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続 崩壊した世界で Ⅲ

「女たちは、あいつらが纏めて連れてっちまった」 「子どもらもだ。ペットにするとか。俺たちは朝から晩まで働かされてんだ。ゾンビが出れば命がけで戦わされる……! どうにかしてくれよ‼」  あのゾンビの死体の山はそれが原因か。非道なことをさせる連中がいるようだ。  ペットや命がけという、不穏な単語を聞いて幻曜を思い浮かべる。 「ここにも、吸血……『超重度感染者』がいるのか?」 「いんや? 『超重度感染者』を見たのは今日が初めてだ。あいつらってのは、そこのショッピングモールを仕切ってる連中のことだ!」  愚痴や不満の混じった話を纏めると、女子供を攫い、非常食やドラッグストアの薬を独占し、園芸用の道具や種で男たちに畑を作らせ働かせ、自分たちは収穫した野菜をただ奪っていく。男たちに残るのはわずかな食料のみ。女房や子供を人質に取られ、逃げるに逃げ出せないとのこと。 「……物語に出てくる悪徳領主のような連中なのだな」  呟く軽羅の顔が引き攣る。  大人たちは縋るように歳星を見つめてきた。  軽羅は歳星の横に並ぶ。 「歳星。お前はどう思う?」 「んー? 吸血鬼がいないのなら俺ひとりでも何とかなると思うけど。追い払ってもまた戻ってくるんじゃない?」 「その時のために君たちが護衛として残ってくれよ!」 「そうだそうだ。子ども二人じゃ不安だろ?」  すっごい小声で、「二人きりが良いんだけど」と呟いたのを、軽羅の耳だけが拾っていた。  こういうところが可愛いなと、軽羅は腰に手を当てる。 「ひとまず。様子だけ見に行ってみないか? 歳星でも手こずりそうならやめればいい」 「……」  大丈夫だって言ってるのに、変わらず歳星の心配をしてくる。 「うん。分かった」  頷く美形に、男たちは目を輝かせる。 「助かる!」 「ありがとう!」 「一応言っときますけど、軽羅を、『軽度感染者』だからと一度でも差別したらどっか行きますから」  男たちは赤べこのようにうんうんと頷いた。 「心配するこたぁねえ! 『軽度感染者』も仲間にいっぱい混じってんだ」 「髪の色変わっただけで殺すのはどうかと、俺たちも思ってたんだ。さ、来てくれ!」  連れて行かれたのはショッピングモールの駐車場。  地面のコンクリートは剥がされ、畑が広がっていた。火は弱まったようだがまだ燃えている。よくよく見れば、燃やされているのは服飾店などに置かれているマネキンだった。近くの建物に燃え移ったのか、かなりの面積が黒焦げている。酷いにおいだ。  なかなか、気分の良い光景ではない。 「これは? 何を思ってマネキンに火を?」  手で、鼻や口を覆う。  「仲間の一人が逃げようとしたところ、あいつらに見つかって。次逃げたらお前とお前の家族がこうなるって。あいつら笑ってやがった」 「世紀末的な発想だな」  見せしめと言ったところか。ここは本当に日本だったのだろうか。妖しく思えてくる。  火事の煙など害でしかないので、歳星は翼を羽ばたかせた。台風めいた風が吹き荒れ、火をマネキン諸共、街路樹や砕けたコンクリートなども吹き飛ばす。 「ひい! すっげ!」 「え? こんなにパワーあるの?」 「強いとは聞いてたけど、これじゃバケモ……」 「見事だな‼ 歳星! だがこれで奴らに勘付かれたかもしれんぞ」  不快な言葉が聞こえたと思ったが、自分を褒めてくれる軽羅にどうでもよくなる歳星である。  誰も居なかったら抱きしめているんだけどなぁと思いつつ、歳星は風で乱れた髪をかき上げた。助けを求めた大人たちの顔が少女漫画のようにキュンとときめく。 「ていうか、あのショッピングモールって幻曜さんが向かった場所だよね? もう彼が暴れてるんじゃない?」 「ああ、その可能性を忘れてたな。ま、行くだけ行こう」 「「「気を付けてー」」」  恋に落ちたような大人たちに見送られ、元ショッピングモールへと足を踏み入れた。  歳星が不安そうに振り返る。 「あの人たちどうしたんだろう……。