこなう。  宗教色はほぼなく、冒頭で故人を偲ぶ挨拶をするくらいで、実質、普通のパーティだ。  日中から夕方にかけて、百人近くが公爵邸に集まる。公爵家のような大規模な会に参加するのは初めてだが、執事が大変なのは前日までの準備期間で、当日はそこまで忙しくもない。問題がないか確認していればいい。  公爵に仕立ててもらった上質なスーツを着て、招待客を迎えるためにホールに立つと、となりに公爵が立った。  公爵も普段とは違う上着を着ていて、髪も丁寧にセットされ、いつもの二割増しで美形だ。 「ユーイン。これを」  公爵がポケットからブルーグレーのハンカチーフをとりだし、俺の胸ポケットに差し込んだ。ふと見ると、彼の胸ポケットには水色のチーフが覗いている。  互いの瞳の色と同色である。 「公爵……これは」 「みんな、記事は知っているだろうし、その真偽を確かめに来るんだ。わざとらしいくらいが丁度いい」 「はあ…」 「挨拶のときは私のそばにいてくれ。親族に紹介するから」 「わかりました」  紹介されることは覚悟していた。  契約書は先日作成し、署名した。三か月で三万ベル。ベルはこの国の通貨単位で、価値は円とほぼ同じ。パーティに同伴する際は追加で一回一万ベルとした。不利益を被った際は公爵が負担する。恋人役の相場なんて知らないが、己の価値を思うとこれくらいが妥当と思われた。  そして続々と招待客がやってきて、大広間にて挨拶の時間となった。立食形式で、各々自由な歓談がはじまる。  俺は、社長秘書のように公爵のあとについてまわればいいのだと思っていた。呼ばれたら一歩出て、名乗って会釈でもすればいいのだと。  しかし思っていたのとは少し違った。公爵はしっかりと俺をエスコートして歩くのだ。女性のように腕を組んだりはしないが、向かいから来た人を避ける際に俺の肩や腰に手をやったり、道を譲って俺を先に行かせたり。  あの新聞記事は事実だと言わんばかりの態度。  露骨だ。 「新聞記事を見たが。それが例の?」  単刀直入に聞いてきたのは公爵の従弟のギルバートだ。 「我が家の執事となったユーイン・ボナーだ。記事は、否定しない」 「いやいや、わかってるって。本当は縁談が鬱陶しいから、偽装しただけなんだろう?」 「いいや」  公爵は首を振り、俺の肩を抱き寄せた。そして堂々と宣言する。 「ユーインは真実、私の恋人だ。私はこれほど心惹かれる相手を他に知らない。記事はすべて真実だ」  漫画だったら背景に「ドドン」とか「バーン」とか効果音がつきそうな迫力だった。  真っ赤な嘘なのによくもここまで堂々と言えるものだと感心する。さすが上流貴族。 「失礼」  公爵が他の客の元へ向かうかのように、俺の手を引いてその場を離れる。  こういう場面で貴族が手を繋ぐって、男女でもなかなかないぞ。  さっきの宣言は周囲にもしっかり聞こえたはずだ。うう、視線が痛い。  公爵は他の客の元ではなく、人の少ない壁際へ行き、控えていたメイドに飲み物の補充を指示した。そしてメイドが離れて俺と二人になると、内緒話でもするように俺の耳元へ顔を近づけた。 「記事を疑われてしまったな」  内緒話どころか、頬が触れあいそうなほど近づき、え? と思う。 「そう、ですね」  耳に息が吹きかかり、ぞくりとして肩を竦めた。身を引きかけたが、腰に腕をまわされ、離れることを許されなかった。  なんだこれ。距離感、おかしいですけど。 「あの、クライド様?」 「ギルバート以外にも疑っている者がいるだろう。それらしく振舞っておこう」  公爵の唇が耳に触れた。反射的に身体が強張る。 「あの、ちょ…っ」  唇はすぐに離れた。しかし依然、耳のすぐ近くだ。 「見られている。自然に」  にわかに心臓がバクバクしだし、身体が熱くなる。周囲の視線が気になり、恥ずかしい。公爵は注目を浴びることに慣れているだろうし、人にどう思われようが気にしないだろうが、俺は慣れていないんだ。 「そんなに硬いと、疑われる」 「そう言われてもですね…。あの、私は恋人役をすると言いましたが、こういう肉体的接触は契約外です」 「ならば契約に追加したい。オプション料金が必要なら払う。どの程度なら承諾できるんだ?」 「それは…そもそも人前では…」 「手に触れるのは?」  公爵が身体を離し、俺の両手を握った。これからお遊戯をはじめる幼児のようなポジショニングで、恋人の色気など欠片もない触れ方だ。 「カフェでも触れたし、手に触れるくらいは想定していただろう?」 「まあ…いいですが…」 「では、肩に触れるのは?」  今度は腕を伸ばした状態で、肩に手を乗せられる。これもお遊戯だ。 「いいですけど…」  答えた瞬間、グイッと引き寄せられた。ぶつかりそうになり、とっさに彼の胸に手を当てた。近づいたことで、お遊戯が急に恋人風になる。 「クライド様」 「肩に触れるのはいいんだろう? これは?」  彼の右手が俺の頬に触れた。  至近距離から見つめられる。まるで本当の恋人を見るように熱っぽく見つめられ、顔が熱くなる。  絡めとられるように、視線を外せなくなった。  見つめあっているうちに彼の瞳の熱が増し、どこか堪えきれない色を帯びていく。  そのままゆっくりと顔が近づいてきた。まさか…? 「だ、駄目です…!」  焦って胸を押すと、彼の動きが止まった。 「…じゃあ代わりに」  頬から手が離れ、左手をとられた。そして指先に、そっとくちづけられた。 「!」  触れたのはほんの一瞬。抗議する前に唇は離れた。  