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5-4 初恋は実らないなんて、嘘

 幼稚園の入園式。  記憶の中の白兎は、決まってそこから始まる。  桜が狂ったように咲き乱れ、薄桃色の花びらが舞い散る中。  幼い俺の瞳に映ったもの。 「ハクちゃん、大丈夫?」 「ハク、もしかして降りられなくなったのかな? ほら、父さんが下にいるから安心して降りておいで? 入園式はじまっちゃうよ?」  園内の遊具。子供の身体なら簡単に入ることができる、滑り台と簡単なアスレチック遊具が合体している遊具の天辺に設けられた、秘密基地のような屋根付きの小さな展望台の中。大人が手を伸ばせば届くくらいの高さなのだが、小さな子どもにしてみれば怖いと思う高さ。 「······いきたくない」  小さな声。ぽつりと。  俺は両親に手を握られたまま、その光景を見つめていた。遊具のすぐ横には何本もの桜の木が立ち並んでいて、雪みたいに舞っていた。 「あらあら。あの子、すごく可愛い子ね。女の子かしら?」 「どうしたんだろう? 先生を呼んできてあげた方がいいかな?」  ほとんどの参加者はもう園の中に入っていて、残っていたのは手続きの順番待ちをしていた数組だけ。俺たちは後ろの方だったこともあり、偶然にもその家族を目にしてしまったのだ。  この幼稚園は男女関係なく同じデザインの制服が指定されている。紺色の制服で、冬はズボン、夏は半ズボンらしい。だとしても、その見た目で男の子か女の子かくらいはわかるだろう。 「俺がせっとくしてみる」 「説得って····海璃、そんな難しい言葉どこで覚えたんだい?」 「カイくん、がんばって!」  この通り、俺の両親は俺にものすごく甘い。ちょっとしたことでも褒めちぎってくれるし、怒られたことなんて一度もない。  俺は両親の手を離して遊具の方へと向かった。 「あの子の名前、ハクちゃんっていうの?」  俺は遊具の下にいた大人たちに声をかける。俺に気付いた綺麗な女のひとが、「あの子は白兎っていうの。白い兎さんって書いて白兎よ」と笑顔で教えてくれた。 「ハクト? 男の子?」 「そうなの! 可愛いでしょう?」 「うん、····かわいい」  ちらっと丸い小さな穴から覗いて来るその顔は、同じ男の子とは思えないくらいに可愛らしかったけど、目が合うとすぐに隠れてしまった。 「おじさんたちはここで、ハクトのこと見てて? 俺がつれて来るから」 「気を付けてね? 危ないことはしちゃ駄目よ?」  危なくないように作られてはいるだろうけど、俺は勇気をふりしぼって最初の階段を上って行く。三段ほどの階段。その後は梯子かネットか選べる。ネットは最短。梯子はちょっとだけ遠回りだ。 (あの子、どうやってあそこまで行ったんだろう? 梯子かな?)  ネットはしがみ付きながら片足をのばせば、そのまま隣の遊具に渡れるようになっていた。その先はさらに三段の屋根付きの階段があり、そのままあの子のいる場所に辿り着くみたい。  梯子は四段くらい。その先は赤いトンネルがあって、這いながら行かないといけないようだ。トンネルを抜けるとそのままあの場所に繋がっている。トンネルの分がネットよりも遠回りになるといっていいだろう。    俺は最短ルートのネットの方を選ぶことにした。 「頑張れ~。慎重に、ゆっくりね!」  白兎の両親の横に、俺の両親が並んでいた。母さんが応援してくれるのはありがたいけど、なんだか恥ずかしい。俺はネットをクリアし、階段を上る。  遊具の天辺。  屋根のある小さな窓付きの部屋のような空間。日陰のせいかひんやりとしていて、薄暗かった。 「ハクト?」  体育座りで蹲るようにしていたその子は、俺の声にびっくりしたのか勢いよく顔を上げた。その大きな瞳には涙が浮かんでいて。まるで俺が泣かせてしまったかのような錯覚に陥った。 「······だあれ?」 「俺は、カイリっていうんだ。もどらないの? みんなしんぱいしてるよ?」  白兎の横に座って、横から顔を覗き込む。この空間は子どもふたりくらいなら一緒に入ってもまだじゅうぶん余裕があった。  丸い小窓から見えるのは桜の花びらと澄んだ青い空だけ。そこが唯一の明かりだった。 「······ようちえん、いきたくないんだもん。おうちにかえりたい」  全体的に長めの柔らかそうな髪の毛。大きな瞳。長い睫毛。守ってあげたくなるような弱さや儚さが、白兎にはあった。  俺は、俺を見上げてきたあの時の白兎の瞳に、ある感情を抱いた。今思えばあの瞬間から始まっていたのかもしれない。  俺の初恋というやつが。 「これから毎日いっしょにあそべるのに?」 「いっしょ、に?」 「うん。ともだちもたくさんできるよ? おうちにいるより、きっと楽しいよ?」 「····カイリ、くんも?」 「俺、すっごくたのしみだけどなぁ? ハクトもいっしょなら、もっとたのしい!」  無責任なことを平気で口にして、俺は説得を試みる。先のことなんてわからないのに、その時は本気でそう思ったから。 「ひとりぼっち、ならない?」  俺は白兎の手を取って、「大丈夫だよ」と頷いた。今日会ったばかりの名前も知らなかった子。 「俺たち、ともだちになろう!」 「····うん、なる」  小さく、恥ずかしそうに笑った白兎に対して、俺は。生まれてはじめて、恋というものを知った。  