目がハートなんだけど」 「鏡見てこいイケメン」  ーーー 「ほらー! ヤッパ歳星君も牧場作りにきたんでしょ! 知ってた!」  出迎えたのは鬱陶しい顔だった。  ここを占拠し、好き放題していたと思われる人物たち。ざっと数えて三十名はいるだろう。  その全てが家畜のように全裸にされ、四足歩行を強要されていた。ボスっぽい人は幻曜の椅子と成り果てている。人の言葉を話すのも禁止されたようで、歳星たちを見ても「ブヒブヒ」としか言わなかった。寒気がする。 「なんだここは地獄か?」 「キッツ……」 「はいはいお二人さーん。引かないのいちいち。このくらいでさぁ? あ、この豚たちは私の家畜だからね。他当たってヨ」  しっしっと手を払う幻曜。  家畜の一体が助けを求めるように、軽羅の足にしがみついてくる。 「ブヒイィ!」 「お、おい!」 「ブヒィ! ブヒッ‼」 「ちょ、変なとこ触るなっ……」  ――ドカッ  長い足に蹴飛ばされ、豚さんはショッピングモールの床をお尻で滑って行った。  静かな怒りを発する歳星に、家畜男性たちが見事に揃って後退っていく。 「幻曜さん。躾がなってませんよ」 「あー。ごめんごめん。怒んないでよ。まだ飼い始めたばっかりなの。躾も芸もコ・レ・カ・ラだよ。コ・レ・カ・ラ」  軽羅が歳星の肩を強めに掴む。 「おい‼ 躾とか家畜とか……順応するな! 異常な光景だぞこれは! 目を覚ませ歳星」 「はっ」  前方に回り込んで胸ぐらをつかんでくる軽羅に、そうだったねと照れ笑いする。  それはそうと愛しいので抱きしめた。  目を点にしている全裸たち。  幻曜はムカついた様子で眉間を揉んでいた。 「おい。人前で」 「さっきは人がいたからハグできなかったからね」  おっと? 「歳星? 幻曜も男たちもいるんだぞ!」 「ここには軽羅しか人間はいなくない? 家畜は人間に含まれないよ」  まだ目が覚めてないっぽいので、前後にぶんぶんと揺すっておく。  二分後。 「おはよう。おえっ」 「目が覚めたか……。まったく。貴様の教育に悪い行動のせいだぞ」  幻曜は知らん顔で口笛を吹いている。 「しかし。貴様にはこれらが美少女に見えている、わけか?」  美少女牧場を作るとか言っていたはずだが。  青ざめる軽羅に、幻曜は椅子の尻を思いっきり打った。 「プギィ!」 「んなわけないでしょ……。このオス豚たちは、美少女たちのお相手だよ。伴侶伴侶。数を増やしてほしいからね」  気分が悪くなってきた。 「このショッピングモールも燃やしてしまうか。幻曜ごと」 「ちょいちょいー? ナカヨクしよって言ってんじゃん? それにここはまだまだ人が住める建物だ。薬もまだあるし。君の一存で壊していいのカナー?」 「良いに決まってんだろ。気色悪すぎる」  回れ右する軽羅に幻曜が追いかけてくる。 「んもー! せっかく本格的な家畜ごっこ開始! と思ったのにー」 「していればいいだろ」 「そうですよ。ついてこないでください」 「んー? でも、軽羅君の血の味に及ばなかったしサァ?」  少年たちは足を止める。 「……吸ったのか? あいつらの血」 「はい? 血を吸わずになにをするの?」 「でも! 変化してないじゃないですか!」  血を吸った幻曜は黒い、二足歩行のハリネズミの怪物、のような姿となる。人によってはゾンビより恐ろしく映るだろう。  幻曜は肩を竦めた。 「吸血初心者の歳星君に良いこと教えてあげよう。吸血した際の力は、好きなものに割り当てられるんだ。再生回数を増やすとか、さっき言った変化とかニネ? そうやって自分を強くしてイクンダヨ? お分かり?」 「……ゲームで言う、スキルツリー(キャラクターの能力を示す図)のようなものか」  ぴっと指を差す。 「正解その通り。防御特化とか、スピード特化になろうと思えばなれるわけ。だーから、歳星君も油断してると、次は負けちゃうかもね?」 「……」  歳星の心境は複雑だった。  彼はまだ、一度も血を吸っていない。(思い出すと頭が爆発するので全能力を駆使して記憶を沈めているが)血ではなく飲み込んだのは唾液。同じ体液だが…… 「んぐ」  思い出して爆発しそうになってきた。 「幻曜貴様。