心臓が激しく鼓動する。身体が熱いのは衆目に対する恥ずかしさ、だけだろうか。 「な…」 「手に触れただけだ」  触れただけって…。それは手で触れる前提の話で…。  貴族は挨拶で手の甲にキスしたりするし、公爵的にはたいしたことではないんだろうけれど。  予想外の接近に狼狽える心を、どうにか落ち着かせようと思考を巡らせる。  公爵、演技が迫真すぎる。本当に俺が好きなのかと勘違いしそうになるほどだ。  落ち着け。演技だ。  彼は、俺にこんな真似をするほど覚悟を決めている。そんな覚悟をしなくてはならないほど、令嬢たちのアプローチに辟易していたんだろう。  好きでもない令嬢に迫られるのは迷惑でしかない。しかも相手は見知らぬ相手でもなく、失礼にならないように断らねばならない。俺と恋人を演じるだけでその面倒から逃れられるなら、そりゃあこれくらいするだろう。俺も承諾し、報酬を得るのだから、恥ずかしがってないで演じるべきだろう。  俺は羞恥を押し殺し、彼の胸に額を軽くぶつけるようにして身を寄せた。公爵の手が俺の腰にまわる。一秒待って、身を離した。 「あまりイチャイチャしすぎるのも品がないかと。これくらいでいかがでしょう」 「……そう、だな」  見上げると、公爵の顔は湯気が出そうなほど赤くなっていた。 「え、なんで」  思わず漏らしたら、公爵が目を泳がせ、片手で口元を覆った。 「…不意打ちだったから…」  なにか呟いたようだが小声で聞こえなかった。  ちょうどそこにメイドが戻ってきて、テーブル上のグラスワインを補充する。公爵はそれを手にし、 「ちょっと行ってくる。ついてこなくていい」といって、一人で行ってしまった。  見送っていると、それまで遠巻きにしてこちらを窺っていた令嬢二人が近づいてきた。 「あなた。クライド様とは不釣り合いですわ。男のくせに。しかも貴族でもない。身分を弁えなさい」  来た。  絶対来ると思ってたよ。先ほど挨拶してからずっとこちらを見ていたからな。  二人の年齢は十代後半くらい。  文句があるなら弱い立場の俺じゃなく、公爵に言ってくれと思う。  内心やれやれと思いつつ、あえて笑顔で言ってやる。 「ポーモント家のクリスティナ様とクレア様ですね。おっしゃる通り、私も主人に、恋人にするなら身分的に釣り合いのとれるご令嬢にすべきと進言したのですよ。私からもお二人をお勧めしておきますので、当家からの連絡をぜひお待ちください。ちなみに好みのタイプは控えめで慎ましい人だそうです」  公爵の好みなんて聞いたことはない。控えめで慎ましい人と言っておけば、しばらくは大人しくしているだろうと踏んでのことだ。  貴族でないとはいえ、俺は成人した男で公爵家の執事。十代の小娘など敵ではない。相手の主張を俺が全肯定したために、令嬢もそれ以上絡みようがなく離れていった。  「いくら待っても連絡が来なかったら、ま、そういうことです」  小さく呟いたセリフは、彼女たちには聞こえなかっただろう。代わりに別の方角からククッとかみ殺した笑い声が聞こえた。  声のほうを見ると、公爵の弟サイラスだった。  にやつきながら傍にやってくる。俺と公爵の関係が嘘だということは、彼も知っている。 「いいのか、あんな返事をして」 「なにか問題が?」 「いまの話、兄に報告する気もないだろ。彼女たちに次に会ったとき、責められるんじゃないか?」 「そうしたらまた同じことを言うだけです。問題ありません」  シレッと答えたら、笑われた。 「いいな、あんた」  先日節税の助言をしてやってから、気に入られたらしい。たまに顔をあわせると、必ず声をかけられるようになった。  彼は笑いを収めると、会場内を見渡しながら静かに言った。 「このあいだ、クレイトンの件で兄と話した。俺はあいつが指示したなんて知らなかった。あいつが俺について考えていたことも、知らなかったんだ。そのことを、おまえが調べて兄に報告してくれたんだってな。初めは俺を疑ったが、おまえの報告を信じたと言っていたよ。……助かった。礼を言う。それから、俺のせいで巻き込んで、悪かった」  素直に礼と謝罪を述べられた。  初対面での印象は悪かったが、こういう素直な態度を見ると、そんなに悪い男ではないんだよなと改めて思う。 「お役に立てたのでしたら幸いです」  兄弟が仲たがいせずに済んだようでよかった。主家の家族仲が悪いと、仕える俺たち使用人も居心地悪いからな。できるならみんな仲良くしていてほしい。 「しかしおまえ、この短期間であの兄の信頼を勝ち得るって、相当だぞ。どうやってあの人間嫌いを手懐けたんだよ」   俺もそこは不思議だ。公爵の代わりに撃たれたのが大きかったんだろうか。 「私なりに誠実に仕事をしているだけですが」 「だけど――あ、すげえ睨まれてる。じゃあな」  サイラスが逃げるように離れていく。睨まれてるってなんだろうと思ったら、公爵が戻ってきた。 「サイラスがいたな。なにを言われた」 「クレイトンの件で、お礼と謝罪を受けました」 「ああ、それか」  俺の返事を聞いて、公爵はホッとしたように息をついた。 「節税の話をして以来、サイラス様には仲良くしていただいております。ご心配なく」  サイラスの無礼を心配したのかと思ってそう言ったら、公爵は複雑な顔をして「だからこそ心配なんだが…」とブツブツ言っていた。   その後のお別れ会はトラブルなく進み、夜になった。

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