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第11話

 翌朝目覚めると、俺は一人で寝ていた。公爵は、と見ると、なんと彼はソファで寝ていた。  え。どういうこと? 「クライド様、おはようございます」  呼びかけると彼は目覚め、ぼんやりした様子で起きあがる。そんな彼にソファで寝ている理由を聞くと、言葉を濁したが、どう考えても俺がいたから眠れず、場所を変えたんだろう。  使用人の分際で主人のベッドを奪い、ソファに寝かせるとは。  俺は威張る貴族に必要以上に遜りたくないだけで、下剋上をしたいわけじゃない。自分の立場は理解しているつもりだ。 「昨夜は申しわけありませんでした。私、かなり酔っていたようです」  俺は羞恥で赤くなって平謝りした。  ベッドだけじゃない。その前のマッサージだってひどい。 「ベッドを占領しただけでありません。その前のマッサージも。私までベッドに上がる必要はなかったですし、しかもクライド様に馬乗りになって……」  俺に釣られたように、公爵も顔を赤くする。 「ああ……気にしないでほしい。謝るのは私だ。あなたは嫌がっていたのに、無理にベッドに寝かせたし…私も酔っていた。それにマッサージはよかった。お陰でだいぶ身体が楽になった気がする。よければ、また頼みたい」  互いに謝りあい、水に流すことになった。 「では失礼します」 「ユーイン」  部屋を出ようとしたら、呼びとめられた。 「その……あなたは、同性同士の恋愛に偏見はないと言っていたな」 「え、はい」 「では、私は――いや」  公爵はなにか言いかけ、言葉を呑んだ。そして俺のそばに来ると、言葉を選ぶように尋ねてきた。 「偏見がないというのは、あの時の話の趣旨からすると、同性カップルの存在を気にしない……ということだな」 「ええ。そうですね」 「では、あなた自身は…男に恋愛感情を抱けるだろうか」 「私、ですか」  唐突な質問に当惑する。  朝から慌てる事態が起きたりして、いそいそと退室しようとしたところなのだ。すぐに頭がまわらない。  ぼんやりと小首を傾げたら、公爵が唇を噛みしめつつ、俺の腕にそっと触れた。 「男にこうして触られるのは、不快か」  触れられた個所、左の手首付近を見下ろす。  どうだろう。  性の対象は女性と思っていたが、この世界の女性に性欲を覚えないし、正直なところ、自分でもよくわからなくなっている。  男はどうかなんて、改めて考えもしなかったが…。 「…性別は関係なく、人によるかもしれません」  頭をどうにか働かせ、そう答えた。 「人による…」 「はい」 「では、私は?」  少し掠れた、やけに真剣な声で尋ねられた。  ……。  どう、答えよう…。  迷った末、思ったままを口にする。 「…少なくとも、こうして触られるのは、嫌ではありません」  なに言ってるんだ俺。  緊張か何かわからないが、心臓がおかしな動きをし、身体が熱くなる気がした。それからハッとした。こんな返事をしたら、また昨日のようにあちこち触られたりするかも。そう思って身構えたが、公爵はそれ以上の接触はせず、腕を離した。  それはそうか。ここには、他に見ている者はいないのだ。  話しはそれで終わり、俺はホッとして自室へ戻った。  それからすぐに身支度し、仕事に入る。宿泊客を送りだし、屋敷内の片付けにある程度参加したあと、公爵の執務室にて客から貰った招待状などの整理をし、贈答品の目録を記録する。  記録しながら昨夜のパーティを振り返る。  恋人役、うまくできていただろうか。  ぎこちなくて、あまりうまくできていたとは思えない。  そういえばオプション料金なんて話が出たなとぼんやり思いだす。  二週間後には国王の誕生祝賀会に参加するため、王都に行く予定が入っている。祝賀会関連の催しは複数あり、公爵はそれらに参加する。俺も恋人役として隣に立つことになるだろう。  その際、昨日のように急に接近されて動揺した姿を見せるのはよくない。  どこまでなら許容範囲かという明確な意思表示はしておいた方が、お互いのためにいいのかもしれない。  俺は思いつくままに紙に書き込んでみた。  ――手繋ぎ五百ベル。腰に触れる五百ベル。ハグ千ベル。手の甲にキス二千ベル。頬にキス一万ベル。唇にキス一万ベル。 「……」  なんか…いかがわしいお店の料金表みたいだなと思ってしまい、絶望的な気分になった。なにやってんだろ俺…。  最後の項目、キスは入れるか迷った。  昨日のパーティで見つめあったとき、キスされるのかと思った。でも後から思うと、それっぽく見せるだけだったのかもしれない。それなのに焦った自分が悔しいというか、ちょっとした意趣返しのつもりで、一万ベルなどとふっかけるような価格を書いてみた。  