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律と一楓 「願い」
茜色に浮かぶ雲が船影のように見えて、ふと、一楓を迎えに来たのかと考えてしまった。見えない先を思い悩む余り、そんな幻影を作って馬鹿なことを考えてしまったと、律は自分を責めた。
「どうしたの、律。何かあった?」
元々細身な体が一層痩せ細り、陶器のような肌からも瑞々しさは失われていた。
生命を酷使する一楓の方が辛いのに、心配気に律の手を握り締めてくれる優しい眼差しが痛い。
律の願いを湊は叶えてくれた。
湊と交わした暗々裏 な約束は、呼び出される度に遂行され、もう片手では足りないほど繰り返している。
この罪を一楓に悟られないよう、律は寝不足かなと、苦しい嘘を吐いた。
パジャマの布さえ重そうな腕で頬に触れてこようとする手を引き取り、律は指先に口付けた。
一楓のためなら何だって出来ると湊と体を重ねたくせに、不本意な温もりを上書きするように一楓の肌に何度も触れてしまう。
一楓がいないと生きていけない。
一楓の命を諦めたくない。
願いを込めて見つめても、返される眼差しは、いつかやって来る別れを知っている。
一緒に未来を生きることは出来ないと、覚悟する瞳が悲しすぎる。
「一楓、俺──」「律、お願いがある──」
二人の言葉が重なった。
いつものように譲ろうとする一楓を静止し、「頼みって?」と初めて一楓を優先することが出来た。
「俺、律の弓道してる姿が見たい」
「え? ど、どうして?」
唐突な言葉に律は狼狽えた。
弓道はもうやめたのに……。
「だって、弓道してる律が一番好きだから」
奥ゆかしく言う一楓に、「で、でも、外出は無理じゃないかな。外寒いし」と、焦って声が詰まる。
「外出許可もらうよ。それに区の道場だったらここから近いし」
「で、でも……」
「最近調子いいんだ。抗がん剤を休薬してるからかな」
休薬──。
その言葉の意味を、律はネットで調べていた。
家族でもない律に、治療計画や症状を医者から聞くことはできない。
一楓が入院してから、律のスマホの履歴は、悪性腫瘍や転移、再発などと言った物々しい単語ばかりになっていた。
検索する度に出てくる、見知らぬ人間の回答に何度も腹が立ち、落胆もした。
症状が思わしくないのは、一楓を見るだけで素人でも分かる。
髪が抜けてしまった代わりに、ニット帽が一楓の髪を担っている。今日のは、藍染のような深い紺色。白い肌に似合っているけれど、もっと明るい色を選べばよかったと後悔した。
「……そうだな、先生がいいって言ったらな。そしたら道場一緒に行こう」
満足げに頷きながら、精一杯の力で握り返してくる折れそうな指。
律の願いは一楓を幸せにすること、願いを叶えてやることだ。
悲しくても苦しくても、涙は絶対に見せない。苦しいのは一楓の方なんだから。
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