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第4話 少年と吸血鬼 ④

「軽羅?」 「……ははぁ? やけにズタボロだな。苦戦した、ようだな」  軽羅の手が、砂やら血やらで汚れた歳星の頬を拭うように撫でる。 「すまん。汚れが広がっただけだわ」 「軽羅? ……え? 生きて、る」  思わず軽羅の手首を握る。弱々しいが、しっかり脈打っていた。  熱い滴が勝手に零れ落ちた。 「お、おい! 歳星。泣くな! どうした? あいつか? 幻曜にいじめられたのか⁉」  ぎょっとした軽羅が身体を引きずり、抱きしめてくる。歳星は反射的に抱き返す。両腕で。しっかりと。  黒髪をポンポンと叩き、軽羅は苦笑を滲ませた。 「う、ううっ」 「すまんな。心まで傷つけて。戦わせた俺のせいだ。優しいお前には、逃げろと言ってやるべきだった。……今更、だな」  歳星は頭を横に振る。 「ううん! いい。軽羅が、生き……っ、う、ぇえ」 「ああ。ありがとう」  泣き出してしまう歳星の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。軽羅も歳星の肩に顔を埋め、力の限り抱きしめた。  しばし、互いの体温を分け合っていたが、やがて雨音に草を踏む音が混じる。  軽羅を庇って振り返れば、手を振っている幻曜だった。 「おーす。軽羅君! 生きててくれて嬉しいよ。君の血、とても美味しかったからさ。また人間見つけるのも面倒だし」 「幻曜貴様。スーツはどうした?」  呆れ口調の軽羅に、幻曜はキザったらしく髪を払う。 「歳星君に分子レベルにまでバラバラにされたけど?」  幻曜は少年漫画のようにズボンだけ無事な有様だった。上半身を狙い撃ちされたのがよく分かる。 「吸血鬼はそれでも再生できるのか。見事だな」 「そんな褒めないでよ。それで相談なんだけどぉ? 私は今ね? 一回死んだだけで消滅しそうでさ。良かったら献血にご協力して頂けたり?」  真顔で爪を伸ばす歳星に、露骨に慌てふためいた。 「ちょ、軽羅君あの! 君の吸血鬼何とかして」 「と、言われてもな。貴様は危険だ……いって」  撃たれた肩が痛むのか手で押さえている。 「痛む? 早く拠点に戻ろ? そこならまだ最低限手当てできる!」 「そうしたいが。動けん」 「わ、分かった。俺が運ぶから。ちょっと幻曜さん殺してくるから待ってて?」 「歳星君⁉ 私もう本当に! 駄目だって死んじゃうって。……それに、君も人殺しは初めてだろ? 嫌デショ? 人殺し」  見透かすように言われ、歳星の顔が強張った。ずるずるとトドメを引き伸ばしにしていたのは、人を殺すことに躊躇いがあったからだ。手にかけてしまえば心の弱い自分は、絶対に後悔の念に囚われる。ずっと塞ぎ込む。  ゾンビだって元は人だが殺すことに躊躇いはなかった。そもそもゾンビは死んでいる。それでも考えないようにしていた。自分たちを守るためだと割り切った。  でも幻曜は。心がブレーキをかける。意思疎通できる。何より見た目がそのまま人間だ。どこも死んでいない。  どうする? 適当な理由をつけて見逃す? いや駄目だ。殺しておかないと。でも…… 「……っ」  もう一押しかな、と幻曜は言い募る。 「それにほら。軽羅君が生きていたのって私のおかげでもあるし?」 「どういう意味だ?」 「寝言は起きてても言わないでください」 「まあ、聞きなよ。お二人さん。吸血鬼は吸血時に、家畜に自身の力をほんのちょびっとだけ分け与えるんだ。餌が長持ちするようにね……」  幻曜はスッと軽羅を指差す。 「軽羅君。君は二人の吸血鬼に血を吸われた。