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律と一楓 「友達」

 食事と入浴を終えると、担任の就寝コールを聞いて寝たフリをする。  お楽しみはそのあと。  枕投げや恋バナをこっそりして、満足。  やりたいことを全て終えると、旅の疲れからか、次第に周りから寝息が聞こえてくる。  眠りを誘う状況なのに律は眠れず、布団の上に体を投げ出して昼間のことを思い出していた。    あいつ──イブキって、一組だったんだ……。  薄暗い天井を見つめながら、律は一方的な出会いを振り返っていた。  三十三間堂で見た、月明かりに浮かぶ儚げな姿。  律は、天井のシミをぼうっと見ながら、彼のことを考えていた。  愛くるしい顔と学ランがミスマッチな、自分と同じ性別の同級生。  聞いていると、思わず笑みが浮ぶほどかわいらしい声。  未成熟さが滲み出ていた肩を抱き、戯れついて、とことんかまいたくなる。  律はそんな衝動に駆られていた。  あいつは男で俺も男なのに……何か、変だな、俺。  これまで、女子から告白されたことは何度かあった。  けれど、自分が女の子と肩を並べて歩く姿なんて、想像できなかった。  それなのに、イブキと一緒にいて笑う光景は簡単に描ける。  その先の──いや、だめだ。想像するな。  こんな願望、男同士なのに……。  これまでよく知りもしない女子から好きだと言われても、まず頭に浮かぶのは、俺の何を知って好きだと言ってくるのだろう、だった。  お互いの性格も趣味も知らないのに、好きだなんてよく言えるなぁと、不誠実にさえ思えた。  けれど、今は彼女たちの気持ちがなんとなくわかる。  名前を知らなくても、話したことがなくても、目が勝手に相手を追いかけてしまうことを、律は今日初めて知った。  水でも買いに行こうか……。  大きなため息を天井に吐きかけた。  律はそっと布団から這い出ると、四方に横たわる仲間を起こさないよう、間をすり抜けて部屋を出た。  足元灯がぼんやり灯る廊下を歩いていると、避難口の誘導灯がやけに明るく感じた。  静かすぎる深夜。  ちょっと不気味だな、と思いながらもどこか期待している。  何か怪しげなモノでも見た日には、それをネタにみんなを驚かすことができる。  恐怖より興味を欲しながら、律はエレベーターで一階まで降りた。  自販機を見つけた瞬間、財布を持って来てないことに気付く。 「バカじゃないか、俺って」  誰もいないロビーで独り言を呟いたけれど、ツッコミを入れてくれる相手はいない。  日付が変わったばかりのフロントにスタッフの姿はなく、フロアは間引きされた明かりが、薄っすらと灯っているだけだった。  諦めて帰ろうとした時、硝子越しに見える中庭で、白い物体が動くのを目の端で捉えた。  一瞬ゾクリとしたけれど、恐怖はすぐ好奇心に代わった。  正体を確かめようと、律は抜き足で窓際に近寄ってみる。  仄暗い日本庭園に目を凝らすと、松の木と灯篭の隙間から見慣れた体操服が目に入った。  こんな時間に、生徒があんなとこで何やってるんだろ……。 「幽霊の正体見たり、見たり……あれ、何て言ったっけ……。まぁ、いっか」  誰もいないロビーを突っ切ると、律は中庭が見えるガラス窓に近づいた。  正体が誰かを確かめようとガラスに張り付いてみたが、枝葉に遮られて顔が見えない。  律は庭園へ続く渡り廊下を見つけると、そっと足を踏み込んだ。  剪定された植木の向こう側に四阿(あずまや)があ見えた。  そこに座る華奢な背中を見た瞬間、心臓が再び跳ねた。  記憶に新しい横顔が、月明かりに浮かんでいる。  律は吸い寄せられるよう、四阿へ向かった。  相手を驚かせないよう、慎重に歩く。  それなのに枯枝を踏んでしまい、咄嗟に隠れたけれど、律の姿は怯えて揺れる虹彩に捉えられてしまった。  