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過去

 此本家を訪問して目の当たりにしたのは、一人娘を失って脆弱した母親だった。  見るに耐えかねた門叶達は、労いの言葉を告げると早々に引き上げ、千歳の幼馴染である鷹屋敷邸へとやって来た。  白い塀に囲まれた敷地の入り口は台形状に入り込んでおり、大人の背を越える鉄扉が来る者を萎縮させてくる。 「ウチに何か用?」  呼び鈴を押そうとした門叶を、真横からぶっきら棒な声が阻んできた。  横を見ると、仇でも打つかのように門叶を睨みつけている若者が佇んでいた。 「鷹屋敷湊君?」  門叶だけに照準を合わしてくる湊に、錦戸が声をかけた。 「そーだけど。おっさん達刑事だろ、また来たのかよ」  両腕を胸の前で組み、威嚇するように湊が乱暴に吐き捨ててくる。 「突然で申し訳ないね。千歳さんの事で何か思い出したことはないかと思ってね」  何か言いたげな眼差しを無視し、門叶は刑事らしく質問をした。 「前に来た刑事にも言ったけど、特にない」  辟易とした受け答えの湊に屈服しないよう、門叶は続けて質問をした。 「そう……。じゃあ、彼女から付き合ってた人の話って聞いたことなかったかな?」 「付き合ってる──ああ、生方か」 「君は相手を知っていたんだ。でもなぜ、前に来た刑事にはそのこと言わなかったのかな」 「大っぴらに言えないっしょ、講師が恋人なんて」  それでも大事なことだから、言って欲しかった──。  そう、門叶は言いたかったが、千歳への誹謗を避けたい気持ちが湊の言葉から伝わり、その発言は控えた。 「君は随分と、千歳さんに信頼されていたんだね」 「は? 何で」 「他の友達は、恋人の存在を知らなかった。でも君には話してたんだね」  門叶の言葉を聞き、湊の表情が複雑そうな色に変化していく。  嬉しいような、悲しいような……。 「……俺は信頼してもらえるような人間じゃない」 「それでも彼女は君に話したんだ。君には知っておいて欲しかったんだろうね」  萎れそうな湊を慰めるよう錦戸が言うと、憂いた顔に微かな笑みが浮かぶ。  湊へと向ける錦戸の優しげな低音に、門叶も昔、救われたことがあった。  まだ中学生だった自分を、言葉少ないながらも励ましてくれた。  ボロボロだったあの時、側にいてくれたのが錦戸でよかったと、今でも強く思っている。  不快な事件が錦戸との出会いだったけれど、刑事になって再会したときは、心の底から嬉しく思った。 「千歳は、父親のことを知っても生方が好きだって泣きながら笑ってた。だから俺は、あいつの幸せを願っていたんだ。なのに……」  やるせなげな湊の表情に同調するよう、門叶は自然とこぶしの骨を白く浮かせていた。 他人の自分でも悔しいのに、親しかった彼はどれだけ深い悲しみを味わっているのか。 「君は恋人のことはいつ知ったのかな?」  意識して声を和らげると、一瞬、鋭い目を向けられたが、すぐに湊の視線は空を彷徨った。 「多分……事件の二週間くらい前だ。珍しくウチに来たんだよ」 「何か用事があったのかな?」 「いや、ただ、俺の顔を見に来ただけだと。そう言えばあん時、千歳に電話がかかってきたな」 「電話……。相手はわかるかい?」 「糸峰だよ、糸峰佳乃子」  湊の発した名前に聞き覚えがあり、門叶は手帳を確認すると、まだ会ってない人物なのがわかった。 「何を話してたか聞いた?」 「いいや。でも千歳が珍しく怒ってたな」 「怒ってた? どんな風に?」 「声を荒げてさ。離れた場所で電話してたから内容は、分かんねーけど」 「その糸峰さんってどんな子かな?」 「あー、あいつは高校から一緒だったけど、とにかく気に食わない奴だ。馴れ馴れしいし、自己中なんだよ。持病持ちっての? 体が弱いからって、かまって貰えないと機嫌悪くなるし」  無愛想な顔で、言い捨てるように湊が言う。  門叶は苦笑しながら、「糸峰さんと仲良い人は知ってる?」と付け加えた。 「さあな。講師とデキてるって噂は聞いたことあるけど。裏庭で密会してるとかってさ。なあ、もういい? 俺、帰りたいんだけど」 「あ、ああ、そうだね。引き留めて悪かったよ」  礼を言うと、門を開けようとした湊が振り返ってきた。  数秒、逡巡したあと、「あのさ……」と、門叶に向かって言葉を振り絞っている。  門叶は手帳をポケットに収めると、湊の言葉を待った。 「律は……マジで、死のうとしてたのか?」 「えっ、あ、ああ。え──っと……」  門叶が返答に迷っていると、「とぼけんなよ」っ、と今度は罵声が飛んできた。 「あんた、食堂で律のこと、気にかけてたじゃないか。どうなんだよ、あいつは──」  頬に刺さる錦戸の視線が気になったが、言わないと湊は許さないだろう。  そう思い、門叶は口を開いた。 「……四年程前の春だったかな、彼は橋の欄干から身を投げようとしていたんだ。俺はそこをたまたま通って彼を止めた。それだけだよ」 「四年前の春……。で、律は、律はどうしたっ」  リュックを持つ手が震えているように見えた。  不安定な双眸は、何かから耐えるように地面に向いている。 「ちゃんと話して、彼は……冷静になったよ」  視点の定まらない目と合い、「理由は聞いたのか?」と確認するように問われた。  門叶は「いや」とひと言で真実を伝えた。  だか、その答えに納得がいかなかったのか、本当に? と、尋問のように聞き返される。  何度聞かれても返す言葉は同じ……だったけれど。  今より幼い律が自殺しようとした理由。  それは、門叶が推測しただけに留めたものでしかない。  真実は……わからない。 「本当だよ、聞いてない」  あからさまな疑念を抱いているのか、「あ、そう」とだけ言い捨てると、湊は背を向けて家に入って行った。  錦戸の視線を感じながら、門叶は言いようのない罪悪感を抱えたまま、湊の後ろ姿を見送っていた。

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