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番外編 親愛
――――あの日から、数年が経った。
自分の名前すら憶えていない幼子は、成長し十代前半くらいの少年となった。少女のような可愛らしい容姿だが、その能力は底が知れない。隠しているつもりだろうがその身体能力も、知力も含め、人並み以上の才能を兼ね備えている。
他の者たちとは違い、自分の境遇に対して不満もなく、ただ静かに俺の身の回りの世話をしているそいつは、その外見の特徴から『白き龍の民』に間違いないだろう。
あの日、賊に弄ばれそうになっていた幼子を守った白い光。大の大人を吹き飛ばしてしまうほどの力。俺たちとは別格の存在である『名無し』は、自身が何者かも知らないままここにいる。
俺に救われたと恩を感じているようで、それならそれで都合が良かった。
警戒していちいち拒否されるよりも、今の状態の方が話も通じるし、言うこともちゃんと聞いてくれる。他の奴らもその外見に騙されて、こいつは弱いから手合わせをしてもつまらないと思い込んでいる。しかし実際は、そうではない。
「赤瑯 兄さん、もう、いいですか? 俺、あんまりこういうの好きじゃないです。兄さんだって俺なんかと手合わせなんてしても、つまらないでしょう?」
臙脂の衣を纏う、白銀髪の少年。赤い瞳は大きく、声変わりをしてもまだ少し高めの声。幼い頃から見てきたが、相も変わらず童顔で細身。
初めてこいつに会った奴らは、その裸を見てもこいつが男だなんて信じないのだ。なんなら変な気を起こす馬鹿もいたので、沐浴させる時間を変えた。
「お前がいつまでも本気を出さないから、たしかにつまらないな」
「俺はいつだって全力で、本気ですよ?」
ぼそぼそと名無しが呟きながら眼を逸らす。実力を隠しているの、知ってるんだからな。軽く流して終わらせようという魂胆が見え見えなんだよ。
「そんな怠け者のお前に、初仕事をくれてやる」
「仕事、ですか?」
すごく嫌そうな顔をして、木刀を下ろして俺を見上げてくる。
いつもの雑用ではなく、暗殺者としての仕事だと察したのだろう。どこか違う雰囲気にすぐに気付いて、なにか言いたげだった。
「ひと月後、第一皇子の花嫁探しの儀式が行われる。その儀式に潜り込み、皇子を暗殺しろとの命だ。姚 妃直々の命だから、失敗は赦されない。お前なら花嫁候補として潜り込んでも問題ないだろう? まあ、初仕事が大仕事だから、他にも何人か忍び込ませるが、」
「····どうして、俺なんです?」
「皇子の周りは護衛だらけだ。今回の計画は二段構えでいく。ひとりは直接的にわかりやすく堂々と命を狙い、残りは退路の確保。お前はその騒動に乗じて皇子の信頼を得て、花嫁候補に残るのが任務だ。後は王宮内に潜り込ませている仲間の指示に従えばいい。皇子を殺す時宜 はこちらで判断する」
これが、表の計画。
裏の計画は、名無しを本来いるべき場所に帰すこと。皇子が今の名無しの姿を見て、自身が捜し続けている白煉 だと気付くことができれば成功するが、正直どうなるかは賭けだ。
「断ることは、できないんですよね?」
「頭領の命 は?」
「······絶対、です」
なかば強制的に行かせることとなるが、お前にとっても良いに決まっている。いつ沈むかもわからないこの船に乗っているよりも、ずっと安全なはず。すごく不服そうな顔をしているが、今回は甘やかすのはなしだ。
数日後、王宮のとある場所で姚妃と顔合わせをし、偽の計画の内容を話すと、姚妃は満足げに微笑んだ。必要な所作を学ぶようにひとを寄こし、女たちに混ざって名無しが慣れないことをしている様は、愛おしさとおかしさで腹がよじれそうだった。
ひと月後、無事に花嫁探しの儀式に臨む名無したち。結果は、予想以上のものだった。青藍 は名無しが誰か、すぐに気付いたようだ。名無しは青藍を庇って毒を受けたが、なんとか治療を受けることができたようだ。以降、客人として傷が癒えるまで居候することになったらしい。
