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120.
姫宮に向けた時は笑みを含ませた顔を見せた。
「それで姫宮様、その治験はいつから始まるのですか?」
「⋯⋯あ、えと3日後です」
「そうですか。ゆっくりしていられませんね。でしたら今から余裕を持って準備することを推奨致します」
確かにおちおちゆっくりしている場合ではない。
「ではやってきます」とリビングから離れようとした時。
「話は終わりましたか?」
ふと声を掛けられた。
見ると小口とそれに大河がこちらの様子を伺うようにいつの間にかそばにやってきて、じっと見つめていた。
「優先的にやらねばならないことがあることは分かってますが、その前に大河さまと話をしてやってください」
「ほら、大河さま。ママさまと話してきてください」と促しているが、当の本人は姫宮のことを見つめたまま、微動だにしない。
いつもなら帰ってきてすぐにそばに寄ってくるのに。
「大河⋯⋯? どうしたの」
膝を着いて、両手を広げてみせるが、大河は持っていた編みぐるみをぎゅうっと抱きしめるだけで駆け寄ってこようとしない。
どうしたのだろう。
「何か、ママに言いたいことがあるの?」
そう訊ねてみると、小さく口を開いた。
「⋯⋯っ、ま⋯⋯ぁ⋯」
ママ、と伝えたいのは分かる。だが、その後に続く言葉を発することが難しいのか、口を開けても掠れた声しか出なかった。
「⋯⋯っ⋯⋯」
食いしばるような歯を見せる。
発したい言葉はなんだろう。
「⋯⋯っ⋯⋯、⋯⋯ぃ⋯⋯」
力むように発せられた小さな声で聞こえてきたそれらしい言葉。
またそれを発した時ははっきりと聞こえたその言葉の後、また何か言おうとしたが、直後大河は地団駄を踏み、姫宮の隣を横切り、走り去ってしまった。
バタンッと大きな音が遠くから聞こえた。
「大河⋯⋯」
伝えたいことが言えず自分自身に怒っているようだったが、我が子の言いたいことが分からない姫宮のことを責められているようだった。
「あ〜悔しくて行ってしまいましたね。あともう少し頑張ればいいのに」
場違いなほどに間延びした声が聞こえてきた。
「まあ、わたしが宥めておきますので、姫宮さまはやるべきことをやってきてください」
「はい⋯⋯」
大河の元へゆっくりとした足取りで向かう小口に小さく返事するしかなかった。
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