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律と一楓 「豹変」
ジャージ姿の生徒達がウォーミングアップを始める中、レギュラー獲得に意気込む亮介の姿もその中にあった。足を開脚し、試合に備えて入念にストレッチをしている。
「亮ちゃん! おーい、亮ちゃん、がんばれー」
一楓の声に気付いたのか亮介が、前屈運動しながら手を振り返している。
金網越しに亮介を見ていると、「よお、あいつの試合まだ?」と、背中に声をかけられた。振り向くと練習着姿の湊が立っていた。
「湊君、部活お疲れ。亮ちゃんの試合まだ始まってないよ、間に合ってよかった」
「あ、そう。なあ、それより律は?」
滴る汗をタオルで拭いながら、湊が目当ての姿を探している。亮介を激励にしに来たのでは? と思ったけれど、心のどこかで、やっぱりなとは思ってしまった。
こんなこと思いたくないのに、湊の気持ちが手に取るようにわかってしまう一楓は、苦味を混ぜた笑顔で湊を見上げた。
「……律は今日、皆中 稲荷神社ってとこに行ってる。弓道のお参りだって言ってた」
「お参り? そんなとこ行くんだ」
「上達祈願なんだって。毎年恒例みたいだよ」
ただ、律のスケジュールを伝えただけなのに、鋭い眼光を浴びた。「ふーん」とひと言だけ返ってきたけれど、一楓とは目も合わせず湊は金網の向こう側に視線を向けている。
「亮介ーっ」と、叫んだかと思うと金網をこぶしで叩き、荒々しい音で注目を集める。「頑張れよ!」と、声援を送ると亮平が手を上げていた。
亮介との短い再会を済ませると、湊はすぐ横にいる一楓と視線を合わさないまま、タオルをはためかせて場を立ち去って行った。
湊は気付いている。
一楓の中に生まれた、自分の方が律のことを知っている優越感を。無意識にマウントを取っていた一楓に腹が立ったのかもしれない。あからさまにそんな態度をしたつもりはなかったけれど、顔に、声に、滲み出ていたのかもしれない。
こんな汚い感情、いらないのに……。
日増しに増殖する湊に対する憎しみや、薄汚い感情が胸に巣くい、底のない沼にずぶずぶと足から沈んでいく感覚になる。
ただ、穏やかに律を見つめ、側にいたいと思っていた淡い恋は、いつの間に薄汚れてしまったのだろうか。
胸の中で育っていた、『好き』の二文字を、ずっと綺麗なままで大切にしていたかったのに。
***
前半の試合が終わり、試合結果で盛り上がっている生徒達の中を、一楓は亮介を探していた。
校庭を見渡すと校舎へ入って行く湊と亮介を見つけた一楓は、慌てて二人の後を追った。
三階へ向かう背中を追いかけると、湊の教室へと二人は入って行く。
亮介のことが心配だった一楓は、ガラス越しに中を覗いた瞬間、扉を開ける手を止めた。
「くそ! 何であれがアウトなんだよ! 後、二点だったのにっ。くそっ!」
荒々しく椅子を蹴りながら、亮介が激昂している。その横では湊が涼しい顔で彼の動向を眺めていた。
教室中に響く不快なノイズが扉越しにでも伝わってくる。
タオルを鞭のように振り回す亮介からは、いつもの優しい面影は消えていた。
一楓は昨夜、夕食を終えた亮介が嬉しそうに話しかけてきた顔を思い出していた。
明日の練習試合、絶対に観に来いよと、やる気に満ち溢れた笑顔で言っていた顔を。
今日の試合でレギュラーメンバーが決まるって言ってたもんな……。
「亮ちゃん、もうやめなよ!」
いたたまれなくなった一楓は、教室へ飛び込んだ。