あの時から、ずっと。  俺は白兎に恋をしている。  ある日、公園の片隅にふたりで秘密基地を作った。すごく簡易的なやつ。長い枝を何本か集めて、布を被せただけの傾いたテントのようなもの。  子どもふたり、座ってぎりぎり入れるくらいの狭いスペースで、俺たちはそこでよく遊んでいた。もうすぐ小学生になる、そのくらいの頃の話。  この場所はほとんど誰も来ないような、遊具もベンチもなにもない場所だった。俺はこの日、ある決意を胸にやって来た。手には家からこっそり持ってきたお菓子の缶。そこにペンとメッセージカードを入れて。 「ハクト、おまたせ!」  甘いものが好きな白兎。お菓子の缶の中身は袋に包まれて小分けにされたクッキーが、二袋だけ入っていた。クッキーなら俺も好きだから、一緒に食べられると思ったのだ。 「キレイな色。お花がいっぱい描いてある」 「この缶に、おねがいごとを書いて入れようと思って、姉ちゃんからペンとメッセージカード借りてきたんだ」   本当は勝手に持ってきたんだけど。 「おねがいごと?」 「そう。おとなになったら開けて、かなったかどうかたしかめるんだ。めいあんだろ?」 「うん?」  ちょうどふたりで文字を書く練習をしていた頃だった。わかる文字を使って願い事を書き始めた俺たち。もちろんお互いに内緒のお願い事だ。  書いたものをそっと空の缶の中に入れて、テントの奥にしまう。子どもの頃だったから、タイムカプセルみたいに、穴を掘って埋めるなんてことは考えられなかったのだ。  夕焼け空。そろそろ帰らないと。でもまだ、白兎に伝えていない。今日こそ伝えたいと思って、ずっとどきどきしていたこと。 「俺、ハクトとずっと、ずっと一緒にいたいんだ。一緒にいるには家族になるのがいいんだって!」 「かぞく? 兄弟ってこと?」 「違うくないけど····ちょっと違うかも。かあさんがいうには、けっこんするとずっと一緒にいられるんだって。およめさんになってもらえばいいっていってた!」  俺はその意味を知らず、とんでもないことを考えてた。当時は結婚が男女でしかできないってことも知らなかったんだよな。今は別の方法で、同性同士でもそれに近いことができるようになってるけど。 「だからね····おとなになったら、俺のおよめさんになって!」  それは、幼い子どもの、なんの意味もない約束だった。 「うん。俺、カイリのお嫁さんに、なる」  それでも、白兎がそう言ってくれたから、俺は馬鹿みたいに喜んで。願い事もいつか叶うと信じていたんだけど。  まさかこの数日後に、缶の中の願い事も、ふたりの宝物も、秘密基地さえもなくなるなんて思ってもみなかった。 ********  白兎が俺以外の誰かと一緒にいるとわけもなくイラついた。  イジメられてると知って、黙ってはいられなかった。そのせいで女子と一緒にいることが多くなっていって、俺と遊んでくれなくなった。  俺は、思わず叫んでしまう。俺だけを見て欲しい。俺だけと仲良くしていればいいのに! 他の奴らなんて視界に入れないで? 俺だけを見て?  俺だけの白兎でいて?  そんな極端な感情が、周りからどう見えていたのか。あいつは、もうひとりの幼馴染は、それを怖いといった。大人になっていくにつれ、それが異常だと思い知る。こんな感情、おかしい。でも、白兎には気付かれちゃ駄目だ。  好きで好きで好きで好きで。  隠したい。  誰にも触れさせたくない。  傷付ける奴は赦さない。  けれども白兎とは、あんまり一緒にいない方がいいのかも。  白兎の好きな子って誰?  俺は、それをちゃんと祝福できる?  好きなものを好きっていえない俺たち。あれが完成したら、告白をしよう。白兎のためにと言いながら、俺自身のために作ったゲーム。本当の気持ちも、ぜんぶ。完成したら伝えよう。  俺たちに突っ込んできた暴走車。気付いたら、あのゲームの中だった。俺が関わった乙女ゲーム。俺のためにみんなが作り上げてくれたゲーム。白兎はもういないのに、目の前の白煉を愛することなんてできるわけがない。  けど。どうして俺は、白煉が気になるんだ? ただのゲームのキャラのひとりでしかないのに。白兎をベースにしているとはいえ、そんなことあり得ないだろう!  白煉には、好きなひとがいるらしい。青藍のことだろうと思ったら、違うみたい。そんな設定ないのに。もしかして海鳴? 他に関わりのある人物なんて、いただろうか?  白煉が突然とんでもないことを言い出した。自分は転生者だと。白兎も、このセカイに転生していた。わかってしまえば、もう、止められない。触れたい。抱きしめたい。好きだと伝えたい。    でも、白兎は違うかもしれない。だって、白兎には「好きなひと」がいるんだから。  どうしても自分の気持ちに決着を付けたくて、俺は訊ねる。好きなひとのこと。白兎にそんな顔をさせる奴の名前。数日、闇落ちする覚悟だった。だけど、白兎がその名前を音にした時。確認もせず引き寄せた挙句、思わず唇を重ねていた。  俺の初恋は、白兎の初恋でもあったのだ。  想いが通じ合った俺たちは、最後のシナリオへと進む。ハッピーエンドからのエンディング。  俺たちの知らない物語の終わりが、今、始まろうとしていた。

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