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 大学の食堂で、律は珈琲を飲みながらスマホのフォルダーを開いた。  美羽がくれた一楓の絵に、自然と口元が綻ぶ。  でも同時に思い出すのは、湊のことだった。  ガーベラを手にした湊を想像しようとしても、怒りや憎しみの方が勝ってその姿がボヤける。  なぜ、湊は一楓にあんなことをしたのか。  亮介が一楓を従兄弟以上に思っていたことはわかった。  歪んだ感情だったけれど、わかりたくもないけれど、一楓を好きで、でも、手に入らなくてあんなことをした。  だったら湊は?   単純に、友達の気持ちに加担しただけなのか。それとも──   「俺が、悪い……のか……」  湊からの気持ちを薄ら知ってて、友達として扱ったからか。だから、湊は腹が立って一楓にあんなことをしたのか。  それなら、あの動画の中の一楓が受けた屈辱や、裏切りは全部、全部──  俺のせい……  俺ががちゃんとしなかったからか……。  テーブルに突っ伏すことで、できた闇に顔を埋めると、叫びそうな口を塞ぐために自分自信の手を噛んだ。  二人がかりで陵辱されたうえ、癌に侵されてしまった。  治療費がかかるからと、数回だけの抗がん剤を試したけれど、高額なくせに効き目が得られず、副作用に苦しんだ挙げ句、一楓は死んでしまった。  緩和ケア、なんて聞こえのいい治療法に思えるけど、蓋を開けてみれば何もしない。  痛いところがあったり、苦しいときに麻薬の類いのキツい痛み止めを使うだけ。  あとは食事の代わりに点滴を打つくらいの、本当の無治療だ。  湊は最後まで一楓を病院にいさせてくれた。 条件を出されたけれど、一楓は清潔で静かな場所で最後を迎えられた。  それは湊のおかげ……?  けれど、またあの動画が思考を妨げる。  同じことを考えて、堂々巡りになって。  結局、悪いのは自分だと責めてしまう。  憂苦な気分で顔をのそりと上げると、律は中庭を眺めた。すると、人の気配を感じ、横を見ると見たことのある学生が立っていた。 「あ、ご、ごめん。繪野君、今いいかな? この間のグループ課題の事で相談があるんだけど……」  同じ講義を取っている同級生だ。  名前はなんだっけ……あ、そうだ── 「えっと、東雲(しののめ)だよな? 何か問題でもあったか?」 「あ、うん。ちょっと……。その、今日の夜って、大学に来られる……?」  挙動不審な彼の名前が正解だったことに律はホッとし、スマホで時間を確認した。 「何時? バイト先に顔出した後でもいいなら構わないけど。七時くらいになるかな。遅いか?」 「だ、大丈夫。じゃあ、その時間に図書館で。先生には夜間の使用申請出してるから、他のみんなにも僕から伝えておくよ」 「わかった、じゃまた七時に」  課題の何が聞きたかったのか聞きそびれたが、「ま、いっか」と呟きながら、引き寄せられるようにスマホの一楓に目を向けた。         **** 「あ、あのぉ、刑事さん……ですよね?」  常磐大学の事務局を訪れていた門叶は、喫煙所に行ってしまった錦戸を中庭で待っていると、一人の学生に声をかけられた。 「君は?」 「……僕、東雲って言います。ちょっとお話したい事があって」  おとなしそうな学生が、刑事を前にわかりやすく緊張した面持ちで佇んでいる。 「話したい事って、事件のことかな?」 「……いえ。でも僕、ちょと気になることがあって」 「そう。わかった、聞かせてくれる?」  門叶はベンチに腰掛けると、彼にも座るよう促し、胸ポケットから手帳とペンを出した。 「えっと今日、僕はある人を大学に呼び出すよう頼まれたんです」 「ある人? それは誰を呼び出すよう、誰に頼まれたのかな?」 「……繪野君です。今日の七時に図書館に来るようにって、糸峰さんから伝言を頼まれたんです」 「繪野……君と、糸峰さん?」 「はい、繪野律君と、糸峰佳乃子さんです」  何故その二人が?   まずその言葉が門叶の頭に浮かんだ。  二人に同級生以外の接点はないのに。 「東雲君は何故それが気になったの? 学生同士で、しかも男女なんだ。二人で話したいことでもあるんじゃないのかな」  口ではそう言いながらも、門叶の頭には疑問符が占めていた。  律はともかく、糸峰の名前が出たことが気になる。 「そ、それはそうなんですが、糸峰さんが自分だと言うなって。それに……」 「それに?」 「それに、糸峰さんが好きなのは鷹屋敷君だから、どうして繪野君なのかなって……」 「みんなの間では、彼女が湊君を好きなこと有名みたいだね」 「はい。だから不思議で……。自分で言わないのも何でかなって」  自分の発言が告げ口になると思っているのか、糸峰に何か弱みでも握られているのか。東雲から滲み出る弱々しい性格は、つけ込まれやすいのかもしれない。 「もしかしたら、鷹屋敷君のことで頼み事でもあるとか」 「でもっ! でも、僕、前にも頼まれたことあったから、糸峰さんに」  言葉足らずの東雲が、食い気味に門叶の言葉を遮った。  「前にも?」 「はい。前にも糸峰さんに、呼び出して欲しいって頼まれたことあって……」 「その時も繪野君?」 「いえ、前は此本さんでした」 「えっ! こ、此本さんって……」  思わず門叶は声を張り上げると、東雲へと前のめりになっていた。 「い、いつ。それはいつ頃だった?」  喉仏がなるほど生唾を飲み込んだ。  自分の心臓の音が聞こえる程に、高揚している。 「な……亡くなった此本さんが見つかる前日……です」  全身の力が抜けると、門叶はベンチの背もたれに寄りかかった。 「そうか……そうなんだ。で、今日も君はまた頼まれたんだね、糸峰さんに」 「はい……。僕なんだか怖くなってしまって。刑事さんの姿見て、話さなきゃって……」  戸惑う東雲の手を取り、門叶は深々と頭を下げた。 「ありがとう! 良く知らせてくれたね。今日の七時だね」  僅かな光明を感じながら門叶は東雲にもう一度礼を言うと、錦戸の番号を画面に呼び出した。

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