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虚言
律、また一段と男前になってたな……。
忘れられない相手と、偶然の再会をした。
くすぐったいような、それでいて胸が疼くような、そんな複雑な感情を味わっていた。
初めて会った時より少し背も伸びて、より男らしい姿に成長していた。
高校生だった律は、脆さと幼さが薄い層のように重なった心で成り立っていたように思えた。
ちょっとでも乱暴に扱えば、破れそうな。
そんな繊細で美しい青年だった。
その証拠に、たった一つしかない命を、捨てようとしていた。
大学生になった今の律には、過去に見たあえかさは消えていた。
一日分しか律のことを知らないけれど、門叶にとって一生、忘れられない日だ。
一旦、律を意識してしまうと、初めて会った夜のことが津波のように押し寄せてくる。
自分の中に燻っているトラウマを、唯一感じさせなかった人間は律だけ。
だからなのかもしれない。
門叶にとって律は、遠い記憶の底で、ずっと光を放ち続けている星座のような存在だ。
正直、毎日、毎日、彼を思い出して焦がれていたわけではない。
それなのに突然、目の前に現れたときは、一瞬、仕事のことを忘れてあの日の夜に引き戻されてしまった。
知らなかったでは済まされないあの行為も、反省の裏側で恋しさを溢れさせていた。
膨らみそうな蕾を必死で摘み取り、心の隅っこに追いやっていた。
でも、それも無駄な努力だった。
あれから何年も経っているというのに、門叶にとって律は辛いくらい恋しい人になっていた。
そんな資格、自分にはないのに。
大人のくせに、刑事のくせに、うつつと夢の狭間を彷徨う律に自分は何をしたのか。
刑事として、有るまじきことだ……。
律へ向かう特別な感情を振り払うよう、門叶は自身の頬を両手で挟むように叩いた。
その足で、喫煙所にいる錦戸のもとへ行こうとしたその時、一服を終えた錦戸がちょうどやって来た。
「キドさん、ちょうどそっちへ行こうかと思ってたんですよ」
「次は教育学部だったか。場所はどこだ」
スーツからタバコの匂いを纏わせながら、涼しい顔で言う。
健康診断のことは、すっかり忘れたフリをしている。
「えっと、どこだろ。配置図がどこかにあるはず──あ、君たちちょっとっ」
地図を探していると、前を歩く二人の女生徒を見つけて声をかけた。
「すいません、ちょっと教えて貰えるかな。教育学部の先生の部屋ってどこかな」
刑事だと名乗ると、二人は目くばせしたかと思うと、耳を塞ぎたくなるような奇声を発した。
女子特有のしかも、若い子のキンキン声は、何度聞いても慣れない。
事件後、ここへ来ては女生徒に質問する度に、テンションの上がった声で反応されるからその都度耳を覆いたくなった。
「ヤバい! 刑事だよ、ドラマみたーい」「イケメン刑事、ヤバ」
囃し立てられて門叶が困惑していると、見兼ねた錦戸が律 するように間へ割って入ってくれた。
「君たちは此本千歳さんを知ってるかな?」
年季の入った迫力に押されたのか、さっきまでの興奮は消え、二人は急に大人しくなってしまった。
「名前は知ってるけど……。朋美 は何か知ってる?」
「うーん、特にはなぁ。あ、でも前から気になってたことはあるんだよなぁ」
朋美と呼ばれた学生が、何かを思い出したように続けて話す。
「あの子って、よく生方先生の部屋に行ってたの。先生の授業取ってないのに、何の用事があるのかなぁって不思議だったんだぁ」
「えっ、生方先生の?」
「そう、そう。私が受けてる講義の教室が先生の部屋の近くにあって、何回か見かけたよ」
門叶は錦戸と顔を見合わせた。
「でも、それだけだよ。それが殺されたことに関係あんの?」
朋美が、キョトンとした顔で首を傾げている。
あけすけな物言いに、苦々しく思いつつも門叶は質問を続けた。
「生徒さんは、先生の部屋に行くことはよくあることかな?」
優しさを意識して尋ねた。
あとで刑事に脅されたと脚色されたら、たまったもんじゃない。
「私は行かないなぁ。学部の違う先生なら尚更──あ、そう言えば一度、泣き声を聞いたっけ」
記憶を手繰り寄せるよう、朋美が空に向かって言った。
「泣き声? それはいつ頃かな?」
「えーっと、確か食堂に忘れ物して遅れて講義受けた日だから、二週間前かな」
「二週間前か……」
「急いでいたから本当に泣いてたのか、それが此本さんかは分かんないけどさ」
軽い口調で他人事のように話す態度はいただけなかったが、思いがけず貴重な情報を得ることが出来た。
第一発見者の生方が、千歳と面識があった。 それを隠していたということは、やましいことがあるからと当然思える。
彼女たちに礼を言って、門叶は錦戸と目配せをした。
逸る足でその場から離れようとしたとき、彼女たちから再び歓喜の声が湧き上がった。
「朋美、朋美。東郷先生だよ! あー、もうマジかっこいい」
少し離れた廊下を歩く男性を指差し、二人は頬を高揚させている。
「東郷先生って?」
「講師の東郷拓人先生。めっちゃカッコよくて優しくて、先生を嫌いな女子はいないんじゃないかなぁ」
遠目で見ても女生徒が騒ぐのも分かる相好は、門叶たちのもとへ近付きながら会釈をしてくれた。
門叶も答えるように頭を下げながら、彼がやって来るのを待った。
「君たち講義始まるぞ。教室に早く行きなさい」
鶴の一声に「はぁい」と甘えた声で返事をし、二人はイケメン講師を名残惜しそうに見ながら去って行った。
「刑事さんですよね。初めまして、経済学部経営学科の講師で東郷と言います」
優に百八十は超えている身長の持ち主が、ご苦労様です、と労いの言葉も一緒にくれた。
「恐縮です。私は錦戸と言って、こっちは──」
「門叶です。先生、失礼ですが、亡くなった此本さんのことで少しよろしいでしょうか」
手帳を片手に尋ねたが、彼女のことは、名前も今回のことで知ったくらいだと告げられた。
東郷が申し訳なさそうに「すいません」と言う。
それもそうだ、知らないのは仕方ないと思う。中学や高校とは違い、大学生は半分大人だ。生徒一人ひとりに、目をかける必要はない。
おまけに生徒の数が比にならないほど、大学の数は多い。自分の講義を受けていなければ、生徒と講師が知り合う機会などそうそうない。
それが大学と言うところだ。
それならば何故、科目も選択していなければ、講義も受けていない生方のもとへ、千歳は訪れていたのか。
しかも、一度や二度ではない。
おまけに、生方は千歳を知らないと言った。 それが何を意味するのか。
懊悩していると、腕時計にチラリと視線を向ける東郷に気付き、彼がこの場から解放して欲しい合図だと悟った。
「東郷先生、お忙しいところありがとうございました。何か思い出した際には教えていただけると助かります」
決まり文句を口にすると、東郷が「わかりました」と、頭を下げてきたので、門叶たちも会釈を返した。
背の高い背中が見えなくなると、すぐさま踵を返し、門叶と錦戸は生方の部屋へと向かった。
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