つまり今の君は、二人分の生命力が蓄えられている」  ほぼ不死身生物の生命力ともなれば、人間にとって微量でもかなりのエネルギーになる。  軽羅は自分の、血まみれの手のひらに目を落とす。 「ふむ。あり得ないほどの出血をして、俺が死んでいないのはそのためか」 「そうそう。ね? 歳星君。軽羅君を私とシェアしようよ~。二人でタッグを組んでさ? 残りの人類を支配下に置いちゃわない? きっと楽しいよ? 世界の半分をお前にやろう、ってやつ」  きゃぴきゃぴ楽しそうないい年した男性を、歳星の白けた目が射抜く。 「軽羅を傷つける可能性のある危険人物を、生かしとくメリットないですよね?」  幻曜は地面に両手をついて項垂れた。 「男なら世界の半分に~の台詞に反応しなよ! 君。軽羅君のことしか頭にないのかい? どんだけ好きなのさ」  自分の気持ちを指摘され、あろうことか口に出され、思春期男子はカァッと頬を染める。 「そんなわけ……ッ‼ 変なことを言うなよ」  ムキになって口調を荒げるが、軽羅に背中を叩かれた。 「ヒッ! 軽羅⁉ ち、違……。今のは幻曜さんの勝手な……」 「すまん。血を流し過ぎで耳まで聞こえんなってきた。俺は今、声を出しているか? 視界も砂嵐が酷くてな。あまり見えん。歳星。そこに、いるよな?」  誰かを探すように、軽羅の手が上下に揺れる。歳星は何も考えずその手を握っていた。 「休める場所に、行こう」 「……運んでくれ。悪いな」  血を半分以上失った軽羅の身体を抱き上げる。軽羅は両腕を首に回してきた。落ちないように掴まっているのだろうが、密着具合に歳星は二~三歩よろめいた。 「ふえ! ふぐぐぐぐっ」 「歳星? 大丈夫か? 傷が痛むか?」 「へ、平気、平気!」  幻曜を放置して翼を広げる。拠点へと羽ばたいた。軽羅の前であまり人外じみた行動を取りたくなかったが、そうも言ってられないので翼で宙を駆ける。  背後を確認すると、かなり距離を取って幻曜がついてくる。歳星と目が合うと両手を振って無害アピールしてくる。撃ち落とそうかと思ったが軽羅の荒い息遣いに、平常心と平衡感覚を失わないようにするので精一杯だった。 「ググウウゥ」 「邪魔」  拠点に着地するなり飛び掛かってきたゾンビを蹴とばす。デコピンされたおはじきのようにすっ飛んで行った。バリケードがまた壊れたのだろうか。  車庫に入り、ソファーに軽羅を座らせる。眠ってしまったのか前のめりに倒れかけた。しっかりと背もたれに預ける。 (ふう)  服を脱がして身体を拭いてやる。救急箱を開けて手当てをしようとしたが、肩の傷はほとんど塞がっていた。大きめの絆創膏を貼るだけで良さそうだ。ぺたりと貼って替えの服を探すが、無い。 「あれ? あ、そうだ」  軽羅が今着ていた服が予備の服だったのだ。彼に着せる服が無い。自分の服……と思ったがぼろ雑巾だ。幻曜のスーツを奪おうと考えたがあいつも上裸。ゾンビの服は、肉汁や腐臭やらが染みつき、お米と交換でも着たくない。  ひとまず、シーツをぐるぐると巻いておく。 「よ、よし」 「おっじゃましまーす」 「出てってください」  雪でも降りそうな氷点下の声に、幻曜は肩を竦めた。 「まあまあ。いいじゃん! 残機残ってないんだしぃ。そうつれなくしないでよ」 「今は、ですよね?」 「ソコ、座って良い?」  指差したのはソファー。軽羅の隣。 「どうぞ。座った瞬間めった刺しにしますが」  銀のナイフを手のひらで弄ぶ。大人は床に腰掛けた。 「歳星君さ。さっきのあれ、何? どうやったの?」 「はい? あれ、とは?」  重力を操ったことだろうか。それなら、それはこっちが教えてほしいくらいだ。 