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第75話

「何のことだよ」 「隠す必要ありませんよ。大我さんって分かりやすいですから……」 彼のドライヤーを持つ手に掌を重ねる。唇が当たりそうな距離で、白希は囁いた。 「でも貴方の“それ”は恋愛とは別物か。どちらかと言うと、自分を認めてほしい、っていう感情に似てる」 自分も同じだから、分かる。 顔を離して告げた途端、ドライヤーの熱風がけたたましい音を上げた。 「うわっ! やめてくださいよ! 耳がおかしくなる!」 「嫌なら二度と馬鹿なこと言うな」 大我は無表情のまま、淡々と切り捨てた。ドライヤーの電源を切り、白希の髪を手櫛で整える。 しばしの沈黙が流れたが、白希の襟元に手を伸ばし、ボタンを留めていった。 「はー。前の白希の方が素直で良かったな。今は無駄に勘が良くて、生意気」 カチンときて、ついついこちらも睨み返す。まあドライヤーは止まってるし大丈夫だろう。 大我も白希と同じ“力”の所有者だ。温度を調節する白希と異なり、彼は音量を調節する力を持つ。小さな音を爆音で鳴らしたり、逆に大音量をぴたりと止めることができる。 「そんなに嫌いなら、殺していいんですよ」 しかし大我はタオルを洗濯機に投げ入れると、黙って脱衣室から出て行ってしまった。 「…………」 仕方なしに彼の後についていく。下は履いてないけどどうでも良かった。 何で怒らないんだ。全然分からない。 彼が自分を邪魔だと思ってることは間違いない。突如自分のテリトリーに現れて、あまつさえ面倒を見る羽目になったのだから。 「私をこの家から追い出せばいいのに」 「だから、それを決めるのは俺じゃない。全部……兄さんの言う通りに動くだけだ」 二階の部屋に誘導される。ベッドに乗り、仰向けに倒れた。 当主である兄の言いなり……か。 まぁそういう人生もある。 両親に隠されて過ごした自分のように。はたまた、大人達から賞賛され、村を出ていったあの人のように。周りの環境次第でこの世は天国にも地獄にもなる。でも今が苦しいのに生きる意味って何だろう。 「兄さんは今日も帰り遅いみたいだから、もう寝な」 「わかりました。……ねえ、寝るまでもう少し……傍にいてもらえませんか」 ドアの前に佇む大我に顔だけ向けてお願いすると、彼は心底不思議そうに眉を寄せた。 「ほんと……自分を嫌ってるかもしれない相手に、よくそういうこと頼めるな?」 「私は貴方のこと嫌いじゃないし。それより、暗い場所の方が嫌いなんで」 悪びれずに言うと、彼は深いため息と共に傍にやってきた。露骨に面倒くさそうだが、結局お願いを聞いてくれる。彼のそういうところが不憫だと思う。 スモールライトのみ点灯させ、大我はベッドに腰掛けた。そして布団を引き上げ、白希の上に掛けてやる。 「……別に、嫌いじゃないよ」 「え?」 「別に白希のことが嫌いなわけじゃない。人間と環境、全部嫌いなんだ」 大我は背中を向けたまま、窓の外を見つめた。 「道源様……ていうか俺の兄は、好きな人を追ってこっちに出てきた。俺も、東京の大学に行きたかったから軽率についてきちゃったけど、半分後悔してる」 「もう半分、後悔してないなら良いじゃないですか」 「お前ほんと良い性格になったよな」 「そうですか? ね、それより後悔してない半分の理由は何ですか?」 食い気味に問いかけると、彼は少しバツが悪そうに視線を逸らした。 「勉強とかバイトじゃない」 「と言うと?」 「……好きな奴ができたんだ」 薄闇の中でも、大我の頬が赤くなったことが分かった。 白希は何度か瞬きする。 「同じ大学の……女性じゃないですよね? 男性でしょ」 「ほんっと、いやに洞察力高いな。そうだよ、同級生の男。俺友達作る気なかったから、上っ面だけ良くして適当にやり過ごそうとしてたんだけど。……そいつは、しつこいぐらい世話焼いてきてさ。ここに帰るのがしんどいときは、そいつの家に泊まってる。っていうか、もう抱いたこともあるんだけど」 「抱いた?」 「あ~、今のは忘れて」 「はぁ。よく分からないけど、おめでとうございます」 とにかく、充分東京に留まる理由になる、ということだ。 それにしても、彼をここまで熱中させる相手とはどんな青年だろう。 「てなわけだから、村に帰る気はないんだ。お前も、とりあえずここにいる方がいいよ。村の奴らは兄さんが牽制してくれるし」 自由行動ができない以外、不自由はない。 だがそれが一番問題だ。自分が心から渇望しているものは……。 喉元まで出かかったが、大我を安心させる為に、同意の言葉を吐いた。 「分かりました。貴方の恋愛も応援してます」 「はっ、あんがと。……にしても、記憶って脆いものなんだな。俺と初めて会った時のこととか、何も覚えてないんだもんな?」 大我はそこで初めて振り返り、微笑を浮かべた。 自身の膝に頬杖をつき、興味深そうに白希の頬を押す。 「申し訳ないけど、全く覚えてません。……初めて会った時って、どこで?」 「図書館のカフェ。俺そこでバイトしててさ。白希が東京に来てることは知ってたけど、軽く運命感じちゃったね。力を持つ人間って、どこに行ってもこうして惹かれちゃうのか……って」 彼は感慨深そうに瞼を伏せる。 「あの時の白希は可愛かったなぁ。アタフタして、泣きそうな顔しちゃって~。今は目つきも言うこともキツいからな」 「それはどうもすみませんね」 彼曰く、以前の自分は女々しく、気弱だったようだ。 反吐が出る。 「じゃ、もう寝なよ。おやすみ」 頭から目元へ、大我の手のひらが流れる。 その温もりに安堵しながら、眠りについた。 以前も……こんな風に、誰かに寄り添ってもらっていたことがある。それはいつだったのか、誰だったのかも分からない。その人は今、誰を想って寝ているのだろう。

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