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律と一楓 「変化」

「あー、一楓、クラス別れたっ」  着慣れないブレザーとネクタイ姿で、新しい学校へ勇んだものの、掲示板の貼り紙の前で律が落胆している。追いついた一楓も、肩越しに見えた無慈悲な結末に肩を落とした。 「本当だ。あ、でも律、隣のクラスだよ」 「隣でもお前二組、俺三組だから体育も別だな、きっと」 「そんな顔してると、男前が台無しだから」  寂しさと不安を感じつつも、律を慰めようと一楓はふざけてみた。  けれど、大好きな人の顔は沈んだまま。  そっと袖を掴んで律を振り返らせると、満面の笑顔を頑張って振りまく。  晴れて同じ高校に通える。  それだけで十分幸せだと思ってはいたけれど、やっぱりクラスが別れるのは悲しい。  かなり凹むけれど、自分と離れて悲しんでくれる律を見ることは嬉しい。 「昼飯は一緒に食おうな」 「うん、屋上とか行けるのか──」 「あー、いたいた。りーつ!」  遠くから律を呼ぶ声が、一楓の言葉を遮る。  二人は声のする方を、同時に振り返った。  視線の先には、同じ色のネクタイ姿の生徒がこっちに向かって走ってくる。  それが誰かわからず、一楓と律は顔を見合わせながら首を傾げた。  一楓達の前にやって来た生徒は満面の笑みを浮かべ、「湊だよ、京都で会ったろ」と、抱きつかんばかりに、律の肩を両手で掴んでいる。 「あ、一楓の従兄弟の──」 「そうそう、亮介のダチで鷹屋敷湊。よかったぁ、律に会えて」  二回目の再会だと思わせないコミュ力で話しかける湊を、一楓はぽかんとした顔で見ていた。 「え……っと、村上だっけ? お前もよろしくな」  湊が挨拶をしてきたが、すぐに彼の視線は律に帰って行く。 「こ、こちらこそ。でもどうしてこの高校に? 亮ちゃんの学校は私学で、中高一貫のはずじゃ──」 「あの学校飽きたから外部受験したんだ。それに律がここを受験するって亮介に聞いたからさ」 「は? 俺?」  明瞭な理由だった。  おまけに平然と『律』と呼び捨てにする。  極め付けに湊の手は、自然と律の腕に絡まっていた。  屈託のない仕草を目の当たりにした一楓は、一抹の不安をよぎらせていた。 「律とまた会いたかったからさ。それに見てみろ、律と俺はクラス一緒だ。運命だな、これは」 「運命って。変なやつだなお前。ま、よろしく頼むよ」  気さくな湊に好意的な態度で話す律は、名前で呼んでくれよと彼に甘えられている。   ほぼ初対面だと感じさせない二人のやり取り。  それを眺めていた一楓は、微かな疎外感を味わっていた。  いくら律と恋人同士でも、側から見れば、自分達はただの友人だ。  特別な関係じゃないのは分かっている。  けれど、本当はいつだって大声で叫びたい。  繪野律は、俺の恋人だ──って。  そんなこと、無理だとわかっている。  けれど、湊が律に向ける視線や、何気なしに律に触れることが何を意味するのか……。  心細げに項垂れていると、目の前に律の腕が差し出された。 「一楓、行こうぜ」  見下ろしてくる笑顔は、雲間から射す光りのように眩しく、思わず目を眇めてしまった。  手首を掴まれると、愛おしさが込み上がってくる。  律が好きだ。  どうしようもなく彼に恋している。  湊の登場で不安は募るけれど、一楓は自分に言い聞かせた。  大丈夫、律を信じていればいいだけだ。    これから先も、律の横に並んで歩くのは自分だと。  未来を疑わず、一楓は軽やかに足を踏み込んで律の背中を追った。  ***  制服が合服になる頃には高校生活にも慣れ、一楓達はそれぞれのルーティンをこなし日々満喫していた。  ただひとつ、ささくれのように小さな痛みが一楓の中に生じていることを除けば、だが。 「律、今日も弓道終わるの六時頃だよな」  律と呼ぶ湊の存在は、窓枠に積もる埃のように、不安という名で一楓の中に居座り続けている。  教室を隔てる壁を恨めしく思い、在らぬ妄想が後を絶たない。  でも、律は部活へ行く前に必ず一楓の教室に顔を出してくれる。  それは嬉しい。