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第13話
王都では、王宮近くにある公爵家のタウンハウスにひと月ほど滞在する予定だ。護衛や侍従も数人つれて、汽車でやってきた。サイラスは先月のうちから滞在している。彼は領地よりも王都にいることが多い。
「私が王族やその取り巻きに不義理をしていても問題にならないのは、あいつがうまくやってくれているお陰だ」
と公爵は言う。欲望のままに遊んでいるだけでもないらしい。仲良し兄弟ではないが、互いを理解し、補いあう関係を保てている。小説通りにならなくて、本当によかった。
到着すると、現地の使用人たちに挨拶し、今後のスケジュールを話して打ち合わせ、荷解きをする。
それから夕食まで自由時間だ。一人で少し出かけようと思い、公爵に告げたら、どこへ行くのかと尋ねられた。
「ローレンス・グリーンカレー探偵事務所へ」
「ローレンスなら、祝賀会の席で紹介すると話しただろう」
そうなのだが、小説の舞台として度々登場する探偵事務所もせっかくだから見ておきたいじゃないか。
関連グッズを集めたり、一字一句を暗記するほど熱いファンだったわけじゃないが、シリーズ全巻を読破する程度には愛読していたのだ。
「ええ…でも、探偵の事務所というのはどんな感じかな~と気になりまして」
「ユーインは、探偵に興味があるのか?」
「そうですね。えーと、なんか格好いいなあと」
「……格好いい…か…?」
「はい」
「……。私も行こう」
「え。クライド様も? グリーンカレーさんは不在かもしれませんし、本当にただ建物の外観をチラッと見てくるだけですが」
「構わない。私も気分転換に出かけたいだけだから」
住所は事前に調べてあり、辻馬車でも拾おうと思っていた。公爵も一緒ならば公爵家の馬車で行けるし心強い。でももしグリーンカレーと会えたら、公爵がいるのは困るかも。
ちょっと迷ったが、強く拒否する理由もない。結局公爵と馬車に乗り、探偵事務所へ向かった。
車窓から王都の街並みを眺める。公爵領も同じくらい賑わっているが、特色が異なっていて、見ていて面白い。
馬車は貴族の住居区域から下町へ入っていく。グリーンカレーは男爵家の次男でれっきとした貴族なのだが、身分を隠して庶民として暮らしている。
下町に入ると、大通りの幅が、馬車が通れるぎりぎりの狭さになってくる。建物も密集し、ごちゃごちゃした雰囲気ではあるが活気を感じる。歩行者の多い、賑わう通りで馬車が止まった。
「ここだな」
公爵の視線を追って車窓を見ると、煉瓦の三階建ての建物があった。カフェ「りんごとはちみつ」という看板がある。一階のカフェの看板だ。「りんごとはちみつ」は作中にもよく出てきたので覚えている。ということは、この二階が事務所のはず。
ここか…。
小説に挿絵はなかったから想像するしかなかったが、いま、目の前に見える建物は、たしかに小説での記述そのままの外観だった。
聖地巡礼の気分だな。
チラッと見るだけなんて言ったが、せっかくなので行ってみることにする。
公爵と共に馬車を降り、カフェの端にある階段を上がった。ちょっと通り過ぎただけで、周囲の注目がすごい。こんな場所に滅多に貴族はやってこないんだろう。
しかし、探偵事務所の一階がカフェってどうなんだ。カフェの客の視線が気になって、依頼者は入りにくいよな。小説を読んでいたときには気にも留めなかった現実的なことに思い馳せつつ二階へ上がると、扉の前に「ローレンス・グリーンカレー探偵事務所」の看板があった。
呼び鈴を鳴らすと、ひょろりと背の高い青年が出迎えた。
癖の強い金髪に薄紫色の瞳。白い肌にはソバカスが浮いている。大きめの白いシャツを腕まくりし、庶民のような出で立ちなのに、気品ある佇まい。
その特徴から、この青年がグリーンカレーだと思われた。
小説通りの容姿。本当に実在していたんだな…。
彼は俺たちを見て、きょとんとした。
「あれ、クライドじゃないか。どうしたんだい」
「暇ができたから、顔を見に来た」
「ふうん? まあ入りなよ」
促されて室内に入る。中は想像より広い。通りに面した壁に窓があり、事務机がある。手前に応接セット。奥に扉があり、そちらにはもう一つ応接間があったり、キッチンや居住スペースがあることは知っている。
ここが小説に何度も出てきた事務所内だと思うと胸がときめく。
