14 / 56

律と一楓 「湊と亮介」

「一楓、お前んとこの修学旅行って長崎だろ?」 「うん、そうだよ──ってそっか、亮ちゃんも同じだったね」  いつものように半田(はんだ)家の夕食を手伝っていた一楓は、その家の一人息子、亮介(りょうすけ)が唐揚げをつまみ食いするのを見て、笑いながら答えた。  両親を失くした後、幼い妹と共に引き取られた半田家は、一楓の母親の妹の家で、従兄弟の亮介とは同い年だった。  ひとりっ子に見られがちな優しさの中に、少しの我儘をスパイスした性格の亮介は、気遣いする一楓の呼吸を楽にしてくれる、頼り甲斐のある自慢の従兄弟だった。 「確か日程も同じでしょう?」 「はい、スケジュールも似てます」  食卓に茶碗や箸を並べながら、一楓は叔母に返事をした。 「修学旅行なんて行く場所同じだもんな」 「俺、亮ちゃん見つけたら絶対声かけるよ」  小学生のころからテニスを続ける亮介は、今は部活でその手腕を発揮し、逞しい肌は日に焼けて随分と大人っぽい。褐色の肌に似合う白い歯で、ニカっと微笑まれた。 「お兄ちゃん、ご飯よそったよー。運んでよぅ」  危うい手付きで茶碗を持つ美羽(みう)に咎められ、「はいはい」と、一楓はサボっていた手を動かした。 「美羽ちゃんは偉いな、いっつもお手伝いしてさ」  兄より背の高い位置の亮介に頭を撫でられた美羽が、束ねた長い髪を跳ねさせると、嬉しそうにニッコリした。 「亮ちゃんの手、大っきいねー」 「だろ? お兄ちゃんより背も高いし、カッコいいだろ?」 「うん、美羽、大っきくなったら亮ちゃんのお嫁さんになる」 「そっかそっか。美羽は可愛いなぁ。ってことで、兄貴よろしく」  ラケットを握る力強い手で、一楓は背中を軽く叩かれた。 「痛いよ、亮ちゃん。それに何だよ、兄貴って」 「だって兄貴だろ? 誕生日は一楓のが早いし。俺九月、一楓は五月だもん」 「だもんって……。見た目だと亮ちゃんのが歳上だよ」 「一楓は華奢だし、ちっこいし可愛いーもんな」 「ちっこいはともかく、可愛いってのは余計だよ」  いつもの亮介のからかいが一楓を和ませ、半田家にいていいんだと思わせてくれる。両親を亡くした寂しさを埋めてくれようとする亮介の優しさに、一楓は心から感謝していた。 「はいはい。おふざけは終わりよ。ご飯できたから誰かお父さん呼んできて」  すると年少が「はーい」と返事をし、意気揚々と駆けて行く。  美羽の小さな背中を見つめながら、一楓は半田家の優しさを有り難く噛み締めていた。 「ホント可愛い……」  渇望したような掠れた呟きは亮介の口から溢れ、聞き取れなかった一楓は、何か言った? と、振り返った。 「……いいや、何も」  日焼けした顔で微笑んでくる亮介に一楓も笑顔を返すと、「修学旅行、楽しみだね」と言い残してキッチンへ向かった。  ***  修学旅行初日、浮き足立った生徒達を不安げに見守る教員陣は、長崎駅前の広場で注意事項を大声で喚起していた。 「一般の方の迷惑にならないよう行動すること。集合時間は十六時にこの駐車場で。わかったな!」  自由行動を前に騒ついている生徒に、担任達は何度も念を押している。 「一楓っ、一緒に回ろうぜ」  担任の『解散』の声と同時に、律は一楓のもとへ駆け寄った。 「律。他のみんなはよかったの?」 「いいの、いいの。あいつらどうせすぐ脱線するし」  過去には自分もその仲間だったことは棚にあげ、律は上から目線で言った。 「じゃ遠慮なく、律を独り占めだね」  さらっと口にした一楓の言葉で、心臓が激しく脈打つ。  そんな可愛いこと言われると、今すぐ抱き締めたくなる。 「長崎って言えば──」「あのさ──」  話を切り出そうとした二人の言葉が、また弾むように重なった。  今となってはお決まりの現象で、慣れっこな二人は互いの顔を見合わせ「またかぶった」と、大声で笑い合った。 「先に話してよ、律」  クスクスと笑いながら一楓が手を差し出し、「どうぞ」と譲ってくれる。  話す順番を律が譲ってもらうのも、今では恒例になっていた。 「いや、長崎って言えばチャンポンだよな」  「早速食べ物? 律らしいけどせっかく長崎来たんだから観光しない?」 「えー、観光? 平和公園見たからもういいじゃん」  ツアーガイドの説明もろくに聞かず、退屈を表すように大きな伸びでアピールしていた自分を振り返って一楓に甘えてみた。 「去年行った京都でも、退屈そうにしてたもんね、律」  一楓の言葉を聞き、見てたんだ、と律の目があさっての方へ泳ぐ。 「わ、分かったよ。一楓はどこに行きたいんだ?」  チャンポンは一旦置くと宣言した律は、浮かれている自分を自覚していた。  