あの全裸たちをどうするつもりだ? あいつらはここを仕切っているようで、俺たちは追い払うよう頼まれたんだ」 「んー?」  幻曜は軽羅の首筋を撫でる。もう傷跡はないが、血を吸った方の首を。 「触っ」  血を吸われた時の恐怖が沸き上がってきて、手を払いのけようとする。  浴衣の衿を掴まれると、強引に引き寄せられた。 「幻……」 「軽羅君がまた血をくれたら? 豚さんたちにもう悪さしないように躾してあげるけど? どうかなー?」  ズドンと項に手刀を落とされ、幻曜はモールの床にめり込んだ。 「歳星がいてくれて良かった……」 「ん」  全裸連中を見た大人たちの反応は様々だったが、暴力支配からの解放を喜んだ。監禁されていた女性や子どもたちも、大きな怪我はない。……怪我は。  何人か孕んでおり、なかにはPTSDを発症している者もいた。  予想していた事実に、歳星は吐きそうな顔色だ。 「最悪……」 「幻曜。あいつらを去勢しておけ‼」 「了解。ボスー」  いつから俺はボスになったのだろうか。爪を伸ばす幻曜に、好き勝手していた男たちは竦み上がった。  ーーー  組み木でキャンプファイヤーをしながら、その周囲で踊ったり酒を飲んだり。  どんちゃん騒ぎを三人は少し離れたところで、廃車に腰掛けて眺めていた。 「新たな祝日やお祭りが生まれそうだね」  念願の煙草を、それはもううまそうに吸っている幻曜が鼻で笑う。爪は鋭く、牙も針のようだが、それは歳星も同じであった。 「結構長い期間、奴隷状態だったみたいだし。皆嬉しそう」 「だな‼ 歳星のおかげだ」 「私は?」  支配から解き放ってくれた吸血鬼たち。お礼として彼らの育てた野菜と非常食が配られた。軽羅は「何もしてない」と断ろうとしたが、区別なくこれもこれもと渡される。  軽羅はキャンプファイヤーで焼いたナスを齧っていた。 「野菜作りをさせられていただけあって、大きいし美味いな!」  調味料は拠点の方に置いてきてしまったので、シンプルなナスの味。だが身体は野菜の栄養を欲していたようで、食べる手が止まらない。 「そっか」 「これも食べなー」  血が至高の食べ物である吸血鬼二名は、貰った野菜やら非常食やらを軽羅のリュックに詰めこんでいく。いらないとばかりに。 「聞くが。お前たちは血液以外を口にしなくて平気なのか?」  歳星と幻曜は互いに顔を見合わせた。  美形は膝を立てて頬杖をつく。 「何回も言ってるじゃん。食べられるけど食べたいとは思わない、って」 「私もー。動物や人の血の方がおいしーし」 「そうか」  炎を見つめていた軽羅が、ぽつりとつぶやく。 「……飲むか? 血液」  幻曜は目の色が変わり、歳星は幻曜を殴り飛ばした。 「なんで⁉」  幻曜はガードレールに突き刺さった。 「軽羅! そういうこと言うなってば!」  屋根からボンネットに下り、軽羅の隣に座る。 「お前には助けられてばかりだろう? 何か、お礼が出来ないかと思ってな」  星が飛び散るウインクをまともにくらい、歳星まで車から落ちそうだった。 「うぐ! あ、あのな。お、おおお、お礼なんて。俺は軽羅が元気でいてくれればそれでいいんだから」 「ふん? そういうものか。欲が無いな」  軽羅はキャンプファイヤーに向き直ってしまう。オレンジの炎に照らされる横顔。欲ならあるよと呟いた声は、歌や踊りの音にかき消された。  泥と砂埃まみれの車内で、軽羅は目を覚ました。 「……ん」  眩しそうに、ぎゅっと目を閉じる。  先週までの大雨が嘘のようだ。欠伸してから目を開けると、歳星と目が合った。自分の膝を枕にと貸してくれていたようだ。やわらかくほほ笑んでいた。 「おはよう」 「おはよう‼ 歳星! 一晩中そうしていたのか? 膝痛くないか⁉」  駐車場畑の野菜をつついていた小動物が逃げていく。眠っていた人たちも数人跳び起きた。  耳から手を放し、歳星はぺちぺちと軽羅の額をたたく。 「……痛くないよ。俺が好きでやってたんだし」 「え? あ」  歳星が好意を向けてくれていることを思い出し、軽羅の頬に朱が差す。それにつられるように歳星も赤くなった顔を背けた。 「朝から可愛い顔しないでよ。