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chap.4 フィルム・パトローネ

かくして、マイケル・ホワイトと、彼のパンプキン・パイことジョー・ブラックは、奇妙な同居生活を送る運びとなった。 いったい何故、どのような理由でマイケルがジョーを“パンプキン・パイ”と名付けたのかは、いまだまったくもって不明で、彼の親しい友人にさえも、明かされはしなかった。一説によるとマイケルは確かにパンプキン・パイやピーカン・ナッツ・パイが好物だったそうだが、後にそれではあまりにも安直な仮説だと結論づけられている。 M・P・ホワイトなる人物は、並々ならぬ強いこだわりと複雑な内面を持っていたとされる。 例えばパイの代わりにチーズ・ケーキを買ってこられただけで、彼は気を失うほど憤慨した。それほど強く鋭敏だった彼の感性は、彼が口に出さないかぎり誰にも理解される事はなく、また彼自身も理解される事を求めなかったようだ。 彼は言葉で説明できぬ動機によって人を殺さずにいられない殺人鬼を匿う地下室の上で、平然と暮らす事ができた。そればかりか、必要があれば地下へ降りて行き、フィルムの現像や印画紙の焼き付けといったプリント作業も行なった。 “正常な”人物であればナイフの刃がいつ下から突き上げてくるか分かったものではないと、つねに不安に駆られなければならなかっただろう。本人にとって何が重要であるかは、本人でなければ分からない、ということだ。 その間、当のシリアルキラーは何をしていたのかと言うと、帽子をかぶってカーリーヘアを隠しては、さも善良な市民ぶって暮らしたり、新たに手に入れた「隠れ家」の酢酸くさいソファーに横たわって、そこに来る人物の手つきや横顔や背中を眺めたりしていた。 隠れ家というのは、他でもない写真館の暗室のことである。名前の通り暗く、窓のない部屋で、作業台に並べられた写真家の仕事道具、水洗用のシンク、巨大な引き伸ばし機が置かれていたほか、現像済みのネガフィルムや未発表の商業用写真も吊るして乾かされていた。 感光剤に影響を与えない、長い波長の安全光が照らす赤色の中が、ジョーがもっとも長くマイケルの姿を見る時間と場所であった。 ある時期を境に、撮影を終えたマイケルが玄関先まで客を見送っていると、1階のダイニング・キッチンの方向から食欲をそそる香りが漂ってくる日が増えた。彼らがお互いを2番目によく見た場所はそこである。 客の何名かは写真館の主に、同居人──例えば炊事が得意で貞淑な美しい女性──の有無を尋ねようとしたが、彼が仕事以外の人生の領域に踏み込まれるのを嫌っているようだったので、そうはしなかった。 もし、キッチンから出てきたのが身の丈6フィート2.5インチもある大男だと知れば、彼らは腰を抜かして退散しただろう。 200ポンドの体を満たすべく、ジョーはよくキッチンにいた。2名分(またはそれ以上)の食事を作り、ひと仕事を終えたマイケルをもてなす。その時はジョーの方が、まるでこの小さな“屋敷”の主であるかのようだった。 ジョーは食卓につくと、まるで草を()むようにゆっくりと咀嚼しているマイケルに、料理を作って食すのは生きる上で至上の幸福で、一種の快楽だと主張した。 料理人は、芸術家とよく似ている。画家がキャンバスに、写真家がフィルムに像を描くのと同じように、フライパン、皿、そして舌の上での表現者であると、少ない語彙で熱弁をふるった。 マイケルを菜食主義者(ベジタリアン)というなら、ジョーは肉食主義者(ミータタリアン)とでも呼ぶべきだ。 マイケル・ホワイトは、死の対極に位置する“生”という概念には興味を示せずにいた。 彼にとって食事とは、睡眠や排泄と同じ、活動するために必要な工程でしかなかったのだ。ベジタリアンだったのも健康志向からではなく、単に肉を食すのが億劫だったからに過ぎない。 ましてやそんな所から快楽を得るなどとは、ジョーという男に出会わなければ考えてもみなかった発想だ。 さらにジョーは、マイケルが硬い牛肉のを飲み込めずにいるのを見かね、残りのぶんはナイフとフォークを使って小さく切り分けてやった。 マイケルは他人からそんな風に自分の食べ物を触られたのが初めてだったので、はじめは仰天したが、すぐにこの気の利く殺人鬼の、肉を断つ手際の良さは職業病かと尋ねた。ジョーはそれに対し、殺しは職業ではないとだけ答えた。 こうした行動から、ジョーはいつも凶暴だったわけではなく、また、マイケルはジョーをいっさい恐れていなかったのが分かる。 彼らは互いの素性や過去を深く詮索し合うような間柄ではなかった。