「君さ。急にパワーアップしたデショ? 勝てるはずないんだよ。歳星君が私にさ。でも最後。いきなり私を掴んで振り回しただろ? あれ何?」 「……」  歳星は目線を下げる。あれは……。  ――気になる人の前で、負けたく、なかったから。醜態を晒したくなかったから。  恋する男子の意地。とでもいうのだろうか。  またもやボッと赤くなる少年に、幻曜は違う推理をした。 (歳星君がまだ一度も人の血を、吸ったことのない未熟吸血鬼だったから、カナ? あー。それで弱く感じただけか……)  見下していたがそれならばもう、歳星は自分と同格の吸血鬼だ。甘ちゃん少年とはいえ油断はできない。  歳星もすとんと床に座り、膝を抱えた。 「一人じゃ決められないので、軽羅が起きてから改めて考えます。貴方の処遇」 「軽羅君に決めさせるわけ?」  意地悪く言う大人に、即座に、だがはっきりと言い返した。 「二人で、決めます」  ーーー  朝目覚めると、くたびれた様子の歳星だけが部屋にいた。 「おはよう‼ どうした? 悪夢でも見たか?」 「……軽羅」  声をかけると、じめじめとキノコでも生やしそうな歳星が抱きついてきた。 「お?」 「もうやだ~。あのおじさん見張っていたんだけど、見張らないといけないからずっと一緒にいないといけないし。ずっと下ネタとか下世話なこと喋るし。もう疲れた!」 「お、おおう。そうか。大変だったのだな」  人付き合いが苦手な歳星には地獄の時間だった。 「もうやだ。もうやだ~」 「ご苦労‼ なに、飯でも食べて忘れよう。猪があっただろう。な?」  弟でもあやすように、ぎゅっと抱きしめられる。 「……」  ここでようやく自分が何をしているのか気づく。  甘ったるい血のにおいを全身に纏った上半身裸の軽羅に、抱きついている。空拭きしただけでは、血の汚れはまったく落ちていなかった。 「――――ッ‼⁉?!‼」  人間の耳では聞き取れない高周波(悲鳴)を放つと、外でラジオ体操している幻曜を殴りに行った。 「なんだか、理不尽な暴力を受けたんだけど」  バリケードの修理をしていた二人が帰ってくる。お手製バリケードは、二人の吸血鬼の争いの余波で半壊していた。  腫れた頬を摩っている幻曜と、真っ赤な顔でうつむいている歳星を出迎える。服の代わりにシーツを巻きつけている。男しかいないのだし上裸のままでもと思ったのだが、無言で歳星にマントのように巻かれてしっかり結ばれた。  包丁を握っていない方の手で、軽羅は彼の肩を叩く。 「ありがとう歳星‼ 修理を任せてしまってすまんな! 助かるぞ」  満面の笑みに、プイッと顔を背ける。 「……、い、いいよ。仕事だし」 「私には感謝の言葉はないの?」 「殴られた、という事は。どうせ何かやったんだろう、貴様。謝れ」 「ついに軽羅君が名前すら呼んでくれなくなったんだけど」  包丁を置くと、鍋を抱えて中身を自慢してくる。 「見ろ‼ 牡丹鍋だ。野菜少なめで肉がほとんどだがな!」  歳星は眩しそうに目を細め、幻曜は「うっせぇ……」と耳を塞ぐ。 「野生動物の解体なんてよくできたね」 「ふふん! 子どもの頃、料理男子が一番モテると聞いたからな! 色んなことを手広く学んだものだ!」  ビシッと半ばから折れて中途半端な長さのオタマで天井を差す。つられて天井を見るが、何もない。 「え……。軽羅君ってずっとこのテンションなの?」  おばけと遭遇したような顔色で引き気味の幻曜に、歳星は頷く。どこか自慢げに。 「寝る瞬間までこうですよ」 「そ、ソッカー」 「嫌ならどこかへ消えてください。早く。さあ」  扉を開けて「出て行け」と態度で示す少年に、ビキッと青筋が浮かぶ。 