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#5

気持ちよくなれないって分かっててするセックスって無駄な時間だと思う。 でもこういう生き方をしてきたのは自分で、今更それを変えられないし、また今日も結局大学の人と身体を重ねてる。 気持ちいいの?よかったね。 じゃあ俺は?俺の気持ちは置いてけぼりなの? なんて言えないからイケなくても笑って誤魔化すしかない。 隣で寝てくれてもやっぱり俺は眠れないし。 ――――あ。 吐きそうになって洗面所へ走る。 最近はいつもこんなん。急に吐き気が襲ってきて戻すことが増えた。 飯食ってもうまくないし。 めちゃくちゃ絶不調なのに誰も心配してくれないし。 前と違って気持ちよくないせいで考えがどんどん卑屈になる。 あれ、俺もしかして可哀想? なんて自嘲する。 本当に心配してほしい人からは連絡はない。 洗面所に座り込んでため息をつく。 意識し始めてから余計にこっちから連絡はとれなくて、待つことしかできない。 飲みに行く気にもならなくて、大学で寝る人が捕まらなきゃ単発のバイトをいれて気を紛らわしてる。 どうせ夜は眠れないんだから。 このまま俺から連絡とらなかったら、もう会うことないのかもしれない。 会いたいとか、そういうのももう考えたくない。 眠れないこともセックスが気持ちよくないことも、何もかもめんどくさい。 日々適当に楽しく過ごしたいだけなのに、こんなことで躓きたくない。 携帯で時間を確認するとまだ3時過ぎ。 こんなときにタイミングよく電話かかってきたら、なんて携帯を見ては想像して落胆するのをいい加減やめたい。 こんな遅い時間にかかってきたことなんてないんだから。 明るくなってきた頃にベッドへ戻って目を閉じる。 閉じたってどうせあの夢しか見ないのに。 *** 「ハナ、ハナ。俺帰るね。昨日ありがと。」 同級生に揺り起こされて目を覚ます。 軽く別れの挨拶だけしてまた横になって携帯を見ると、まだ朝の8時。 “不在着信 川南さん” 画面下部にそう表示されていて一瞬で目を覚ます。 掛かってきてたのは1時間も前で、今から折り返しても間に合わないかもしれない。 掛けなおすだけなのに緊張で指が震える。 かけようと画面をタップしようとしたタイミングで携帯が鳴って、表示された川南さんの文字に心臓が忙しなく動く。 まさかまた掛かってくるなんて思ってなくて、慌てて通話ボタンを押した。 『出るの早いけど待ってた?』 こっちが話す前にそんなことを言う。 素直に待ってたよ、なんて言ったら困るんじゃないの? 「たまたま起きてたんですー。なに、どしたの?」 精一杯の普通を装って話す。 気付かれないようにしなくちゃけないのに、今までどんな風に話してたか分からない。 『起きてるなら出てこいよ。下で待ってるから。』 カーテンを開けて道路をのぞくと確かに川南さんの車。 ――車なんて興味ないのに覚えちゃったよ。 15分だけ待っててもらって、その間に急いで準備をする。 今日の授業は三限だけで時間なら問題ない。 バタバタと家を出て1階まで降りると、車から出て待つ川南さんと目が合った。 「ごめんお待たせ、おはよ!」 川南さんは静かにおはよう、と言って車へ乗り込む。 前みたいに助手席のドアを中から少し開けて「どうぞ。」と促されてお邪魔する。 川南さんは乗り込んだ俺の手を掴んでこっちを見た。 「な、なに…?」 「お前痩せすぎ。顔色悪いし、ちゃんと食ってる?」 痩せすぎなんて、そんなこと自分が一番分かってる。 何故か無性に腹が立って掴まれた手を振り払って言う。 「…別に川南さんに関係ないじゃん。  このあとヤるだけでしょ?痩せてて抱けないっていうなら帰るよ。」 「病院連れてってやる。どうせ行ってないんだろ。」 病院なんて行ったって薬渡して終わりなのに。 食べられない原因も眠れない原因も根本解決まではしてくれないくせに。 仕方なしに診察を受けている間、川南さんは一緒に話を聞いてくれていて、最後に医師から「適度な運動とちゃんとした食事とるようにね」と釘を刺された。 薬をもらって車に乗り込むと川南さんと目が合う。 「病院、ありがと。ちゃんと薬飲むよ。だからもう心配しなくていいから。  もう家帰るから送ってくれる?こんな状態の俺とヤる気ないでしょ。」 「…いや、しばらく一緒に暮らすか。」 