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第2話
カバンを肩にかけ、研究棟へ足早に向かう。エレベーターを待つ間も惜しくて、階段を二段飛ばしで駆け上がり、先生の研究室がある四階へ。
本当は、告白した後に初めて会うんだから、もうちょっとこう、「初めての恋人同士としての会話」みたいなのを楽しみたいところなんだけど。とにかく、先生がちゃんと研究室にいるのかどうかが心配でたまらない。廊下を歩きながら止まらないドキドキは、不安と心配のドキドキだ。
少しだけ弾む呼吸を整えながら、先生の研究室の前に立つ。
ドアをノックする音まで、ドキドキのせいでいつもより大きく響く気がした。
「どうぞ」
中から聞こえたのは、間違いなく先生の声。
え。
ドアを開ける。
入ってすぐに注意書きの貼られたスチールラックの側面が視界を遮った。久しぶりの藤堂研究室は、高くそびえるそのラックによってゆるく二つに分かれている。
右側には学生用デスクが壁際に六台並び、中央に大きなテーブル。無人。
左側は先生のスペース。ソファとテーブルの向こうに、左の壁際でPCに向かう先生の横顔が見える。いつものぴしっとした姿勢だ。
「ちゃんといるじゃん!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
先生が弾かれたように俺を振り向いて、すぐ視線をPCに戻した。眼鏡に手をやる仕草がいつもより慌ててる。それを見てたら、なんかもう言いたいことがいろいろ一気にあふれてきた。
「あの! 電話! かけたんですけど!」
ずかずかと先生のデスクに歩み寄りながら、まず一番言いたいことをぶつけた。
先生は訝しそうに眉を寄せた。
「電話? 何の話だ」
「着信ありません? 朝からずっとかけてたんですよ!」
先生がブリーフケースからスマホを取り出し、画面を確認する。
「……ないが」
「はぁ!?」
がば、と、詰め寄るように画面を覗き込む。マナー違反だけど、構っていられなかった。先生も別に画面を隠すでもなく、ほら、と普通に俺に見せてくれた。確かに。何の通知もない。
「え。なんで? 障害とか……? でも朝起きてから何回もかけたのに」
俺も自分の発信履歴が残る画面を見せる。
覗き込んだ先生の眉が、つ、と小さく寄った。
「ああ。そういえば」
「何ですか?」
「秋吉の連絡先を削除していた」
「ええええ!! ひどっ! 俺の存在、消去済みじゃないすか!」
たまらず叫んだ。恋人になった翌日に、連絡先を削除されてるって、どういうことだよ!
「違う。削除したのはもっと前だ。年明けに、もう必要ないと思って削除した。それだけだ」
「いや余計にひどっ!!!」
LINEだけじゃなくて、ちゃんと電話番号を交換しとけばよかった。それなら、連絡先削除されても、着信の通知だけは残ったはず。
一人で悔しがってる間に、ふと、先生の表情に気づいた。眉間にうっすらシワが寄ってる。さっきから全然視線も合わないし。いつもの冷静さの奥に、微かに不安げな色が混じっているように見える。
ていうか。そうだった。
俺たちは、昨夜、恋人同士になったばっかりなんだった。俺も急にドキドキしてきた。
去年の十二月、突然先生に「もうここに来るな」って追い出されて以来の、久しぶりの藤堂研究室だってことも急に思い出して、胸の奥がじんわりしてくる。
どうしよう。いきなり怒鳴り込んだみたいになっちゃったけど。
戸惑いながら、とりあえずスマホは引っ込めた。
椅子に座ったまま俯き加減の先生の顔は、よく見えなかった。そっと身を傾けて、顔を覗き込んでみる。
「先生?」
覗き込むと、ぱっと顔を背け、白い指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。あ、今、表情隠したな。
でも俺は見逃さなかった。一瞬だけ見えた、目の下のクマ。
「先生も、眠れなかったんですか?」
尋ねる声はどうしてもうきうきしてしまう。俺も昨日はなかなか寝付けなかった。
しかし先生は、俯いたままじっと沈黙している。
やっぱなんかおかしいな。
そう思ったとき、先生が顔を上げた。覚悟を決めた、決然とした動きで。
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