けれど、そこにはいつも湊が一緒にいるから胸のさざ波は絶えない。  律の隣に並ぶ湊に忌避感を抱いてしまう、そんな自分が嫌いになる。  嫉妬で醜い姿を、律には見せたくない。 「湊はもっと真面目にサッカーやれよ。いくら弱小だからって練習サボんな」 「へーい。でも練習サボってる俺の方が、先輩より上手いのも事実だからな。なあ村上」 「あ、うん。亮ちゃんも言ってたけど湊君、本当に上手いよね」  カラカラと笑う湊に、一楓は表情筋の固まった笑顔で応える。 「だったら尚更ちゃんとしろ。弓道部にばっか遊びに来んな」 「俺が行かないと、律が寂しーだろなって思ってさ」 「寂しくねーわ」と、笑い合う二人を胸が塞がる思いで眺めながら、時計を気にした。 「一楓、今日もバイトか?」  律に尋ねられ小さく頷く。  声に出すと、離れ難い気持が溢れそうになるから。  半田の家にいつまでも甘えるわけにはいかない。  引き取られて一楓が真っ先に考えたことは、自立することだった。  高校を卒業したら就職する一楓は、妹と二人で暮らすためにバイトを始めていた。  律との時間が減るのが分かっていても、湊が律へ向ける気持ちが友達以上だったとしても、美羽を幸せに出来なければ、死んだ両親に顔向けができない。  不安が顔に滲み出ていたのか、律の手がふわりと頭を撫でてくれる。 「なあ一楓。今度さ、バイトも部活もない日に、どっか遊びに行こうか」  律の気遣いが髪の先から順に身体へ染み込んでくる。  自分だけに向けられた微笑みが、〝お前は特別〟だと言ってくれているように思えた。  でもそれすらも湊は許してくれなかった。 「うん! 行くっ。行きた──」 「賛成! 三人で楽しもうぜ。どこ行く?」  快活な声で『三人』の部分が強調され、喜びは遮られてしまった。  同時に、律と二人だけと考えてしまった自分の浅ましさを恥じた。  もしかしたら律も、『三人』を提案していたのかもしれないのに。 「こら湊。お前は一楓の話を最後まで聞け」 「ごめーん。俺も遊びに行きたかったからテンション上がってさ。悪いな、村上」  湊が笑って謝ってくれる。  でもその顔にどんな感情が織り込まれているか、彼の背中側にいる律には見えない。  湊の気持ちが怖い反面、逆らうように心がどんどん醜くなっていく。  どんどん自分が嫌いになってしまう。 「大丈夫──あ、そうだ。今度亮ちゃんがこの学校に来るんだ。テニスの合同練習なんだって」  一楓は苦痛から逃げるように、話の矛先を変えた。 「へー。そう言えばあいつとは暫く会ってなかったなぁ。いつ?」 「今週の日曜日の午後だよ」 「日曜日かぁ、あ、俺も部活あったな」 「部活あるなら真面目に行けよ」  部活の話しに花を咲かせる二人を横目に、帰り支度をしていると、不意に腕を掴まれる。  あっという間に、律のそばに引き寄せられた。 「な、何りつ」  見上げた先にあった美しい顎のラインに見惚れていると、しなやかな律の指先がうなじと襟の隙間に滑り込んだ。 「襟、曲がってる」と、制服の乱れを整えてくれる。 「ほ、本当? ありがと律」  どんなに小さなことでも、律からもらう行為は特別なこと。  こうやって頬が熱くなるのも、自然なことだ。  もっと触れてほしいし、もっと律に触れたい。  欲望は体の中で膨らみ続け、嫉妬心と張り合うように膨張し続けている。  針でひと刺しすれば、激しい音と共に破裂するほど、一楓の心はギリギリだった。 「律っ、もう行こうぜ!」  (やいば)のような声と、射るような視線で湊が律の腕を奪う。  自分の手を絡ませ、誰にも触れさせないように。  律の腕も、視線も、独り占めしたい。  けれど、それは湊も同じなんだ。  湊も自分と同じように、苦しい思いをしている。 「痛いって湊。引っぱんなよ」 「早く行かないと部活遅れるだろっ」 「分かったって。一楓、じゃあなー。バイト頑張れよ」  遠ざかって行く律に手を振った。  不安だけをずっと飼い慣らし、一楓は歯を食いしばったまま、嫉妬の炎に染まる湊の視線を受け止めていた。

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