唐突な申し出に驚いて はぁ? と間抜けた声が出た。 「お前運動とかしないだろ。自炊もしなさそうだし。」 「……どっちも好きではないけど。」 だろ、と少し笑って運動くらいなら付き合うよ、と言ってくれる。 確かにあの家なら二人で暮らしたって部屋は余るだろうけど。 「…迷惑かけるよ。話聞いてたでしょ?  食べても吐くし、…寝れないし。」 「構わないよ。部屋もあるし。龍樹がどうしても嫌なら別だけど。」 嫌なんてそんなことあるはずない。 なんでただのセフレにそこまでしてくれるの? それ以上に思うことがあるの? なんて期待しても聞けない。期待するだけ無駄だから。 結局断りきれないまま病院帰りのその足で自分の家へ戻ってきて、必要なものだけ持って川南さんの家へ向かうことにした。 元々そんなに荷物が多いわけじゃない。 服は適当でいいし、大学で使う学生証とID、それと教科書とノートさえあれば他にはなにもいらない。 運ぶのを手伝おうとする川南さんを拒否して、川南さんの車と部屋を行き来していると川南さんが誰かと電話しているのが見えた。 荷物を載せ終えて助手席へ戻る。 「川南さん仕事大丈夫なの?もう昼になるけど。」 「俺がいなくても回る仕事だからな。」 ふーん、なんて言ってみたけど本当は興味しかない。 セフレってどこまで踏み込んでいいの? 川南さんが何を考えてるか分からない。 運転中に握られた手はどういう意味で握ってくれてるの? 俺はこの手に自分が思う何かを期待してもいいの? *** 川南さんの家へ着くと玄関先で知らない人に出くわす。 眼鏡をかけた穏やかそうな男性。 「おかえりなさいませ、こちらの方が花枝様ですか?」 「そう。俺がいないときの身の回りの世話してやって。  仕事に戻るから時間になったら大学まで頼む。」 時計を見て踵を返す川南さんの腕をちょっと、と掴む。 「待ってよ。俺、自分のことくらい自分で出来るよ。」 できてなかっただろ、と正論で返されてなんの反論もできない。 目の前に人がいるのに関係なくキスされて、そのまま玄関から出ていく。 そんな様子を見た眼鏡の人は俺が持ってきた荷物を一緒に運びながらくすくすと静かに笑った。 「身の回りのお世話をさせていただく野村 瑞希(のむら みずき)と申します。  なんでも気軽に仰ってくださいね。」 「あ、えと、花枝 龍樹です。  ハナ、じゃなくて龍樹って呼んでください。  よろしくお願いします、でいい、のかな?」 大丈夫ですよ、と柔らかい笑顔で言う。 物腰の柔らかな人で話してると自然とこっちも笑顔になる。 野村さんはこの前入った浴室の隣の部屋を開けて、テーブルに荷物を置くと ふぅ、 と一息ついた。 「こちらが用意したお部屋になります。  社長から胃に優しいものでなにか食事を作るように頼まれているんですが、なにか食べたいものはございますか?」 「…え、川南さんって社長なんですか?」 えぇ、少し驚いた様子で頷く。 そりゃ一緒に住もうとしてるくせに、相手の素性を知らないなんておかしな話だと自分でも思う。 社長と言われれば確かに金回りは良さそうだし、高層マンションのワンフロア丸々家だし、車に興味がない俺でもわかるくらいの高級車にも乗ってるけど。 言われてみれば全部確かにって思うことばかりだけどいざそう聞いてしまうと、どう接していいかわからない。 ただこの野村さんを見る限り、多分まともな会社だと思う。 「あの龍樹さま、お食事は…?」 申し訳なさそうに野村さんが口を開いて、慌てて謝る。 そうだ、ご飯聞かれてたんだった。 「あ、あぁごめんなさい。  うどんとかおかゆとかそういうのお願いしていいですか?  好き嫌いないんで何入れても大丈夫なんで!」 かしこまりました、と言うと野村さんは部屋から出ていった。 なんでゲストルームとかあるんだよ、と思いながらベッドに倒れ込む。 川南さんの使うベッドほど高そうではないけど、気持ちのいい柔らかさ。 朝会ってそのままトントンと話が進んで、好きな人の家にしばらく暮らすことになるなんて、そんな話誰が信じるんだよ。 顔を腕で隠してため息に似た感嘆の息を漏らす。 ――本当はすごく嬉しい。 素直に喜べないだけで一緒にいられることが嬉しくて仕方がない。 コンコン、と優しく部屋がノックされてドアの向こうから野村さんの声がする。 「お食事どちらで召し上がりますか?」 