一楓と一緒が嬉しくて、鼻歌まで披露しながら二人でパンフレットを覗き込む。  三年生になって同じクラスになれたのは奇跡だったなぁと、しみじみ思った。  中学最後の年はイベント満載で、それら全てを一楓と一緒に味わえるのだ。  なんて幸せなんだろうと、心の中で神様に感謝した。 「うーんとね、あ、ここ。この眼鏡橋に行きたい」 「眼鏡橋? なんだそれ?」 「日本三名橋の一つで、川に移った影がメガネの形に見えるからそう呼ばれてるんだ」 「へぇー、一楓はよく知ってるな」  感心している律を横目に、一楓がクックっと笑っている。 「なんだよ」 「だって俺、パンフレット読んだだけだよ」 「なんだ、一楓すげぇ物知りって思ったのに。京都のときも詳しかったからさ」 「律怒った? フフ、かわいいー」 「うわ、可愛い一楓に可愛いって言われてしまったぁ」 「な、何だよ可愛いって」 「可愛いから可愛いって言ったのです」  ふざけて言うと耳朶を真っ赤にし、一楓の眉が困ったようによじれている。もう何もかもが愛おしい。  友人が聞いたら寒気がすると言われそうな甘ったるい言葉を、戯れと一緒に口にする。恥ずかしくもなんともない、本当に嬉しいのだ。 「でもよかったよな。三年で同じクラスになれて」  眼鏡橋へ向かう道すがら、真っ青な空に向かって言った。  神様に感謝していた言葉を改めて口にし、この幸せがずっと続きますようにと、心から祈る。この先も、ずっと一楓の隣を歩けますようにと。 「始業式の日、遅刻ギリギリだったよね、律」 「そうなんだよ、目覚ましの電池切れててさー。母さんも夜勤でいなかったし。でも、教室入ったら一楓の姿があって、あの瞬間は一気にテンション上がったな。席も近かった──あ、そう言えば一楓の誕生日ってこの旅行中だろ? 俺何か買ってやるよ。って言ってもあんま高いのは無理だけどな」 「俺の誕生日覚えてたの?」 「そりゃ……まあ」 「嬉しい。ありがとう、それだけで十分だよ」  満面の笑顔を一楓が惜しみなくくれる。その姿に見惚れ、互いの肩が触れそうで触れない距離をもどかしく感じていた。  いつの間にか目的地に辿り着き、一楓が橋に向かって軽やかに先陣を切って走って行く。律は無邪気な姿を見守るように、「あんま先に行くなよ」と声をかけてゆっくり後を追った。  数メートル先から手を振る一楓の姿が人山で見えなくなり、観光客の波間へと目を凝らして探した。 「律、こっち、こっち」  視線の先で手招きする一楓が見えると、律は慌てて橋の真ん中まで駆け寄った。 「一人で先に行くなって」  視界に捉えた姿に何故か安堵し、無意識に溜息を吐いていると不意に腕を引っ張られ、律の肩に一楓の小さな頭が乗っかった。 「ほら、律。笑って」  一楓が空にスマホを掲げ、シャッターをきった。 「これがプレゼントだ。ありがと律」  一楓は嬉しそうに、撮ったばかりの写真を眺めながら言った。 「写真なんていくらでも撮ってやるよ。それより、何が欲しいか考えとけよ」  手を繋ぐことも、ましてや肩を抱くことも出来ないけれど、身体中から発酵する熱や、眼差しで一楓への思いを伝えよう。  ほとばしる気持ちを控えつつ、律は自分の横にいる愛しい存在を見つめていた。 *** 「何見てんの?」  鷹屋敷湊(たかやしきみなと)は、眼鏡橋を見つめる亮介に声をかけると、「別に」と、素っ気ない返事に、負けじと、ふーんと大雑把に返した。  五月の長崎は汗ばむ陽気に恵まれ、校則を破りたくなる気温だった。  ルールを守る亮介を横目に、湊は緩めていたネクタイを外してポケットにねじ込んだ。 開襟部分をはためかせて、風をパタパタと体の中に取り込みながら、亮介の視線の先にある存在を食い入るように見た。 「なあ、あれって他校の生徒じゃん。あっちも修学旅行みたいだな、同じ東京の学校かな」  あまりにも亮介が凝視しているから、横に並んで照準を合わせて同じ方向を眺めた。 「──東京の中学だ」  眼鏡橋を数メートル先に捉えた位置から、亮介の眼光は橋の上へにずっと張り付いている。  中高一貫校に入学し、同じクラスになったときから亮介との付き合いは始まった。  部活は違ったけれど、気が合って一緒にいることが多く、湊と亮介は周りからも親友だと認識される仲だった。  そんなの、これまで見たこともない揺らぐ炎を写した目を一瞥し、湊は愉快そうにほくそ笑んだ。 「何でわかんの。もしかして知り合い?」  口を真一文字に結んだ亮介の視線は、橋の上の二人に向かったままだ。 「なあ聞いてるのか。亮介、あいつらって誰なんだよ」  問いかけても亮介の口は開かれず、仲睦まじく写真を撮っている二人組を見つめている。 