反則」 「目は大丈夫か?」  可愛いと言われることに、慣れない軽羅の口元が引き攣る。ひょいと起き上がり、そのまま車内から飛び出した。むあっと蒸し暑く、懐かしくもない日本の空気。だが、 「いい青空だ」 「おっはよー。軽羅君。動物除けに畑にでも立ってれば?」  煙草が吸えたのがよほど嬉しかったのか、いやに上機嫌だ。見れば、彼の白い浴衣に点々と赤いシミが付着していた。  軽羅は渋面になる。 「また歳星を怒らせて殴られたか?」 「いやいや~? 違うって。献血にご協力いただいたのよ。あはっ。バリうま」  クスクス笑っている幻曜からは嫌なオーラとでもいうべきだろうか。嵐の前の海を眺めているような。そんな形容しがたい雰囲気が伝わってくる。弱体化していた吸血鬼が、元の力を取り戻そうとしている。 「無理矢理吸ったのか?」 「吸血鬼は野菜とかもらっても嬉しくないからね。感謝をしてるなら血を寄こせオラァって言ったら、快くくれたよ?」 「血をカツアゲするな」  しかし悪い事ばかりではない。一時的に吸われた側の身体機能が強化されるのだ。その間は風邪や怪我に怯える必要はなくなる。 「貴様は沖縄で暮らせばどうだ?」  馴れ馴れしく肩を組んでくる。 「なーに遠ざけようとしてるの? 怖くなっちゃった? 私が」 「貴様のことはずっと恐ろしい。勘違いするな」 「……正直だね」  後ろで睨んでいる少年が怖いのか、ぱっと手を放す。 「あーあ。番犬君が威嚇してきて、鬱陶しいったらないね」  口笛を吹きながら、どこかへ歩いていく。 「もう一回残機一にしてきてやろうかな」 「歳星。キス、するか?」  幻曜を睨みつけたままの体勢で彫像のように固まった。聞こえたのか幻曜の足まで止まっている。両者の見事な停止っぷりに時間が止まったのかと錯覚しそうだった。  ギギギ、と錆びついたブリキ人形のように歳星が首を捻る。 「な、なにか言った? 今」 「牙で刺されるのは痛いから、同じ体液なら唾液でもいいかなと思ってな‼ 汗……は老廃物だから駄目だろうが。一度、色々試してみないか?」  幻曜のパワーアップぶりに怯んだのだろう。味方吸血鬼(歳星)のレベルアップを提案してくる。そのことについては歳星も、二人きりになったときに話し合おうと思っていた話題だったので構わないが。そこそこ大声で言わないでほしい。  習慣で畑仕事に向かおうとしていた周囲の人が、ちらほらと視線を向けてくる。  軽羅の腕を掴むと、車内に逃げ込んだ。ばたんとドアを閉める。 「軽羅……。人前でそういうことを。お前は!」 「だから小声で言っただろう! ははは! 気を遣える男というやつだ!」 「全然小さくないよ⁉ 十メートル離れてても聞こえる‼ 自分の声のデカさ知らない⁉」  歳星が軽羅の血ではなくキスで変化した件は、幻曜には秘密にしてある。あいつは危険だ。迂闊に情報を流すべきではないと判断して。 「え? キスしてるの? 私も混ぜてよ」  ガチャッとドアが開けられる。空気の読めないミドルである。 「貴方は美少女育成でもしてたらいいじゃないですか。来んな」 「しょうがないでしょ。美少女は真っ先に玉無し共の餌食になってたんだし! 私は、男は童貞じゃなくてもいいけど、美少女は処女じゃないとヤダァ!」  吸血鬼人生楽しそうだ。 「歳星君も軽羅君の血を吸ったなら分かるデショ? 美味しーんだよ。彼の血さぁ」  わくわくした様子で軽羅に手を伸ばすも、手刀に叩き落とされる。 「つれないなぁ。二人でペロペロしようよ。左右から。裸に剥いて飴玉みたいにして。きっと美味しいよ?」  二人の吸血鬼に翻弄される姿を想像してしまったのか、歳星はボッ‼ と頭が爆発する。 「……出てってください」 「キヒッ。顔真っ赤でかーわいー。はいはい。お邪魔虫でしたね」  若者をからかって満足したのか、律儀にドアを閉めていく。歳星を極力怒らせないようにしている態度からして、復活は間近なのだろう。  地の底から階段を上がってくる幻曜の姿は、少年たちの心に影を落とした。

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