過去など知ったところで、腹の足しにならないからだ。 ところで、すこし前まで、写真界では映画用の400フィートフィルムを1.7メートルごとにカットした物を、写真用フィルムとしていた。フィルム・ローダーを使い、人間の身長ぶんもある長いセルロイド製フィルムを(スプール)に巻きつける作業は必須だった。 フィルムは暗い部屋を模したカメラという箱の中に入ると、カーテンを開けるように光を取り込むシャッターの開いた瞬間のみ、陽の目を見るようになる。ハロゲン化銀などの感光剤が化学反応を起こし、像を写し取る役目を担うのだ。 例えるなら明るい場所では不用意に取り出せない「温室育ちの娘」(filmは男性名詞だが、ここでは分かりやすい比喩として女性とする。)であり、作業は社交場ではなく、遮光された場で行なう必要があった。 ホワイト氏は、家で新聞も読まず暇そうにしている──すくなくとも彼にはそう見えた──ジョーに向かって、フィルム・ローダーの使い方に興味があるか尋ねた。 繊細なフィルム嬢(Ms.Film)が光を浴びぬよう、暗い中で手探りの手解きだったが、ジョーはすぐにやり方を身に付け、 「俺は暗い所で何かをするのは得意なんだ」 と、意味ありげに言った。 リーダーとなるフィルムの切り口も、装填する際に支障の出ない“舌”のような形を教えれば、見たままその通りに切ってみせた。ジョーの“撮影助手”としての働きぶりは優秀だったと言える。 生涯を通して彼がその出自を語る機会は多くなかったが、料理における食材と同じく本物の女性を扱うように丁寧な手つきは、革製品の職人を彷彿とさせた。 ひとつの商品を手作業で生み出す彼らの多くは産業革命の機械化にともない姿を消したが、あるいはこのようにして、人知れず生活していた可能性もある。 戦後、改革が起こったのは敗戦国に限らない。連合国のカメラ(そしてもちろんそれを扱う写真家たち)にも、大きな革命の波が来ていた。 フィルム・パトローネがその1つである。あらかじめカットされてスプールに巻かれたフィルムが、円筒型の遮光容器(パトローネ)に入って売られた商品で、この登場によって写真家は、いくつもの手間を省けるようになった。産業革命において、機械とベッドを共にした甲斐はあったと言うわけだ。 そんなフィルム・パトローネ(とそれを入れるPケース)が普及する以前から、M・P・ホワイトは写真と共に人生を歩んできた。 数名の写真家に師事し、あらゆる技術を学んだ。戦争で傷付いた軍人の、威厳のある、または物憂げな、あるいは幸せそうな肖像写真の撮影も経験した。 当時はまだいっぱしの撮影助手に過ぎなかったが、ミドルネームであるPの文字をたいへん気に入っており、“Photograph(写真)”、“Picture(画像)”、“Portrait(人物写真)”、“Print(焼き付け)”のほか、“Point()”、“Paint(描画)”など、さまざまな物事を紐づけては喜んでいた。大叔父から与えられたピーターの名は、幼年期から最期まで彼を飽きさせなかった。 また彼は、カメラが無くともビューファインダーを覗いているような人物でもあった。人の肩ほども高さのあるライトスタンドを見つけられなかったと言えば、それがどういう事か分かるはずだ。 視野が狭く、たとえブラウンアイに映っていたとしても、見ようとした対象物しか認識できなかった。それ以外の範囲には、興味が示せないのだ。 彼の性質は当然ながら、仕事にも支障をきたした。 照明器具を持つのもそっちのけで、踏んづけた電源コードをいかに丁寧にさばくかに夢中になったり、巻き込んでしまったリーダーを引き出すフィルム・ピッカーを探しに行ったきり戻ってこなかったり、露光時間の長いダゲレオタイプでの撮影中にもかかわらず、モデルにブラックジョークを披露して笑わせたりした。彼は若いうちから退屈を嫌い、興奮を追いかけていた。 興味の対象をこよなく観察する中で、彼は審美眼を磨くと同時に、意図せず人を魅了する事があった。 雄弁で、饒舌で、モデルを誘導するためなら甘い台詞も平然と口にできる青年は、現代と同じく、多くなかった。そんな青年がクリアなブラウンアイで見つめるのを、熱い視線と誤解されやすかったのだ。 それがきっかけで、夫のいる美しい女性モデルと深い仲になってしまった時期もある。 M・P・ホワイトがとびきりハンサムな青年だったという記録はない。魔女を思わせる鼻も、当時から面長の顔の真ん中辺りにあったはずである。 だが彼はそれと同時に、人の心を惹きつける魔性も持っていた。ブラウンアイは、人々の潜在意識に刻まれた誠実なイメージと結びついていたのだ。 