応接セットのほうへ歩きながらグリーンカレーが公爵に顔を向ける。
「祝賀会で会う約束だっただろう。きみらしくないというか」
話し方も歩き方も、庶民ぶってるくせに優雅。それも小説通り。
話して動く彼に感動し、顔を紅潮させて見つめてしまう。公爵はそんな俺を見ながら言った。
「恋人を紹介しようと思って」
腰に腕をまわされる。
グリーンカレーにも俺を恋人と紹介するのか。まあいいけど…。
「ユーイン・ボナー。我が公爵家の執事で、私の恋人だ。ユーイン。この男が、あなたが会いたがっていたローレンスだ」
「ああ! 例の!」
ローレンスがニヤッとして俺を見た。記事、知っているのか。
うう、恥ずかしい。
「初めまして。突然お邪魔してしまって申しわけございません」
「いいさ、ちょうど暇だったから」
「御活躍はかねがね承っておりました」
「ええ? この男が僕の話でもしてるのかい?」
「いえ、以前人づてに、誘拐犯の逮捕に協力されたという噂を聞きまして。子爵家のご令嬢の」
「ああ、あれか」
ここへ来ることが決まった後、新聞社の記者に頼んで、グリーンカレーの記事が載っているものを調べてもらったのだ。それを確認したので、小説で出てきた事件の時系列も、俺が口にしてもおかしくない範囲も完璧だ。
応接用ソファにすわり、事件についてあれこれ尋ねる。もちろんプライバシーにかかわるので話せることは限定的だが、それでも楽しい。なぜ探偵になったか、など、すでに知っていることも尋ねる。グリーンカレーと会話できることが嬉しいから、話題はなんでもいいのだ。
「お一人で営んでいらっしゃるのですか? 助手のような方はいらっしゃらないのでしょうか」
「助手はいるよ。今日は留守にしてるけど」
バーモンドは不在か。残念だ。
「そうでしたか。では――」
いつもは執事として控えている俺だが、公爵を放って嬉々として話し込んでしまった。
「あ。すみません。お会いできたのが嬉しくて、つい」
ハッと我に返り、時計を見るとまあまあ時間が過ぎていた。
「僕はだいじょうぶだけど。それよりお茶もださずにごめんね」
グリーンカレーの淹れるお茶は激マズなので、よほどのことがないと彼はお茶を淹れない。
今日は約束していなかったし、会えないだろうと思っていた。しかし会えたらぜひ頼みたいことがあった。俺は意を決し、彼に頼んだ。
「じつは、ここへ来たのはご相談があったからなんです。もう少し、お時間をよろしいですか」
「いいけど。なに?」
「えっと…」
ちらりと公爵に目を配る。それでグリーンカレーは察してくれた。
「ああ、クライドには聞かせたくない話ね。クライド、恋人を隣室に連れていっていいかい?」
公爵はムッとした様子で俺を見た。それから無言で頷く。
「じゃあ、ここで待っててね。ユーイン、こっちで聞くよ」
グリーンカレーのあとについて隣室へ行く。
そちらも応接セットがあり、腰を下ろすなり続きを促される。
「それで?」
「私が執事になる前に、公爵家で執事をしていたドミニクという男の行方を捜していただきたいんです」
俺は自分が公爵家の執事となった経緯を話し、彼が公爵や自分を逆恨みしている可能性があることを話した。
万が一グリーンカレーに会えたときのためにいちおう用意しておいた、ドミニクの写真もポケットから出して渡す。
「依頼を受けていただけますか」
彼は写真を一瞥し、薄紫色の瞳を細めてにこりと笑った。
「そうだねえ。今はたいした依頼を抱えてないし。なによりクライドの初めての恋人が危険な目にあったりしたら、あの男、どうなるかわからないからねえ。引き受けるよ」
すんなり引き受けてもらえた。よかった。
「ありがとうございます」
「予算オーバーしたらクライドに請求すればいいよね」
「いえ、それは。支払いは私がします」
「そうなの? 彼にも一枚嚙ませるべきじゃないか?」
「それは最終手段で」
即答する俺を見る彼の目が、さらに細まった。
経費や報酬について交渉後、部屋を出ると、公爵がラスボス級に威圧的な空気を醸しだしていた。この圧を感じるの、久しぶりかもしれない。
「ローレンス。私も話がある。ユーイン、あなたは先に帰っていてくれ」
そう言って、いま出てきた部屋に、今度は公爵がグリーンカレーと共に入っていった。
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