立ち上がってドアを開けるとスーツ姿にエプロンの野村さんがいて、その恰好があまりにもミスマッチでつい笑ってしまった。 「ダイニングで食べます。作ってもらってすみません。」 「いえいえ!お仕事ですし、元々つくるの好きですから。」 野村さんは手を振って謙遜する。 リビングに入るとダイニングテーブルに置かれたお粥からいいにおいがした。 それだけで料理上手なんだとわかる。 いただきます、と手を合わせて食べ始める。 野村さんが心配そうに見てくるから、おいしいです、と一言伝えると嬉しそうに笑った。 「俺堅苦しいの嫌いだから敬語やめるね。  野村さんも川南さんから怒られないなら敬語やめていいよ。」 「いえいえ、社長のお客様にさすがに砕けすぎてはいけないので…。  でもせっかくのお申し出なので様じゃなくて、龍樹さんってお呼びしますね。」 「じゃあ俺も瑞希さんって呼ぼっと。」 そう言って二人で笑う。 セックスなしで人と普通に話すのが久しぶりでなんだか嬉しい。 せっかく作ってもらってこんなにもいい気分だから、今日は戻したくないな。 作ってもらったご飯を食べ終わった頃、瑞希さんのアラームが鳴る。 「あ、龍樹さん。そろそろ大学行きましょうか。  あとで片付けるので全部そのままで結構ですよ。」 エプロンを外して車の鍵を持つ瑞希さんが急かしてくる。 仕方なしに部屋から今日の講義に使う教科書とノート、筆記用具、学生証だけかばんに詰めた。 大学の出入り口でおろしてもらって手を振ると、笑顔で手を振り返してくれた。 可愛らしい人だけどあの人も川南さんと関係持ってたりするのかな。 もしそうならやだなぁ。 そんなことを思いながら講義室へ入る。 講義中も今日のことや川南さんと瑞希さんのことを考えていて、内容が入ってこない。 やっと講義が終わって席を立つと後ろから声がかかる。 「ハーナ、このあと家行っていい?」 何度かヤッた相手。相変わらず名前は覚えていないけど。 「ごめんしばらくできないや。  今別のとこ泊まってんの、ごめんね〜。」 そいつは文句を言ったけど、帰る家がそこじゃないんだから仕方ない。 自分ちの鍵も川南さんの家に置いてきちゃったからそもそも家に入れないし。 帰りも同じとこで待ってますね、と瑞希さんが言ってたし急いで出入り口へ向かう。 「ただいま!」 「おかえりなさい。」 瑞希さんの車の後部座席に乗り込んでまた川南さんの家へ向かう。 「ねー、瑞希さん。川南さんってどんな人?」 帰りの道中で重くならないように聞く。 瑞希さんは うーん、 と少し唸ったあと言いにくそうに言う。 「仕事にはとても厳しい方ですよ。  若くして社長になられた方だからそうならないといけなかったのかもしれないですけど。  私は社長とブライベートな付き合いがないので、プライベートは龍樹さんの方がご存知かなっておもいますけど。」 そう言って目線をミラー越しにこっちへ向けた。 プライベートな付き合いがないってことは、俺が思ってたような関係はないってことでいいのかな。 仕事の一環で、なんてのはさすがにそういうやつの見すぎか。 プライベートな付き合いって言ったって、俺も川南さんのこと何も知らない。 そんな思いを胸にしまって別のことを聞く。 「…若くしてって川南さん今いくつなの?」 「31歳だと記憶してますよ。私が今28歳で私の3歳上だった気がするので。」 ちょうど10歳離れてたのを初めて知る。 知り合ってしばらく経つのに、年齢を今はじめて知った。 川南さんの住むマンションの地下駐車場へ入ると見覚えのある黒い車。 「社長お戻りになられてますね。  ふふ、なんだかんだ言って龍樹さんが心配なんですね。」 「…ねぇ瑞希さんって俺と川南さんの関係知ってるの?」 「社長のとても大切な方だって伺ってますよ?」 「へ、えぇ…、そうなの…?」 待ってそんなの聞いてない。俺知らないよ。 今から帰るのに俺どんな顔して川南さんに会えばいいの? そんな素振り見せたことなかったじゃん。 連絡だってちっとも寄越さないで、いつも気まぐれにしてくるだけなのに。 ここが地下でよかった。 薄暗くて顔が赤いのがバレそうにない。 会いたいのに、どうしていいか分からなくて会いたくない。 そんな事考えてたらエレベーターはあっという間に川南さんの部屋へ着いた。

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