静止させようと亮介の腕にしがみ付く。
どうにかして亮介を励ましてあげたい、その一心だった。
「い、一楓! 離せよっ!」
必死で宥めようとした一楓は、憤怒する亮介に簡単に振り払われてしまう。
華奢な体は容赦なく突き飛ばされたけれど、すぐに起き上がりイラつく亮介へと駆け寄る。
「亮ちゃん、怪我するから」
諭すように話しかけても、怒りで自我を失くした眼と一楓の視線は交わらない。
今度は労わるように名前を呼んだが、その声音が歪んだプライドを刺激した。
一楓の言葉は、さらに亮介を追い込む結果になってしまった。
「うるさい! 黙れ!」
聞いたことのない咆哮が亮介から飛び出した。
思わず後退りし、「ごめん」と呟く。
その仕草さえも、癇に障ったのか、一楓の言うことすること全てが、怒りの着火剤になっている。
「何だその顔は! 負けた俺を可哀想だと思ってるのかっ」
亮介に胸ぐらを掴まれ、力一杯後ろへと突き飛ばされた。
さっきより強く吹っ飛び、机や椅子が薙ぎ倒されると、一楓の体はその中へと重なるように倒れ込む。
「いっ痛……」
体中に痛みを感じながらも、ひたすら大切な従兄弟を心配した。
一楓の心が理解できないほど、亮介の怒りは全く治らない。
その証拠に、胸ぐらを掴まれた一楓の片足が宙に浮いていた。
「う……苦し……。亮ちゃ……ん」
息苦しさに顔を歪ませながら、一楓は亮介の手を振り解こうともがく。
「そうだ。村上、お前が亮介を慰めてやれよ」
さっきから二人を静観していた湊が、不意に口を開く。
「──んだよ、湊! お前は黙っとけよっ」
「いやだなぁ、亮介。俺は興奮してるお前の下半身を村上に鎮めてもらえって言ってんだよ」
酷薄 な目で湊が指差す先は、微かに膨らんだ亮介の股間にあった。
「はあ! お前何言って──」
「まあまあ、それって怒りマラだろ? 運動した後や怒った時、男って勃ったりするもんな」
白眼視 された一楓は、湊に腕を取られると、襟首を掴まれた。
そのまま、亮介の大腿部まで顔を押し込まれる。
「ちょ、ちょっと。湊君、何する──」
両腕を後ろ手に取られ、亮介の敏感な場所に顔を近付けられる。
強い力で押さえ込まれ、一楓は体を捻って立ちあがろうとした。
けれど、上から押さえつけて来る湊の力には敵わず、興奮を露わにする亮介が目の前に迫っていた。
「い……ぶき」
見上げると、色に狂った目がそこにあった。
一瞬で全身が粟立ち、逃げようともう一度、腰を浮かした。
「逃げんなよ、村上。亮介も遠慮せず、お前のソレ、こいつに口でして貰えよ。スッキリするぜ」
亮介の短パンの縁 に手をかけ、湊が下着ごと一気に下へずらした。
ぬっと現れたモノは既に先端から透明な液が滴り、ぬらぬらと光ってそそり立っている。
「お、おい。やめろっ、湊っ」
「ほーら、やっぱ興奮してんじゃん。なあ、村上」
名前を呼ばれて、体がこわばった。
肩越しに後ろを見ると、乾いた微笑みの湊が見下ろしている。
亮介の雄から目を背けると、後頭部を深く押さえつけられた。
亮介のモノと鼻頭がぶつかる。
「お、おかしいよ、こんなの。ねえ、ねえ亮ちゃん!」
上目遣いで亮介に訴えてみた。
だが、その声にも煽情 されたのか、亮介の息遣いが荒げている。
「律にもしてやってんだ、慣れてるよな」
湊の言葉を聞いた瞬間、一楓は身を竦ませた。
湊がいつから自分達の関係を知っていたのか。
もしかしたら律が話していた? 他にも知っている人はいるのか?