「……従兄弟だよ」  湊がもう一度尋ねようとしたら、ようやく答えが返ってきた。  亮介を盗み見ると、瞬きするのも忘れた目には負の感情が溢れている。 「へぇ、従兄弟ね。どっち? 背高い方? 低い方?」 「低い方」  高低差のない声で呟く亮介のこぶしが固く握り締められている。そうしないと何かの感情が発露しそうだと悟り、その意味を察した湊はなぜか心が躍った。  頭に浮かんだことが正解だったら、これはちょっと、面白くなるんじゃないのかと。 「かわいい顔してるじゃん。亮介の話しによく出て来る子だよな」 「そんなに話してないし」 「まあまあ。でも俺は背の高い方が好みだな」  あけすけな言い方をわざとし、湊は自分の唇を指でなぞった。 「あのな、お前が男しか興味ないの俺が知ってるからって、あんま大っぴらに言うなよ」 「はいはい。俺はゲイです──ってか声かけねーの?」 「いい、あっち行くぞ」  橋に背を向け、その場を離れようとした亮介に、「亮ちゃん!」と、遠くから声が降り注いできた。  呼ばれたことに気付いているくせに、亮介が去って行こうとする。  聞こえてないと思ったのか、向こうは亮介を二度三度と呼び続け、こちらへ走ってきた。 「亮介、従兄弟君が呼んでるぞ。いいのか」 「ほっとけ──」 「やっぱり亮ちゃんだっ」  側まで来た気配で亮介の足が止まり、思いっきり溜息を吐きながら渋々振り返っている。 「……一楓」 「偶然だね、亮ちゃん。まさか本当に会えるとは思わなかったよっ」 「そう……だな」  そっけない亮介の態度に気付かないのか、声をかけてきた従兄弟らしい学生が、満面の笑顔で立っている。隣にいる背の高い生徒を見やると、湊の期待通り、好みの男で顔もかなりのイケメンだった。  亮介が一楓と呼んだ学生が、イケメンの腕を引き寄せ、「律、従兄弟の亮ちゃんだよ」と空気も読めず嬉しそうに紹介してきた。  世間で天然と呼ばれる類は、大っ嫌いだった。亮介の従兄弟はまさしく、そのタイプに振り分けられると直感し、湊は隣にいるイケメンばかりを眺めていた。 「ども、繪野律です」 「半田亮介……っす」 「どーも、俺、鷹屋敷湊。亮介のダチでーす。で、君が従兄弟で、君は繪野律くんかー」 「あ、うん。村上一楓です、よろし──」 「ほんっと、繪野君キレーな顔してるね。背も高くてスタイルいいし、モテるでしょ?」  一楓の挨拶も聞かず、律の手を強引に掴むと、握った手をブンブンと激しく揺さぶった。律が戸惑っていると、亮介に首根っこを引っ張られ、律から引き剥がされてしまう。 「痛ってーな。何すんだよ亮介」 「お前はジッとしてろ。悪いな。えっと、繪野」 「いや、別に……」 「そうだ。ねえ、亮ちゃんも一緒に回る? 今からチャンポン食べに行くんだ。律がどーしても食べたいって我儘言うからさ」 「お前も食べたいって、さっきノリノリだったろ?」  一楓が頬を染めて律を見つめている。そんな二人を切なそうに見つめている亮介。そして彼ら三人を湊は静かに諦観していた。  退屈していた日常に、何やら楽しげなことが起こりそうな予感。  湊は従兄弟同士で繰り広げられる会話を、黙って聞いていた。 「いや、他校の生徒と一緒にいたら担任に怒られるから」 「そっか……そうだよね。じゃ亮ちゃんまた家で、だね」  おー、天使の微笑みってか? 無邪気に笑っちゃって。こいつに亮介の気持ちなんて、微塵も伝わってないんだろーな。  亮介と一楓の様子を眺めながら、そんなことを考えていたが、それ以上に気になったのは、繪野律と言う、最高にいい男の存在だった。  引きつった笑顔で一楓に別れを告げる亮介を尻目に、湊は「繪野君、またねー」と、今生の別れの如く両手を振った。  つられた律が微笑みを返してくれると、やっぱりいい男だと改めて思う。  同時に、あの笑顔を欲しいなとも。  二人の姿が見えなくなると、チラッと亮介の横顔を見た。  中一で同じクラスになり、ツレになって、初めて見る邪心が滲む友の顔を。 「あの二人、デキてるよな。どうすんの?」  確信を持った言葉を投げかけると、亮介の双眸は明らかに動揺を見せた。 「ど、どうするって俺は別に……」 「俺は亮介に協力するよ。繪野君のことタイプだし」  亮介のネクタイを整えてやりながら、湊は冷笑を浮かべて言った。 「俺はお前とは違う──」 「亮介がそう思うならいいけどさ。でもこれだけは言っとく、俺はお前の味方だ。それも最強のな」  友情の顔か、共謀者の顔なのか。  自分でも汲み取れない笑顔を作り、湊は翳をさす友の背中を予言するように撫で上げてやった。

ともだちにシェアしよう!