四阿から震える声で「だれ?」と、囁かれる。  バツが悪そうに顔を出した律は、「よぉ」と手を上げながら、引きつった笑顔でイブキに声をかけた。 「なんだ、繪野君かぁ」  ホッとした表情で、彼から名前を呼ばれた。 「何で俺のこと知ってんのっ」  律は思わず叫んでしまった。 「そりゃあ知ってるよ」 「だって、俺ら一緒のクラスになったことないだろ。小学校だって別だし」  疑問符を撒き散らしていると、ベンチに座るよう手招きされた。  ドキンっと、胸が高鳴る。  律は湧き上がる喜びを隠しながら、隣に腰を下ろした。 「繪野君は、有名人だからね」  ふふふっと、笑顔で言われ、律は「ああ……」と、嘆くように納得ししてしまった。  入学した時から担任はもちろん、他の教師からも数々の愚行で目をつけられていた。  ただそれは、「またか」と呆れられる小さな悪戯に過ぎないものだったが──。  有名人と言われる所以(ゆえん)はそれか、ときまり悪そうに律は苦笑した。  けれど、彼の理由はそれらとは違う、全く別のものだった。 「繪野君は、女子にも男子にもモテまくってるって」  屈託のない笑顔で言い切られ、「何だそれ」と、戯けて見せた。 「だってサッカー部でしょ。頭も良くて、イケメンで背も高い。友達も多くて、極め付けは、弓道している姿が凛々しくてカッコいい!」  次々と自分への賛辞がイブキから飛び出し、耳朶がじわりと熱くなる。  律は「褒めすぎだれと言いながら、鼻頭を擦った。 「でも俺が弓道してるのよく知ってたな。ダチでも知らない奴が多いのに。あ、そうだ名前。お前の名前教えてくれよ、下の名前はわかってんだ、イブキだろ?」  どさくさに紛れて名前を呼び捨てにした。  すると、硝子玉は大きく見開かれ、さっと視線を外されてしまった。 「あー悪い、いきなり呼び捨てして。お前の友達がそう呼んでるのを聞いたからさ。ごめん、ごめんな」  項垂れて反省していると、落とした視界に小さな手のひらが差し出された。  握手? かと思い、律は慌てて頭を持ち上げる。 「ちょっとびっくりしただけ。俺は村上一楓(むらかみいぶき)」  一楓の頬に朱が差したように見えた。  そこに気を取られてしまった律は、差し出された右手に応えるタイミングが遅れてしまう。 「俺は律。律って呼べよ、俺も一颯って呼ぶからさ」  そう言って、力強く手を差し出してみた。 「い、いきなりなんだね、名前呼び」  揺蕩う月の光が一楓を露わにし、律を映した黒い瞳が潤んで見えた。  やっぱ馴れ馴れしかったか……。  律は反省を誤魔化すよう、前髪をくしゃりとかき上げ、「ごめん」と謝った。 「あ、ううん、ちが──ハッ、クシュ!」 「おい、大丈夫か? そのカッコじゃ寒いだろ」  秋の夜半に半袖は心許ない。  律は上着を脱ぐと、一颯の冷えた肩にそっとかけてやった。 「ダメだよ、繪野君が──」 「り・つ、だろ? 俺は平気だ。丈夫だからな。それは一楓が着とけ」  伺うような眼差しと一緒に「あ……りがと」と、一楓がぎこちなく呟く。  その意味を深く考えず、こんな時間にここで何をしていたのかが気になった。 「留守番してる妹が心配で……。ちょっと眠れなかったんだ」 「妹? でも、親と一緒だろ?」 「えっと、俺ん家、親いないんだ。俺が小六の時、事故で二人共……」 「え! あ、そっか。悪い……」  しまった──。  律は困惑を全面に出すと、自分の髪をぐしゃぐしゃに混ぜた。 「分かりやすいな。り、律って」  呼び慣れない名前に、つっかえる一楓を嬉しく思う。けれど、自分の言葉で引き出してしまった悲しみは、知らなかったとはいえ大失敗だった。  睫毛を伏せている姿に、胸がきゅっとなる。  細い肩を抱き寄せたい。  そんな衝動に駆られてしまった。 「俺は平気なんだ。けど、妹はまだ小一だから……」  沈んだ横顔が心細げに見え、無意識で背中に手を添えた。 