冷や汗が首筋を伝ってくる。
「り……律とはそんなこと──」
律と付き合うようになったのは中三の時。
けれど、キス以上の行為を一楓はまだ知らない。
「付き合ってるんだろ? お前を見てればわかるよ。セックスだってしてるんだ、だったらフェラくらい亮介にもしてやれよ。お前はこいつの家に居候で世話になってるんだ。なあ、亮介」
怒りに満ちていた亮介の顔が、ゆっくりと卑猥 に変化する。
生温かい手で伸びてきて、頬を撫でられた。
「──そうだな、やれよ一楓」
「な、なに言ってんだよ、亮ちゃ──」
「やれ! じゃないとお前ら兄妹が路頭に迷うことになるけど」
耳を疑うような言葉が冷ややかに放たれた。
「やれよ。俺がひと言『一楓に迫られた』って親に言えば、お前らは半田の家には住めない。そうだろ?」
頭に杭を打ち付けられたような衝撃だった。
自分を見下ろしてくる日に焼けた顔が滲んで見え、同時に恐怖をも感じた。
「やるのか、やらないのか? それとも妹と一緒に施設にでも行くかっ」
乱暴に前髪を掴まれた。
飢えた獣のような亮介に顔を揺さぶられる。
顔を逸らすと、強引に顔を押さえられた。
いやだ、気持ち悪い……。怖い。
必死で顔を背けると、視線の先に見たのは、スマホを構えて笑う湊。
「あーあ、追い出されたら妹は悲しむだろーな」
追い討ちをかける湊の言葉に涙が溢れた。
目の前にいる二人は、友人の仮面を付けた獣だ。
「泣くなよ、一楓。まるで俺らが苛めてるみたいだろっ。家にいたいならやれよ。簡単なことだろ」
亮介の手に一段と力がかかる。
精一杯抗っても後ろからは湊に押さえ込まれる。
律、りつ、助けて──
心の中で律を呼んだ。
でもここに、律はいない……。
自分の持てる力、全てで抵抗した。
それでも、二人がかりの力には敵わず、悍ましい行為は優しかった従兄弟をさらってしまった。
押さえつけられる痛み、息苦しさ。狂ったような亮介の声。
それと、聞きなれた機械音……。
その音に重なる、亮介の喜悦混じりに発した声は恐怖の何者でもない。
「わかってるさ。動画も写真もお前の顔は入れてない。俺はお前の味方だって言ったろ」
笑いを噛み殺した湊の声が、遠いところから聞こえた……。
***
どのくらい時間が経ったのか。
グランドから聞こえていた快活な声もいつの間にか消え、教室は宵闇に包まれていた。
休日の学校らしい静謐の中、一楓は石膏で固められたように動けずにいた。
髪は乱れ、顔には亮介の痕跡が付着している。
頭の中に泥が湧き、淀んで一楓の思考も動きも鈍らせていた。
アラーム音が耳をつん裂く。
一楓は我に返った。
「美羽……迎えに行かないと……」
立ち上がろうしたとき、不意に手が顔に触れた。
指に付着したぬめりを見た瞬間、全身が総毛立つ。
「あ……ああ──」
おぞましい現実がよみがえる。
一楓は狂ったように顔を振って、亮介の残骸を振り落とそうとした。
「いや……だ、嫌だ! 嫌だ! き、汚い。いやだ、嫌だぁ!」
獣にでも追われるよう教室を飛び出した。
そのまま、一気に階段を駆け降りる。
校庭の隅にある手洗い場へ飛び込むと、勢いよく出した水に頭を突っ込んだ。
肌が切れるくらい何度も擦り、口の中を何度も何度もすすぐ。
それでも皮膚に残る感触は消えず、肌の感覚がなくなるまで浴び続けた。
激しい吐き気が込みあがり、喉が裂けるほど嘔吐 く。
冷水で冷え切った体が身震いし、ようやく一楓は正気を取り戻した。
水滴を滴らせながら、フラつく足で駐輪場へと向かう。
縋るように自転車を押しながら、妹の顔を浮かべた。
同時に蹂躙 する亮介の言葉が脳裏をよぎる。
自分はどうなってもいい。
けれど、美羽から今の安らぎを奪うことはしたくない。
二人だけになった家族。妹を守れるのはもう自分しかいないのだ。
一楓は血が滲むほど唇を噛み締めると、冷たくなった手でハンドルを強く握り締めた。
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