蒼夏 も姚妃が開くお茶会に同席するという知らせを受けた。なにかあれば助けると言っていたので、不本意だったが任せることにした。
「あの子が、あの時の子なんだよね? 俺、あの子のこと、もっと知りたいと思ったよ。それくらい、面白い子だった。赤瑯は保護者として、どういう気持ちで送り出したんだ?」
あの蒼夏さえも名無しに興味を持ったようだ。他人にまったく興味のない、色々と歪んでいるこいつさえも、あいつの前では絆されてしまう。名無しには不思議な魅力があった。本人がなにかを考えてそうしているわけではなく、周りが勝手にあいつに惹かれてしまう。
変な虫が湧いたように寄ってくる。それらを蹴散らせるくらいの力はあるが、本人は無自覚でやっているので、それに気付かないのが唯一の心配の種といえよう。
青藍が定期的な市井の視察で王都にやってくるようだ。その期を逃すまいと、正確な日時を蒼夏から情報提供してもらった。目的は接触。名無しは毒の影響で、一時的なものらしいが記憶喪失になってしまっているようだ。
そもそも記憶がないのに、さらに俺たちのことも忘れてしまったってことか? ややこしいな。
「逢ってどうするの? あなたのこと、あの子は知らないんでしょ? だったら思い出さない方が逆にいいんじゃない?」
「それでも、あいつに伝えてやらなきゃなんねぇことがあるのさ」
皇子の花嫁になる?
そんなことになれば、素性がバレた時に苦しむのはあいつ自身だ。
暗殺者集団に属していたことを皇子が知らないまま、いつまでも隠し通せるわけがない。記憶がないなら尚更だ。その手が穢れていないことを知る必要がある。どこまで憶えているのか、確認する必要もあった。
「ふうん。まあいいけど。俺は俺で色々とやることもあるし。お茶会の一件以来、あのひとの考えがいまいち読めなくて。最近は自室にこもりっきりなんだよね、」
だとしても、俺にはまったく関係のないことだ。
姚妃からはあの日以来、なんの連絡もない。仕損じた件で責められてもおかしくないはずだが。まあ、なにもないならそれでいいさ。
久々にあいつの顔を見た。市井で青藍の横に並んでいるあいつは、なんだか別人のようだった。このまま記憶が戻らない方が幸せなのかも? そう思ってしまうほどに。
けれども顔を合わせた時、あいつは俺の名を呼んだ。記憶が戻った? そんな都合の良いことがあるだろうか。青藍の剣を奪い、仲間たちを倒したあいつは、確かに俺の知っている名無しだった。
「行ってきます、兄さん」
そう言って微笑んだあいつを、俺はただ見つめていた。大切にしてきたつもりだった。ずっと、傍に置いておきたい存在だった。
そんなあいつが、俺の許を離れ、自分が選んだ場所に帰っていく。まるで、雛が巣から飛び立っていくかのように。
拠点に戻り、あいつの荷物を整理していた。ほとんどなにもなかったが、俺が記憶がないことに悩んでいた幼いあいつに提案した、日記。毎日欠かさず書いていたそれが大切にしまってあった。
「····これは、」
ぱらぱらと勝手に日記を開いて中身を確認する。あいつの不安やここでの生活に対する想い、心の支えにしていた夢の話がそこには綴られていた。
俺はある決断をする。もう一度、逢わないといけない。そして、本当の意味であいつと訣別する必要があると確信する。
いずれにせよ、この国での仕事もそろそろ終わる。別れは、いつか来るのだ。あとは、あいつが幸せになれるように、ただ遠くで祈るだけ。
親愛。
それが、俺があいつを想う気持ちの正体だと気付いた。本当の家族のように、弟のように想わせてくれた。それは、かけがえのない時間。ひとを殺すことしか知らなかった俺がもらった、大切な気持ち。
だからこそ、俺だけがしてあげられることをしよう。それが、俺からの最初で最後の餞別だ。
番外編 親愛 ~完~
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