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巡り合わせ

 ドアをノックすると、部屋の中なら何かが崩れる音がした。  一瞬、シンっとしたあと、ゆっくりとドアが開く。そこから現れたのは、相変わらずの無精髭にボサボサ頭の生方だ。 「……刑事さん達でしたか」  疲れているのか、声が掠れている。  それでもかまわず、門叶は足を一歩踏み込んで尋ねた。 「すいません、生方さん。ちょっとお時間よろしいでしょうか」 「あ、はい、どうぞ……。今、本棚を新しく入れたので散らかってますけど」  刑事の来訪に動じることもなく、生方が二人を部屋へ招き入れてくれた。  中に入ると彼の言った通り、棚に収まりきれず床に積み上げられた本が山ほどあった。  散らばった数冊の本を見て、さっきの音の原因はこれかと推測できた。  門叶と錦戸は散らばった本や、養生用のブルーシートを跨いで生方の前に立つと知り得たばかりの疑問を口にした。 「生方さん。実はですね、学生さんの一人が、この部屋に入って行く此本さんの姿を何度も目撃しているんです。でも、あなたは彼女のことを知らないと言った。その理由を聞きにきました。それに、その生徒は泣き声も聞いています。それらは事実でしょうか?」  つい口調がキツくなってしまった。  それなのに、生方の表情は変わらない。  それどころか、「そうですか」と、涼しい顔で呟きながら、煎れたての珈琲を差し出してきた。 「なぜ黙ってたんですか」  錦戸が静かに問うと、珈琲で湿らせた唇を生方が開く。 「疑いをかけられたくなかったんです。第一発見者でもあるし……。すいません」 「疑いって……。話さなかった理由はそれだけですか? 何かあるなら今、全部話してください」  控えめに追求する言葉を放った。  生方が真っ直ぐこちらを見据えてくる。  捉え所のない表情を前に、熱くならないよう  次の一手を考えていると、錦戸が先に言葉を放った。 「生方さん、もしかしてあなたと千歳さんは、講師と学生以上の間柄ではありませんでしたか?」  確信をついたような錦戸の言葉を聞き、門叶は一驚した。  定年間近の錦戸がそんな発想をしていたとは、一ミリたりとも思っていなかった。  呆然としていると、生方が重そうに、「……はい、付き合ってました」と、あっさり認めた。 「ほ、本当に──」  思わず大声を出しかけたが、錦戸にひと睨みされて慌てて口を押さえた。 「やはりそうですか。先生は日本文学科を担当されてますよね」 「ええ……」  門叶がまだ疑問を渋滞させているのに、錦戸は淡々と話しを続けている。 「此本さんの遺品に短歌がありました。誰かを一途に想うような詠でしたから」  生方に視線を向けると、雲間から差す光を見るように目を眇めている。 「それだけでわかったんですか。さすがは刑事さんですね……」  書き上げた前髪の下から現れた顔は、悲しげな笑みを浮かべていた。  アウトローな雰囲気を纏っていた顔は、身なりさえきちんと整えれば彼もまた、女生徒達に騒がれるほどの風貌だと思った。  だからだろうか、とても憂いた顔に見える。 「彼女が先生の部屋を頻繁に訪ねていた。それに今どきの学生は、学業以外で短歌には触れないでしょうし。それと、違ってたらすいません、二人で懸想文(けそうぶん)の交換をしてませんでしたか?」  錦戸の言葉に、生方の表情がパッと明るくなった。 「ええ、そうです、そうなんです。ただ、返事はもう貰えないと思ってましたけど……」  嬉しさと悲しさを混沌とさせたような生方に、「なぜ貰えないと?」と、門叶が付け加える。  生方はしばらく俯いていたが不意に顔を上げ、遠い目をしたまま唇を動かした。 「私が彼女の父親を殺したと告白してから、返事は来なくなってしまったので」  今、何て──そう、聞こうとしたが、錦戸の視線で制止させられてしまった。  生方を見ると、前髪の隙間から見えた目を振り子のように揺らしている。  話すことを迷っている、そんな風に見えた。  静かな部屋に珈琲の香りが濃く漂い、西陽が生方の輪郭を縁取っていく。  