4 / 46
第4話 清水田学園のキング_第二寮長八木和希
音楽教師の戸田は、今日は子供の通院につき沿うため、いつもより遅れて来るようになっていた。登校時にそう言われていたことを、才見はその顔を見るまで忘れていた。遅れて来たことで偶然にも生徒が死んでしまった現場に居合わせてしまうとは、なんとも不運なことだ。彼女は口元を押さえてふらついている。横たわる温田見同様に青白くなっていくその顔は、今にも倒れそうな様相を呈していた。
「戸田先生、ちょっと待っていてください。とりあえず市岡先生に連絡を入れますから」
才見はそう言うと、スマホを取り出して市岡に連絡を入れた。そして、状況を説明する。
「どうだった? 温田見くん、そこにいましたか?」
数分経ったからだろうか、市岡も先ほどよりは幾分落ち着きを取り戻したようだ。多少吃りながらも、スムーズに口が動いている。才見は市岡の落ち着いた様子に安堵して、胸を撫で下ろした。
「はい、温田見くんはやっぱり裏手の通路に倒れていました。頭から血を流しています。どう見ても生きてるようには見えないんですが……。はい、はい……」
才見は温田見の亡骸と思われる体に時折目をやりながら、市岡の指示を仰いでいく。仰向けに倒れている温田見と目があったような気がすると、口元に手を当てながら何かを堪えるような仕草をした。
電話が終わると端末をジャケットへとしまう。そして、温田見のそばへと座り込んだ。真面目で控えめだと言われていた彼が、亡くなる前に思っていたであろうことへと思いを馳せていく。
「才見先生、すみません。私、ちょっと気分が悪くなって来て……。ここを任せてもいいですか? 逃げるみたいで悪いんだけど……」
戸田は相変わらず真っ青な顔をしてふらついていた。そんな状態でここにいると倒れてしまうかもしれない。才見としては、出来ればその状況は避けたかった。これからの混乱を思うと、彼女への気遣いをする余裕など全く無い。それならば早めにこの場を去って貰う方が得策だろうと考え、彼女の問いかけに頷いた。
「はい、大丈夫です。保健室で休まれてください。お一人でも大丈夫ですよね? どなたかお呼びしましょうか?」
戸田は、才見の気遣いに「大丈夫よ」と答えた。そして、その言葉を待ち侘びていたかのように立ち上がると、「じゃあ、ごめんね」と言いながらそそくさとその場を立ち去って行った。
◇
温田見の遺体が発見されたという話は、生徒の間でもあっという間に噂となって広まっていった。
そんな中で初日から気もそぞろになってしまっていたが、時間は待ってはくれない。皆が噂に明け暮れているうちに、受験前の貴重な一時間が終了していた。
他の学年は自習時間に変えられたようだったが、光彰たち三年生は残り少なくなっている授業を滞りなく終わらせなくてはならない。救急車やパトカーのサイレンや赤色灯に動揺を隠せないながらも、通常通りにカリキュラムは消化されていった。
「最上くん」
二時間目が始まるまでの僅かな休憩時間に、光彰は珍しく黎以外の人物に声をかけられた。窓の外をぼーっと眺めていた光彰に声をかけたのは、同じクラスで第二寮の寮長を務めている八木和希 だ。
八木はインドア派で、滅多なことでは人前に出たがらない。性格も内向的で、寮生たちからはその存在を軽んじられているところもあるような人物だ。
しかし、その性格が信じられないほどに、勝ち気で自信に満ち溢れたような外見をしている。気高く野生味に溢れたその相貌は、密かに女子生徒に人気がある。その上大柄で、いかにも頑丈そうな体躯をしていた。
一般の高校生ならば、これだけ恵まれた体を持っていると怖いものが無く横暴な性格になってしまいそうではあるが、彼は不思議と謙虚で目立たない生活を好む控えめな性格へと育っていた。
では、なぜ寮長をしているのかといえば、あまりに控えめであるために周囲に押し付けられてしまったからだ。ともすればいじめととも取られてしまいそうな推薦だったと光彰も聞いている。
だが、八木は与えられた仕事は全てそつなくこなしており、寮長業務も問題なくこなしている。押し付けられたとはいえ、自分が担当した以上はきちんとそれを遂行していくというころが、彼の最大の魅力だった。そして、光彰は彼のそういうところをとても気に入っている。光彰が黎以外に興味を抱く人物としては、彼はその筆頭に当たるだろう。
「何だ、八木。また誰かに伝言を押し付けられたのか?」