2つの瞳孔が自身にフォーカスを当てているか否かにかかわらず、 「マイケル・ホワイトと名乗る若い男がわたしを見た」 という、事実であって事実でないような出来事は、何名かの婦人の心をくすぐった。 中でもこの青年に特別の関心を示したのが、アヴリーヌ夫人(Mrs.Aveline)だ。 彼女は海兵隊員ブラウン氏(Mr.Brawnの愛称を持つが正式な綴りはBrown)の熱烈な求婚によって、フランスの郊外から出てきた娘だった。何年も子供ができず、肝心の夫さえも家を空けがちで、孤独な日々を送るうちに当時のマイケルより4つか5つ年上になっていた。 知っての通り、マイケル青年はみずからの興味関心に正直で、ひきかえに、世間の目やら結婚制度をはじめとした秩序という尺度を後回しにしやすかった。 彼女の愛人となった若きマイケルは、誘われるまま彼女の寝室にもぐり込んでは、ベッドの暗がりの中で形の分からぬ愛という概念を探っていたらしい。 3つの寝室を持つデタッチハウスにおいて、夫婦の寝室は別で、夫人の寝室の窓は庭に繋がっていた。つまり夜になって彼女がカーテンと窓を開けさえすれば、マイケルのような細身の間男は簡単に出入りができた。 やがて、それがひとつの結論および“引き金”となり、半年もすればふたりの不貞行為は明るみに出た。ブラウン氏が長く家を空けていたにも関わらず、夫人は妊娠していたのだ。 男性が女性を抑圧し、過剰なまでの貞淑と利他的なふるまいを求めるのは、いつの時代であれ、どんな場所であれ変わらない。 『男というものは、一般的には、食卓でご馳走にありつける方が、妻がギリシャ語を話すよりも喜ぶものだ』 と文学者サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)が18世紀に言っていたように。 妻をめとる事で社会的信用を得ようとする野心と、狩猟本能を満たす自己満足の不均衡に、我々はつねに揺らされている。 一方で、女性というのは生まれてから死ぬまで、卵巣が吐き出す物質により、精神的に満たされる環境を求め続ける特性を持つ。 両者の間には決して相入れない違いと目的がありながら、繁栄のためにやむを得ず(つが)い、さも互いの価値観をすり合わせたかのように、幸せであるふりをしなければならない。……ここだけの話、およそ、ほとんど、たいていの場合、結婚とはそういうものである。 だが聡明な女性というのはいつも、自身が女王のごとく扱われるべき存在と理解している。いくら地位や権力があっても家庭を省みない愚鈍な亭主より、後も先も省みず熱情を向けてくる活発な若い男の方が、その望みを叶えるとも、女学校などでは学ぶのかもしれない。 あっと言う間に悲劇のヒロインとなった夫人は故郷へと帰ってしまい、戻ってくる事はなかった。悲しい噂によれば、姓をフランス形のルブラン(Lebrun)に変え、出産時の多量出血により母子ともに命を落としたとのことだ。 ちなみに、綺麗好きなメイドが清掃やベッドメイク、夫人の着替えを手伝うなどしていたが、夫人がきつく口止めをしたのか、彼女は古ぼけた外套を着た間男の名を知らなかった。なので当然、口外する事もなかった。 ブラウン氏は、その名の通り黒い髪と褐色の肌(Brown)を持つ、筋骨隆々(Brawn)の大男だったので、もしも彼がその存在を知れば、細身の男などひとひねりにしてしまっただろう。 しかし、若きマイケルは受難を免れた。 そのように、撮影以外の行動で“精を出す”場合もあったが、今の今までマイケル・ホワイトなる男性は一度として女性と正式で合法的な婚姻関係になく、結局のところ彼が一途に愛さずにいられなかったのは、Pから連想される言葉と、写真およびファインダー越しの被写体のみだったようだ。 『筒は筒でも、彼が(はら)ませたのはパトロンのドイツ人女性だ』 などと、下世話な記事に揶揄されたのも無理はない。(※もちろんアヴリーヌ・ブラウンのことではなく、フィルム・パトローネのこと。ドイツ語におけるPatronの女性形とかけた洒落。) 未婚の彼は暗い部屋の中で、処女のようなフィルムに表現の種を刻み付け、写真という多くの子供をみずからの手で溶液から取り上げた。助産婦の手を借りなどしなかった。 そんなホワイト氏が写真撮影で生計を立てるようになったのは、もはや必然であり、運命でもある。 彼は確かに、無自覚のうちに夫のいる美しい女性をも虜にできるほどの魔性を持っていた。ただ、本人が結婚生活を望んではいなかった。その理由は、以上に述べた通りである。

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