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律と一楓 「発覚」

 晴天に恵まれた学祭本番。  学校全体は活気に満ち溢れ、一楓達クラスの唐揚げも大評判だった。  次から次へと舞い込む注文に調理は追い付かず、油を張った鍋の前で一楓は汗だくになっていた。  裏方で奮闘していると、「交代の時間だぞ」と、接客を終えた律が迎えに来てくれた。  けれど目が合った瞬間、眉間にシワを刻まれてしまった。 「何、律。怖い顔して」 「お前大丈夫か? 顔色悪いぞ」 「平気、平気。もう出番は終わったし。何ならあと一時間はイケる」  息継ぎのように溜息をこっそり吐くと、腕をぐるぐると回して見せた。 「ならいいけど……。じゃ、約束だし、湊のクラスに行くか。執事カフェだろ」  ウェイター姿は湊に似合いそう、などと話しながら、二人は一階下にある湊の教室へ向かった。  廊下は生徒や保護者で溢れ、人熱(ひとききれ)の中、一楓は一瞬で律の姿を見失ってしまった。  慌てて頭ひとつ飛び抜けた背中を探し、必死で後を追う。  律の背中を見失うまいと、行き交う人山に苦労していると突如体が重く感じた。  倦怠感と眩暈が、忍足で近付くのを感じる。  覚束ない足取りのまま階段の降り口にやって来ると、雑踏を抜けて安堵した瞬間、廊下を駆け抜けて来た誰かとぶつかった。  ヤバい、落ちるっ──。  そう思った瞬間、バランスを崩し、階段の上段から足を踏み外した一楓の体は、転がるように踊り場まで勢いよく堕ちて止まった。 「危ない!」「きゃーっ!」「おいっ、人が落ちたぞ!」  全身が毒に浸ったようにピクピク痺れ、頭から下半身まで鋭い痛みを感じた。  それでも朦朧としながら、体を動かそうとした。  なのに指一本すら動かない。  ボヤけた視界で律の姿を探したけれど、もう、自分の意識が遠ざかっていくのがわかる。  律……。り……つ……。         ****  一階で友人といた律の耳に、悲鳴が届いた。  何事かと階段を見上げると、騒然とした空気が踊り場を取り巻いている。  ふと、一楓の姿が見えないことに気付き、嫌な予感を払拭するよう、階段を急いで駆け上った。  群集を押し退けて辿り着くと、物見客の隙間から見えたのは力ない指先だった。 「一楓っ!」  名前を叫びながら人だかりをかき分け、一楓のもとに駆け寄ると、ぐったりしている体を掬いあげた。 「しっかりしろ! 一楓!」  一心不乱に呼びかけると、「うう……ん」と小さな呻き声を上げた。  瞼がわずかに痙攣したが、その目は開かれることなく、律の腕の中でぐったりとして動かなくなった。 「だ……誰か、誰か先生呼んでくれ! 早く、早く、早くっ!」  恐怖と悔根が全身を震えさせ、律はなりふり構わず大声で叫んだ。  尋常じゃない声を聞き、誰かの走って行く足音を聞きながら、律は祈るように一楓を抱き締めていた。         **** 「一楓君! 大丈夫?」  駆けつけた叔母が血相を変えて、外来処置室に飛び込んで来た。 「おばさんっ。す、すいません、俺……」 「階段から落ちたって……ここ打ったの?」  青ざめた顔で、包帯の巻かれた頭をそっと撫でてくれる。 「大丈夫です。ごめんなさい、心配かけて……あの、仕事は……」 「そんな事いいのよ! それより──」 「軽い脳震盪みたいです……さっき、MRIってのやってました」  ベッドの傍にいた律が立ち上がって会釈すると、検査の結果と症状を一楓の代わりに説明してくれている。 「……あなたは?」 「あの俺、一楓の……友達で繪野律です」 「ああ、一楓君の話によく出てくるお友達の──。今日はありがとう、この子に付いててくれて」  叔母が、律に深々と頭を下げている。 「いえ……あの、それより医者が話あるって言ってましたよ」  律の言葉と同時にドアが開き、看護師が処置室へとやって来た。 「あ、村上君の保護者の方ですか?」 「は、はい」 「検査の結果をお伝えしますので、外来診察室にお越しください」 「分かりました。じゃ、一楓君、おばさん話聞いてくるね」  そう言い残し、叔母は看護師と共に部屋を後にした。  ベッドから起きて叔母を見送ろうとしたら、まだ寝とけと律に制され、一楓は大人しく布団をかぶった。 「律、ごめん。俺また……」 「俺もごめん、気付かなくて……。俺がちゃんと側にいたら、手を繋いでたらよかった」 「ううん、律は悪くない。俺がトロいから。それにせっかくの学祭なのに、俺のせいで楽しめなくって。律もみんなも頑張ってたのに。湊君も、怒ってないかな……」  布団から半分顔を覗かせながら、一楓は申し訳なさそうに呟く。  湊の吊り上がった目を想像してしまい、次に会うのが怖くなった。 「そんなのいいんだよ。学祭は来年もあるし、それに湊もちゃんとわかってるよ。お前を自分の親の病院に連れてけって救急の人に言ってたしな」 「……そっか。心配してくれたんだ、湊君……」  常に湊から感じる酷薄な印象を拭えずにいた一楓は、正直戸惑っていた。  普段の彼から向けられる敵意や、亮介をけしかけた時の顔は、今も記憶に鮮明だった。  自分を心配してくれる顔を描いても、どうしても結び付かない。  湊の心の中で蒼く燃える焔は、一楓も持つ『嫉妬』だ。  律を独り占めしたくて、邪魔な人間を燃え尽くそうと揺らめいている炎。  それなのに敵視する相手を、親の病院に運ぶよう言ってくれたことが信じられない。  湊を脅威に感じても、素直に感謝すべきだと、言い聞かせる。 「痛むか……」  優しい声に視線を向け、「大丈夫」の返事と同時に叔母が処置室に戻って来た。 「あ、おばさん。俺もう帰れ──」  起き上がりながら声をかけた一楓は、言葉を詰まらせた。  叔母の笑顔が僅かに引き攣り、一楓と目を合わさないまま、「帰ってもいいそうよ」と、一楓のカバンを手にしている。  明らかにさっさと様子が違う。  ふと、一以前聞いた医者の話を思い出した。  検査結果表に書かれた文字のどれかが、彼女を憂苦にしているのかもしれない。  なぜだか、そう悟ってしまった。 「……わかった、支度する」  律にジャケットを手渡され、いつも通りに普通を装った。  心臓が騒いでも、大したことないと自分に言い聞かせた。  立てるかと、差し伸ばしてくれた優しい手を、平気だよと言って遠慮した。  ちゃんとしてる、ちゃんとできてる。  律に心配させないように。  叔母さん達に心配かけないように。  俺の体は、何ともないのだから……。

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