その横顔を見ていると、決意したような目と合った。 「私が高校受験のときのことです。遅刻しそうになっていた私は、全速力で自転車を漕ぎ、駅に向かってました」  軽く息継ぎをし、生方が続けて言葉を紡ぐ。 「駅に着く手前の曲がり角で、出会い頭に人とぶつかったんです。その人は私の自転車に激突して飛ばされ、電柱に頭をぶつけてしまいました」  マグカップを両手で包み、漆黒の水面に顔を落とす生方の声は、酷く頼りな気に聞こえた。 カップも微かに震えて見える。 「慌てていた私をその人は逆に気遣ってくれて、受験に向う途中だと告げると、早く行けと、そして頑張れとまで言ってくれたんです」 「もしかして、その人が此本さんの……」  門叶の問いかけに、生方が頷いた。 「そのときは受験のことしか頭になくて、ただの親切なおじさんだと……。しばらくして、その方が亡くなったと知って愕然としました」 「なぜ亡くなったと分かったんです? 顔見知りじゃなかったんですよね」 「私の家は生花店を営んでました。取引先に葬儀屋も何軒かあるんです。その葬儀屋と私の父が、千歳の父親の死因を話していたのを偶然聞いてしまって……。その人が教師をしていたことも」 「それで自分のことだと分かったんですか」  温和な口調で錦戸が言った途端、生方の肩が小刻みに震え出した。  これまで平静を装っていたのが、限界にきた──そんな想像をしてしまった。 「頭部に外傷を負ったのが死因。ぶつかった相手は受験生……。それを聞いたとき、自分はなんてことをしてしまったのかと震えました。私は人を……見殺しにしてしまったんです」  堪えきれず顔を伏せると、覆った手の隙間から雫が溢れていた。  その姿は成熟した大人の影に潜む、罪の意識を背負った子どもが重なっているように見えた。 「それは……辛かったですね」 「わ、私は自分の罪を親や、相手の家族。ましてや警察に自首する勇気もなかったんです」  愛しい人の父親の死因が自分で、その恋人は殺されて遺体となって発見された。  しかも自分が第一発見者ともなれば、(すさ)むような胸中だっただろう。  けれど、被害者との関係を黙っていたことは看過できない。 「千歳さんがその方の娘さんって、どうして分かったんですか?」  悲しみをこらえているのか、生方が額に前髪がかぶるほどうつむいてしまった。  酷なことかもしれないが、関係を隠していた以上、彼の話を突き詰めなければならない。 「それは……彼女が忘れたレポートを目にしたからです。そこには教師志望の理由として、父親が他界したことも書かれてました。『此本』と言う名前もずっと忘れられなかったので」  愛しい人の笑顔や言葉は、生方にとって罪を思い出させる重いものだったのかもしれない。  密事を告白しても心が軽くなる訳でもなく、生方の罪はずっと、一生残るのだ。 「……その日を境に、千歳は私の所へ頻繁に来るようになりました。古文にも興味を持ちはじめて、ここでよく勉強してました」 「それで短歌を……」 「千歳が初めて作った詠で、彼女の気持ちを知りました。そして私も惹かれていった……。けれど私にはそんな資格などない。なのに、どうしても想いを伝えたくて、詠を返してしまったんです」 「泣き声は、やっぱり千歳さんだったんですね」 「……はい。私が父親のことを告白したときです」 「彼女は何と?」 「ショックを受けてました。当然です、私のせいで大切な父親を失ったんですから」 「『あしひきの山路越えむとする君を 心に持ちて安けくもなし』この詠は遺品にあった短歌です。あなたがつらい山道を越えていると思うと、気が気でありません──と言う意味ですよね。この詠にはあなたへの想いが込められている。今、生方さんの話を聞いて私にはそんな風に感じましたよ」  錦戸の言葉で、生方が嗚咽まじりに涙を流した。  父親の死のきっかけを作ってしまった相手でも、彼女が生方を想う気持ちは変わらなかった。  それを知った生方は、もういない愛しい人を思って静かに泣いていた。

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