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声にもならない想い
「一楓、久しぶり。お前の好きなガーベラ持って来たぞ」
高台にある一楓と彼の両親が眠る場所に、律は一人で訪れていた。
加賀美のお陰で、何とか平静を保つことは出来たけれど、大学では一切、湊とは会わないようにしている。
顔を見ればきっと、胸ぐらを掴んでしまうかもしれないからだ。
「俺、一楓に謝らなきゃいけない……。お前が一人で苦しんでたのに、俺は何も気付かなくて……ごめんな」
墓の前に腰を下ろすと、目の前に一楓がいるように優しく語りかけた。
「俺はいつだって一楓を守りたいと思ってた……。なのに気付いてもやれなかったなんて……」
何年経っても名前を呟くだけで、心は簡単に過去へと引き戻される。
今でも幻影を求め、手を差し伸べて、何も掴めないことに涙が流れる。
そんな脆い心のままの自分が情けなくて、また涙が溢れる。
弱い自分の繰り返しだ……。
「俺は一生お前だけだ……お前しかいらない。俺が逝くまで待っててくれよな」
誓いのように優しく墓石を撫でた。
冷たい肌に触れながら、焦茶で柔らかい髪の感触を思い出す。
ふわふわとした半円を描く癖っ毛を指先に絡ませると、いつも一楓は嬉しそうに微笑んでくれた。
忘れたくても、忘れられない。
声にならない想いを伝えたくても、もうその相手はいない……。
会いたい、触れたい。
一瞬の幻でもいいから、一楓に会いたい。
胸が張り裂けて、切なさで押しつぶされそうになったとき──
「リッくん?」
遠くから幼い声が聞こえた。
律をそう呼ぶただ一人の顔を浮かべると、慌てて目頭を拭って「美羽ちゃん」と、振り返って呼んだ。
視線の先には、久しぶりに会う懐かしい少女が手を振っている。
少し離れたところで亮介の母親が会釈するのが見えると、律も深々と頭を下げた。
「リッくん、元気だった?」
律の元へ駆け寄った美羽の顔は、輝くばかりの笑顔だった。
「元気だよ、美羽ちゃんは叔母さんと来たのか」
「うん。今日はお兄ちゃんの月命日でしょ? それに私、お兄ちゃんに伝えたいことがあったから連れて来てもらったの」
少し大人っぽくなった、屈託のない笑顔で話す美羽を見て、律は気持ちが救われる気がした。
「へえ、一楓に何を伝えるの?」
律にそう問われ、照れ臭そうに美羽が体をくねらせると、小さな手のひらで手招きしてくれる。
内緒話だと汲み取り、律は彼女の背丈に合うよう前屈みの姿勢になった。
「あのね……絵画展で金賞とったの」
雛鳥の羽のような声で耳元に囁かれた。
「すごい! すごいな、美羽ちゃん。一楓もきっと喜んでるよ」
「そっかな。だったらいいな。お兄ちゃんいつも美羽の絵を褒めてくれてたから」
「絶対喜んでるよ。美羽ちゃん、その絵って見れない?」
「絵は展示してるけど、写真ならあるよ、ほら」
スマホの画面を差し出され、律は一枚の絵に目を奪われた。
「これ……」
「お兄ちゃんとガーベラ。お兄ちゃん、このお花が好きだったから」
画面には優しく微笑む一楓らしき横顔の周りを、色彩豊かなガーベラが一面に描かれていた。
「……綺麗だ、よく描かれてる。一楓、まるで生きてるみたいだ」
「リッくんはそう言ってくれると思った。今日もお花、ガーベラだね」
供えられてるオレンジや赤の揺れる花びらを、美羽も愛おしそうに眺めている。
「美羽ちゃんもだろ」
お互い見つめ合うと、自然と笑顔が溢れた。
「そう言えば、もう一人のお兄ちゃんのお友達も、よくガーベラ持ってお見舞いに来てくれたよね」
「え、もう一人?」
持って来た花束を供えながら、美羽が言った。
「うん、でもいっつも自分でお兄ちゃんに渡さないんだ。私や看護師さんに頼むの」
「美羽ちゃん、それって誰かわかる?」
「うーん、名前は分かんないけど看護師さんが言ってたよ、病院の偉い人の子どもって」
美羽がそう伝えると、静かに手を合わせ、大好きな兄との会話を楽しんでいる。
病院の……それって湊のこと……。
初めて知ったもう一つの湊の顔。それは一楓を嬲 っていた人間とはまるで別人に思え、律の心を波立たせた。
二つの顔に錯綜していると、「じゃ、行くね」と、美羽が律に別れを告げて去って行った。
一人残された律は足に根が生えたように、その場に立ち竦んでいた。
「湊が……花……?」
美羽の言葉の矢が、トスんと胸に刺さる。
痛みを感じているのに、それを抜いて傷口を確かめることが出来ない。
裏切りと愛情をないまぜにされ、律は胸を掴んで空を見上げた。
水縹 色に一楓の笑顔が蘇ると、秋を匂わす風が律の髪をそっと揺らした。
萱の群れを優しく撫でていく風が爽籟 のように渡り、大好きな声が耳元で囁いたように感じる。
「もう、許せって言ってるのか、一楓……」
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