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#6

リビングのドアを開けるとソファーに座る川南さんがいて、どう声をかけていいか分からなくて黙り込む。 「おかえり。帰ってきたら“ただいま”だろ?」 「…ん。ただいま。」 なんでそんな普通なんだよ。こっちは意識して顔もまともに見れないのに。 頼みの綱だった瑞希さんは 「社長がご在宅なら私は仕事に戻りますね、また夕飯作りに伺います〜」 って仕事に戻って行っちゃうし、それまで二人きりなのが気まずい。 部屋に荷物を置いたまま部屋から出られずにいると、軽いノックのあと返事をする前にドアが開く。 「んな!返事してから開けろよ!着替え中だったらどうすんだよ!」 「裸なんてもう何度も見てるだろ。早くこっち来いよ。」 「そりゃ、まぁ、そうだけど…。もう、着替えたら行くから待ってて。」 そう言うとドアを閉めてリビングへ戻っていった。 まだ一日目、時間にしたらまだ数十分なのに、ドキドキしすぎてこんなんじゃ身がもたないって。 着替え終わってリビングへ戻ると川南さんがコーヒーをいれていて、横に行く。 「俺も飲みたい、前作ってくれた甘いホットカフェオレ!」 「お前は薬があるからカフェインレスにしような。  作ったら持ってくからソファーで座って待ってて。」 はーい、と返事をしてソファーに座る。こうやって見てもいつもと同じにしか見えない。 川南さんの手からカフェオレを受けとって、少し冷えた手を温めていると視線を感じる。 「……なにー?」 「いや別に。」 そんなじっと見てきといて、別にもなにもないじゃん。 意識してるのは俺だけなの? 「ねぇ、川南さん31歳ってほんと?」 「あぁ。」 「社長なのもほんと?」 「本当。」 「……俺の事大切なのは本当?」 かたん、とサイドテーブルに置いたカフェオレが揺れる。 そのまま触れる唇を目を閉じて受け入れて、川南さんの首に手を回して抱きつく。 川南さんの手は冷えた身体をあっという間に火照らせていく。 服の下に手が差し込まれてこの後のことを期待して下半身が反応する。 なんでこの人が触るとこんなにもすぐ欲しくなるの? そう思ったのに川南さんはそこで手を止めた。焦らしてるわけじゃなくて本当に終わり。 「…しないの?」 「しないよ。もっと食えるようになってからな。  食わなきゃ運動もできないし。」 期待した分だけしてもらえないのが切ない。答えも結局聞けなかったまま。 本当に俺の事大切なんて言ったのかな。 俺からは聞くことしかできない。 答えを先にくれなきゃ俺の気持ちなんてこわくて言えないよ。 急に吐き気が襲ってきて慌てて洗面室まで走ると、後を追って川南さんが背中をさすってくれた。 こんなみっともないとこ見られたくないのに。 吐き終わりはいつもしんどくて涙が出る。 胃の中がなくなって胃液しか出なくても出てきて苦しい、口の中がまずい。 「ごめんね、汚いもの見せて。」 軽くうがいだけすると川南さんは何も言わずに俺を抱きかかえて、寝室まで連れていく。 ぽふ、と優しく下ろされてそのまま頭を撫でられた。 突き放されたと思ったら優しくされて心が痛い、気持ちが追い付かないよ。 「…お前ほんと痩せたな。  前に抱きあげたときより軽くなってた。」 「…え?いつ?」 気にしなくていいと言って頭をくしゃくしゃと撫でる。 抱き起こされたりした記憶はあるけど、抱き上げられたような記憶はない。 ――あ、あのときだ。 意識が飛んで気付いたらベッドにいたとき。 恥ずかしい。思い出すんじゃなかった。 ベッドが軋んで気付けば川南さんが近くにいる。 抱くつもりなんてないくせにキスはしっかりしてくる。 それを拒めない俺も俺だけど、拒めないよ、だって――。 「……しないんじゃないの?」 キスをしながら川南さんの手は俺の胸元に伸びていて、その手を軽く掴む。 「目の前にあるとどうしても手が出したくなるな。」 「……俺のこと大好きじゃん。」 「はは、そうだな。」 余裕そうな切り返しにこっちが面食らう。 少しくらい動揺してくれたっていいのに。大切な人って、相性のいいセフレとしてだったりして。 *** 夕飯を作りに来た瑞希さんは忙しいようで、作り終えるとまたすぐに仕事へ戻って行った。 「…ねぇあんたは仕事いいの?」 ご飯をつまみながら言うと、川南さんは「飯だけ食ってろ」とだけ言って会話してくれない。 「俺一人になっても黙って帰ったりしないよ?ちゃんと待てるよ?」 「分かったから。ほら、ついてる。」 口元についたご飯粒をとられて急に子供になった気分になる。 