八木が光彰にこうして話しかけにくる場合は、ほぼ間違いなく教師から光彰への伝言を頼まれている。彼らは光彰に用事があったとしても、直接呼び出すような事はしない。そんなことをして理事長の息子の機嫌を損ねてはいけないと考えているからだ。そういった場合は、職員室にいる生徒に声をかけ、光彰へと伝言をするように指示をすることが多い。今の所その十中八九を八木が担っている。
しかも、そうやって伝えられる内容のほとんどが、光彰にとってはあまり関わりたくないような話であることが多い。そのため、光彰が八木へ返す言葉も、つい面倒だという気持ちが口調に現れてしまいがちだ。今もそうなっていることに気がついた彼は、全く非の無い八木に対しての失礼な対応に頭を下げた。
「悪い、今の言い方は失礼だったな。お前に腹を立てているわけじゃないんだ。ただ、伝言される内容はいつも面白くないものばかりだからな。つい言葉がキツくなる。すまない」
光彰の謝罪を受けながら、八木はその誠実さに思わずふっと息を吐く。そうして「大丈夫、わかってるよ」と答えると、ゆっくりと柔和な笑みを浮かべた。彼は最上光彰という誤解を受けやすい人間の、数少ない理解者のうちの一人でもある。
しかし、だからといって善人かと言われるとそういうわけでもないのだ。実のところ、伝言のたびにうんざりする光彰を見て楽しんでいるという悪趣味な性質の持ち主でもある。そして光彰はそれを承知している。
それを差し引いたとしても、小さなことで一々咎めて来ない八木の鷹揚さは、光彰にとってとても居心地の良いものだ。敢えてそれを公言することはないが、お互いが大切な友人としての位置にあるだろうと彼は思っていた。
「それで、ご想像通りに教頭先生からの伝言なんだけど。今日の放課後、寮長に通達があるらしいんだ。だから寮に戻る前に職員室に寄って欲しいんだって。全寮長と管理職の教員に校長先生からお話があるらしいよ」
「通達? 初日に珍しいな。まあでも、今日と言ったら、間違いなくアレだよな」
光彰はそう言って時計塔の方角を顎で示した。あの塔の下に、温田見が倒れていたという話は、生徒の間では朝からずっと話題の中心に居座っていた。
新学期初日に寮長を呼び出してする通達など、普段はそう無い。それが全寮長を呼び出してまでする内容とあれば、間違いなく温田見の件だろう。
「そうだろうな。そうだろうけれど、ちょっと今のやり方は横柄に見えるから止めろよ」
光彰の前の席に座っている黎は、背もたれへ抱きつくように座りながらそう口を挟む。そして、八木には「なあ、八木くん?」とにこやかに笑みを振り撒いている。
その視線を光彰へと戻したかと思うと、今度はギロリと非難の色を滲ませた。光彰にはそんなつもりはなかったのだろう、心外だと言わんばかりに臍を曲げ、あからさまに不服そうな表情を浮かべた。
「そうか? そう見えるのなら悪かった。じゃあ……こうすればいいか?」
そう言ってスッと伸びた美しい人差し指を時計塔の方へと指し示した。大好きな黎に叱られて拗ねたままではあるが、素直に言うことには従う。
「横柄であることに変わりはないけれど、顎で指すよりはいいだろう」
黎はそう言って腕を組んだ。光彰はそれを見て嬉しそうに相好を崩す。八木はその二人のやりとりを見てクスリと笑い、楽しそうに
「仲がいいな」
と呟いた。
「そうか? 普通だろう?」
黎が八木にそう尋ねると、隣で光彰が真剣な面差しのまま
「仲良くする努力はしている。俺は黎を愛しているからな。嫌われないように頑張っている」
と答えた。それを聞いた黎は間髪入れずに腕を伸ばし、光彰の口を塞ごうとする。ただし、運動能力でも黎に勝る光彰は、その手から容易にするりと逃れた。行き場のなくなった手を机に打ち付けて大きな音を立てながら、黎は顔を真っ赤にして憤っている。
「もーお前、そういう冗談言うなって! 八木くんが困るだろう? 彼みたいな真面目な人にそういうの通じないんだから」
「俺は冗談は言ってない。お前が冗談にしたいだけだろう? 嫌なら離れて行けと何度も言ったはずだ。でも離れて行かないんだから、これくらい覚悟しておけよ」
そう言われて返す言葉の無くなった黎は、何も言わずに前を向いてしまった。光彰はそんな黎の姿を見て、愛おしそうに目を細めている。八木はそんな二人の日常のコミュニケーションを堪能すると、「じゃあ最上くん、伝えたからね。よろしく」と言って自分の席へと戻っていった。
「ああ、ありがとうな。帰る前に職員室に寄るよ」
光彰がそう答えると、八木は背中を向けたままひらりと手を上げてそれに応えた。
ともだちにシェアしよう!