「お前もだろ」と、口にしながら。  律の言葉に驚いたのか、ビクッと反応したけれど、一楓はたおやかに微笑んでくれた。  ありがとう、と小さく呟いて。 「じゃあ、一楓って今はどこに住んでんだ」  寂しげな空気を吹き飛ばす勢いで尋ねると自分は学区の端っこで、通学に時間がかかるんだと愚痴ってみせた。  一楓のことをもっと知りたい。  自分のことももっと知って欲しい。  普段はこんなことを考えて友達を作ろうなんて思わないのに、一楓のことは、貪欲に欲してっいる。  ノリとか気まぐれでもなく、真剣に。  今は親戚の家にいて、中学からこの街に引っ越して来たと一楓は教えてくれた。 「端っこは辛いね」と、笑顔のおまけ付きで。 「やっぱ小学校別だったか。だから俺、一楓のこと知らなかったんだな」 「みんな同じ小学校からの持ち上がりだもんね、ここの中学って」 「そうそう。でもそれって安心だけど新鮮味はないんだよな」  そう、新鮮味はない。  だから、一楓のことが気になった。  無垢で綺麗な横顔に、釘付けになるくらいに。  両親を失くした気持ちを、律は半分だけ理解できる。  けれど兄妹がいない律に、妹の悲しみの分まで背負う重さは分からない。ただ、無条件の愛情を注げる相手がいる一楓を、少し羨ましいと思った。  そして同時に、そんな彼の強がりを吹き飛ばしてやりたいとも。 「なあ、今日は眠くなるまでここで話してよーぜ」  自分にできる精一杯の明るさで、律は今日初めて出会った友の肩をそっと抱いた。         ***  翌朝、出発を待つバスの中は、生徒が一人行方不明で騒ついていた。 「先生! やっぱ律が乗ってませーん」  クラスメイトが、慌てて担任に報告する。 「ったく、繪野、あいつどこ行った? 誰か見てないかっ」  出発前の点呼に人数が揃ってない事が発覚し、担任は額に汗を浮かべて、クラス委員に確認していた。 「あ、先生! 先生、律が──」  一人の生徒が指差す方を担任が見ると、隣に駐車している一組のバスから律が手を振っている。 「あーいーつー!」  担任が怒りに震え、凄まじい形相で届くはずのない怒号を飛ばした。 「ああ、先生一組のバス発車しちゃったよ。律、乗ったままだっ」  三組のバス内は、また律がやらかしたと言わんばかりに、大爆笑の渦が起こった。 「律、やるなー」「まさか一組のバスに乗り込むなんてなー」  口々に称賛する声が聞こえ、担任の顔はみるみる真っ赤になり激昂は沸点に達していた。 「あいつ一週間、いや、一ヶ月掃除当番だっ」  担任は座席に荒々しく座ると、どこかへ電話をかけ出した。 「もしもし、あ、先生。すいません繪野がそっちのバス──え? あ、はい分かりました。よろしくお願いします」  見えない相手に何度も頭を下げ、担任が呆れ顔で電話を切った。 「先生、あっちのバスどうなったの?」 「……繪野は向こうのバスで爆睡中だとさ」  落胆の溜息をつき、担任は頭を抱えこんでいる。  そんな大人の諸事情も知らず、一組のバスの中では、賑やかにはやし立てる声を子守唄代わりに、律は一楓の肩を借りて、クークーと寝息をたてていた。         ***  一楓は隣で肩を静かに上下させる律に目をやった。  律、わざと間違えたフリして、こっちのバスに乗ったんだ……。  律の気持ちが肩越しに伝わる。  夕べ口にした自分の話しに気遣い、楽しませてくれたんだと思える。  静かに眠る律を、一楓は宝物を見守るようにそっと眺めた。  昨夜の二人に睡魔は訪れず、四阿で一緒に夜明けを迎えた。  一楓も眠いはずなのに目は冴え、律の体温を独り占めしている現実を噛み締めていた。  このまま、バスが止まらなければいいのにと思いながら。

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