もし好かれていたとしても一緒に暮らしてたら、だめなとこばっか見られて逆に嫌われるんじゃないだろうか。 「ごちそーさまっ」 食器をシンクに置いてソファーに横になる。 黙々と食べすすめる川南さんを見ながらかっこいいな、とか食べ方きれいだなとか。 頭の中がお花畑。 ―――あれ。そんなことよりも今朝、川南さんって何時から俺の事待ってたんだろ。 ふとした疑問。 7時に不在、8時で下にいるから来いって。じゃあ7時の電話時点ではどこにいたって事? 川南さんから答えがききたい。 もしかして俺に会いたくて待っててくれたの? そうやって聞いたら頷いてくれる? 食事を終えて一服中の川南さんの背中にくっつく。 こんなことしてたら俺の気持ちなんてすぐバレるかな。 「どうした?」 「んー、なんもない。ご飯おいしかったね。」 結局聞けないけど、なんかいいや。会えたんだし。 期限付きでも一緒に暮らせるし。それだけで十分すぎるほど幸せだし。 食器を洗ったりお風呂に入ったりしてるうちに時間は23時をまわっていて、一日が終わる前に川南さんに改めて頭を下げた。 「…今日、いろいろありがとう。しばらくよろしくお願いします。じゃ、おやすみ。」 「あぁ、おやすみ。」 本当は一緒に寝たいけど、明日もきっと仕事だろうからわがままは言えない。 それに一緒に眠るのは約束に入ってないし。 部屋を閉じて部屋を少し暗くする。 真っ暗な部屋で寝れなくなった。 明るすぎる部屋でも眠れくて、いつもぼんやりと月みたいに光る照明を見てた。 今も同じようにベッドの脇にあるライトをつけて薄目で覗く。 どうせ眠れない、そんなことはもう分かってる。 寝ようとするとそれを邪魔をするみたいに心臓が早くなって、目を閉じるとあいつの顔が浮かぶ。 もうしばらく会ってないのになんで今更でてくるんだろう。 同じ家にいるのに川南さんに会いたい。顔が見たい。 静かに部屋を出るとまだリビングは明るくて、電話をする川南さんが見える。 邪魔をするわけにもいかず部屋へ戻ると、すぐノックの音がしてドアが開く。 「眠れないならおいで。」 手を差し出されてその手を握る。 電話してたのに俺に気付いて切ってくれたの?それともたまたま? 目も合ってなかったのに、なんで俺がいたってわかったの? リビングの横にある川南さんのベッドルームは大きなキングサイズのベッドが真ん中に置いてあって、あとはサイドテーブルだけのシンプルな部屋。 キングサイズのベッドは男二人で寝てもまだ余裕があってそこに寝かされる。 「ねぇ俺ほんとにこっちで寝てもいいの?」 「いいよ。仕事片付けたら行くから先寝てな。」 そう言って俺にシーツをかけて頭を撫でたあとリビングへ戻って行った。 PCのタイピング音と、ふとしたときにする煙草の匂い。 たまに聞こえる誰かと話す川南さんの声。 それが少しづつ遠くに感じる。 なんで川南さんが近くにいると思うとこんなに安心するんだろう。 考えがまとまらなくなってきた。きっともう眠れる。 *** 「龍樹!」 名前を呼ばれてハッとする。自分の口から短く息が漏れていて涙が流れた。 「川南さんたすけて、どうしよう、こわい。  なんとかして、たすけて…っ、なんで、やだ、やだ…っ」 川南さんは俺に何もしてない。 俺の口からただ言葉として漏れ出ていくだけ。 「龍樹、大丈夫。大丈夫だから薬飲んで落ちつこうな。」 薬は口に入れたのに、手が震えて上手く水が飲めない。 川南さんは俺を抱えるように姿勢をかえると、水を口に含んでそのまま俺に流し入れた。 「……ん…」 薬を飲んでもすぐには落ち着かなくて、川南さんの胸元の服を握る。 その上から握られた手に少し安堵して目を閉じた。 心臓が少しずつゆっくりになっていく。 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら目を開けると川南さんと目が合う。 恥ずかしくて目をそらしても気になって結局そっちを向く。 優しく頬を撫でられると嬉しくて、自分の気持ちを言ってしまいそうになる。 「起こしちゃった?ごめんね。」 「…いや、大丈夫。龍樹おいで、もう寝よう。」 そのまま抱きしめられて一緒に寝転ぶ。 まるで子供を寝かすみたいにリズムよくトントンと背中を叩かれて、あっという間に眠りに落ちる。 ぼんやりと目を開けるとうっすらと部屋が明るい。 川南さんのぬくもりがあるだけでこんなにも眠れるなんて。 こんなにも他の人と違うなんて嫌でも自覚する。 ――“好き”なんて自覚なんてしたくなかったな。

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