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第6話
「あれ、これ三組の吉澤の声じゃね?」
昼休み。高等部の教室の片隅で、食事の時間をともにしていた友人の一人が、不意にそう言った。喧騒で溢れかえる中、かじっていたパンを片手に、耳を研ぎ澄ます。
間違いない、吉澤だ。あいつの声が、校内放送を通して流れている。
「これって毎日この時間に放送部がやってる、ランチタイムラジオじゃん。一曲だけリクエストに応えるやつ」
「じゃあ吉澤って放送部に入ったん?」
「俺はそう聞いてる」
答えると、へえ、と友人二人は感嘆の声をあげた。スピーカーの向こう、澄んだ声は続いている。
こんにちは、生徒のみなさん。ごはん、しっかり食べてますか。我が校の購買で一番人気のからあげパン、無事ゲットできた人、おめでとうございます。今日はきっとラッキーな一日になるでしょう。
ちなみに今日、私はコンビニでおにぎりを買いました。鮭のおにぎりが食べたかったのに、いざ食べようとしたら具なしの塩むすびを間違えて買ってしまってたんです。
具のないおにぎりは気分じゃない。なので現在、私におにぎりの具になるものを分けてくれる、やさしい人を募集しています。
さて、あなたは今、どんな具を分けてあげようと思いましたか。
馴染みの具。斬新な具。意外な組み合わせだけど実はおにぎりに合うよ、なんて具を思った人はいませんか。
もう一度言います。私は、待っています。
それでは、昨日いただいたリクエストより、今日のための一曲を。
放送部一年、新人パーソナリティの吉澤直人 がお届けしております、このランチタイムラジオ。どうぞゆっくりとお昼のひとときをお過ごしください。
アコースティックギターの旋律に合わせ、まるで弾き語りのようにボーカルの声が流れ始める。友人たちは、すげえ、やるじゃん、と吉澤の健闘を称えて拍手する。
二人は中等部のころに、吉澤と同じクラスになったことがあるらしい。俺がこの二人と交友を持つようになったのも、吉澤が間に入る形で縁を繋いでくれたからだ。
もしも吉澤がいなかったら、この二人と深く関わることなんて一生なかったかもしれない、とすら無情にも思う。
「吉澤ってもともと話しやすいやつ、っていうか話のうまいやつだなって思ってたけど、パーソナリティ合ってるわ。びっくり」
吉澤が放送部に入部してから二ヶ月ほど経っていた。目立つことはすぐにはやらせてもらえないっぽい、と吉澤は見習い期間を憂いていたが、まさか唐突にこんな日がやってくるとは。
この二ヶ月の間、あいつは俺に隠れて、多くの練習を重ねていたのかもしれない。
「田所は入部のこと知ってたんだろ? なんでまた放送部」
「先輩に誘われたらしい」
「あ、そうなん」
「それそれ、なんかぽいわー」
「自分からやりたい、って言いだした部活はなかったんよ、吉澤って」
エレキギター、ベース、ドラム、と続々とバンドという温度が加わり、音楽は一気に物語味を帯びていく。
曲に後押しされるように、止まっていた手を動かして俺はパンを頬張った。
吉澤が同級生の中である種の有名人だということは、知り合ってから半年もすればわかることだった。みんなのニュアンス的に、名誉というよりは不名誉なほうで有名だということも。
その原因は、部活動の継続性のなさだ。大方の生徒は、一度入部すれば卒業まで継続する。しかし吉澤に至っては水や牧草を求めて旅する遊牧民のように、求められたら入部して、短期間での退部を繰り返している。あいつが入ってきてもどうせすぐ辞める、と真面目に指導すらしない先輩たちまでいるらしいが、そんな彼らの言い分を理解できないわけではなかった。
でもそんな吉澤が、俺の誘いだけは断った。
これでよかった、とひどく安堵している反面、どうして、という思いも拭いきれない。断られたという現実が、致死性の毒みたいに今になって、じわじわと俺に効いた。
友人たちの話はとっくに次の話題へと移り、吉澤の存在なんてなかったかのようにふるまっている。
口の中のパンを強引に牛乳で胃袋へと流しこんで、すがるようにスピーカーへ視線を向けた。
曲が終わる。吉澤の声は聞こえてこない。
*
「田所なら来てくれると思ったのに」
その日の放課後、吉澤は迷いこんだ猫のように美術室に現れた。相変わらず窓の外から、俺が流し台に立つタイミングを見計らったように話しかけてくる。
そんな日々が続いているからだろう、さらにそのタイミングを見計らって、美術部員たちが次々と吉澤に話しかける。それが近ごろのお決まりの流れになっていた。
外からじゃなく、吉澤なら部屋に入って見学してもいいよ、とか。吉澤先輩、今日の放送最高によかったっすよ、とか。リクエストしたい曲があるんだけど、とか。そのひとつひとつを、取りこぼすことなく対応する吉澤の意識が俺から逸れている間に、背後をそっと一瞥した。
さきほどまで刷りを重ねていた合板は、部屋の端で乾燥させるために立てかけてある。吉澤の視界には入らないことを確認してから、俺は再び蛇口をひねる。
「あのさ、俺、答えもらってないけど?」
部員たちの波が引き、室内全体の空気が凪いだところで、吉澤が真面目な顔で言った。なんのことだ。顔に跳ねた水をぬぐいながら、淡々と問い返す。
「おにぎりの具の話だって」
「ああ、今日の放送の」
「ランチタイムラジオ。ほら、田所ならなにを俺に分けてくれる?」
「なにを、と言われてもな。俺の今日の昼はパンだった」
パンのかけらを具として渡せばよかったのか、と茶化せば、それでよかったよ、と返ってきた吉澤の声は真剣そのものだ。
「……いや。よくは、ないだろ」
おまえが本当に食べたかったのは、鮭のおにぎりだったんじゃないのか。
思わずたじろぎそうになる俺を見て、吉澤はようやく表情を和らげた。蛇口を締める。筆の水を払い、手を流し台の上に添えた。
吉澤からの問いの答えを、考えなかったわけじゃない。むしろ真剣なほど考えた。
しかしいくら考えたところで、吉澤の思う「正解」なんて見えてくるはずもない。俺は俺で、吉澤は他人だ。
再び吉澤と向き合う。半ば自棄になりながら、たどり着いた答えを口にする。
「俺だったら、吉澤が本当に食べたかったものを買いにいく。一緒に」
目を軽く見開いたと思った途端、吉澤が「やば」と声を震わせたのがわかった。
腕で顔をたちまち覆い隠してしまう。かろうじて見えるのは前髪の隙間から覗ける、吉澤の丸い瞳だけだ。
地雷に触れたか、と足の先からじわりじわりと焦りが迫ってくる。そんな俺をよそに、吉澤はしばらくしてから「すごいよ」と絞り出した。
「……おまえさあ、すごい、って人からよく言われない?」
「おまえぐらいだ。すごい、って言うやつは」
まじで言ってる? こんなにすごいのに? ああ、まじだ、まじ。吉澤を受け流しながら、タオルで手を強くぬぐった。
「それでどうする。今日コンビニへ一緒に行くのか?」
「……行く」
吉澤にしては珍しいほど直球な言葉に、俺は苦笑することしかできなかった。
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