「出てかねーよ。一生寄生してやっかんな」 「後は煮詰めるだけだ。火をくれ!」 「うん」  火を使うので外で食事をする。  運んだ鍋を焚き火の上に置き、木の枝に爪を滑らせた。目にもとまらない速度で。  簡単に火がつく。集めた枝に放り込んだ。  風を感じるウインクを贈る。 「素晴らしいっ! 火にも食料にも困らないのはお前のおかげだ! 歳星‼ 感謝するぞ‼」 「毎回言わなくていいって」  気になっている子に褒められ心がほわほわする気分に浸っていたのに、馴れ馴れしくおじさんが肩を組んでくる。  悪魔が囁く。 「お礼にキスさせろ、って言えば?」  おじさんの顔を押しのける。 「ッブ‼ 何言ってんですか!」 「塩と焼き肉ソースしかないからな。調味料は。好きな方を使ってくれ!」  結局。少年たちは結論を出せなかった。  牡丹鍋を突きつつ話し合ったが、「うん! 決められん。幻曜‼ 自主的にどっか行け」「やだよ」となったので、攻撃してきたら問答無用で殺処分する。ということを、決めた。  危険な判断だ。殺した方が良いに決まっている。だが平和な国で暮らしてきた二人が、意思疎通できる人型の生物を殺せないのも無理なかった。 「猪の肉はまだあるし。役立つものを探してくるよ」 「助かる」 「これが必要、とかあったら、重点的に探すけど?」 「そうだな。ホームセンターにでも売っていた野菜の種、が欲しいな‼ 冬に……うん」 「? 何?」  あれもこれもと言いたくなる気持ちをぐっと堪える。あちこち探させるのは悪いかなと思ってしまうのだ。食料も冬に備えての毛布も、必要なのは軽羅だけ。自分しか使わないものを彼に探させていいものか。 「いや……」 「?」  軽羅が冬に毛布にくるまっていると、寒くないはずの歳星が「さ、寒いね」と言いながら同じ毛布に入ってきたことがあった。あれは、きっと自分も必要だから、気にするなと俺に言いたかったに違いない(顔は赤いし心臓の音もめちゃくちゃ聞こえたけど)。きっとそうだ‼ 遠慮するなという事だな理解したぞ‼ 「軽羅?」 「冬用の毛布も頼む! 衣服類も、見つけたらで構わない。あ、毛布は冬用拠点の方に置いといてくれ」 「ん。分かった。これ食べたら行ってくるよ」  あっさり頷く歳星に、やはり自分の直感は間違ってなかったんだと得意げになる。  食後。  軽い休憩を挟んで、歳星はだらけている幻曜の首根っこを掴む。 「ほら。行きますよ。毛布と野菜の種見つけないと」 「私は軽羅君と留守番していたいなー。お腹いっぱいで動きたくないしサァ。久しぶりに血液以外のものを口にしたよ」 「は?」 「嘘です。働きます」 「ああ、待て待て!」  鍋を洗っていた軽羅がタワシ片手に走ってくる。 「え? 忘れ物?」  持ち物を置くと、軽羅はがしっと歳星の顔を掴んだ。タコになる美形。  背伸びをして、顔を近づける。  目をガン開いた幻曜が覗き込んでくるが、歳星の肘打ちで消えた。  にこっと笑う。 「うん! 目は赤くないぞ!」 「そ、そう」  うつむいて赤い顔と、手の甲で口元を隠す。もっと違う確認方法にしませんか? と言い出せないのは、一日一度の楽しみ、だからだろうか。ろくな娯楽も無い現状。楽しみは多い方が良い。  声が裏返る。 「ありがとぅ。い、行ってきます」 「行ってらっしゃい‼ 気をつけてな。歳星!」  幻曜の足首を掴むと、酔っ払いのような足取りで引きずって行った。  崩壊し、ゾンビがさまよう世界で少年たちは逞しく生きていく。 【完】

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