こんなおかしなものを提出しなくてはならないことに複雑な思いを抱きつつ、俺はそれを、執務机に向かっている公爵に提出した。 「クライド様、できました」 「なんだ」 「オプション価格表です」  公爵はそれを目にし、息をとめた。  書面を見つめたまま、五秒くらい息をしていなかったと思う。そして呆然と呟いた。 「……唇にキス…一万ベル…」 「それは私の唇に一万ベルの価値があるという意味ではなくてですね、感情的な問題といいますか…」  公爵が唇を引き結んだ。と思ったら、音を立てて立ちあがった。そして机を挟んで一メートルはあった俺との距離を一息で縮め、俺の肩を掴んで引き寄せる。 「一万ベルで、あなたとキスできると? いいのか?」 「え、はい? ええ、でも――」 「わかった。払う」  顔が近づく。俺はギョッとして彼の胸を押し返した。 「な、なにをする気です…⁉」 「キスだ。価格表に載せるということは、していいんだろう?」 「で、でも、ここには他に誰もいないじゃないですか」 「誰かいるときしか恋人役をしないという契約内容じゃなかったはずだ。契約期間は三か月。時間の指定はない。つまり、今日、今、この時間も含まれている。違うか」 「そ、それはそうですが、今キスする必要がないでしょう」 「必要ならある。私が必要としている」  熱の籠った眼差しで、断言された。  なんで?  この世界のカップルは、人前でも気軽にキスをする。だから国王の誕生祝賀会に出席した際、その場の流れですることになるかもしれないと思わなかったわけではない。  だから万が一することになったとしても、二週間後と思っていた。今すぐなんて考えてもいなかったから心の準備ができていない。  嘘だろう? どうして? 疑問と戸惑いが頭をグルグル回る。  公爵が身を屈め、唇が近づく。触れる、と思ったが、そこで公爵が動きを止めた。 「……駄目か…?」  至近距離から顔を覗き込まれ、尋ねられた。哀願するような、掠れた声。  その囁くような声音を聞いたら、拒否の言葉は出てこなかった。彼の胸を押していた腕の力も弱まり、顔が熱くなる。 「…しても、いいな…?」  重ねて尋ねられても、やはり返事ができなかった。  この状況で黙っているのは、許可を意味する。どうして拒まないのか、自分でもわからなかった。  ふわりと、彼の香り。いい香りだと、こんな状況なのに感じた。 「駄目だといわれても……もう…限界……」  掠れた声で呟かれ、次の瞬間、唇が触れた。  柔らかく、しっとりと重ねられる。強引に迫られたが、触れ方はひどく繊細に感じた。唇は押しつけられただけでいったん離れ、角度を変えて再び戻ってきた。そしてまた離れ、もう一度。今度は唇の内側を少し舐められ、下唇を軽く吸われた。 「……っ」  驚いて、変な声が出そうになったところで離された。  はあ、と息を吐きだし、公爵の顔を見返す。  彼は熱っぽく俺を見つめていた。それから困ったように眉尻を下げ、俺の唇に視線を注ぐ。 「……そんな顔をされると、もっとしたくなるんだが」  そんな顔?  どんな顔だっていうんだ?  もっとしたいって……。  俺は真っ赤になって公爵から離れた。どうしたらいいのか、もう、わからない。 「…っ、今日はもう自室に戻ります…っ」  俺はなかば駆けるように執務室をあとにした。  自室に戻り、湯を浴びてベッドに横になる頃には、多少は思考力が戻ってきた。  なぜ公爵は、俺にキスなんてしたんだろう。  恋人役としてしかたなく、ではなかった。  男だから性欲が溜まり、理由もなくムラッと来るときはある。人間不信だから経験豊富ではないだろうし、興味本位でしたくなったという可能性はある。  でも……。たぶん、そんなことじゃないよな、あれは…。  ちょっとした遊びやからかいといった雰囲気でもなかった。  朝の、俺への恋愛の質問からしても……。  ……。  ……。 「…なんで…」  公爵とのキス。思いだすと頬が熱くなる。  なんで俺の心臓は、こんなにドキドキしているんだ。  公爵は、その内面を小説で知っているから親しみを持てると思っていた。それはあくまでも人としての好意で、性的な感情ではない。抱き寄せられたり手を握られて動揺するのは、人前だから恥ずかしいのだと、そう自分に言いわけしていた。  だが公爵にキスされて、予想外のことに驚いたが、不快感はなかった。いい香りとすら思った。  これがもし別の相手だったら。たとえばサイラスやマシューだったらと想像したら、それだけでゾッとした。  それって…。  いや、結論を出すのは早いだろ。  それに、公爵はもうすぐヒロインと出会う。  これ以上考えてはいけない気がして、俺は思考を止めた。

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