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第7話
無音が嫌なわけじゃない。ただ最近は、背後に冷たく寄り添うプレッシャーから逃げるようにラジオを流す自分がいる。
本社ビルのゲートを、入社してすぐに与えられたIDカードで解除しながら進む。その足取りは、月曜の朝の空気を吸って、いやに重い。
ラジオを止める。イヤフォンを外したタイミングで「はよーっす」と重力を無視したような声が背後からかかる。
振り返るまでもなく、営業二課の高橋だった。
襟足を短くし、清潔感を残しながらも、空気を含ませたような柔らかなヘアセットは、スーツの着こなしもこだわる高橋らしい。
「ああ、おはよう」
「田所ちゃんの堅い顔、多分いつも通り、チェックよーし」
指差し確認をする高橋とともに、階段をのぼる。
本社ビルは八階建てだ。営業課のある三階までは階段の利用を推奨され、四階のフロアを目指す俺は、少しでも運動量を増やすために使うことにしている。
「安全チェックか」
「違う違う、安心チェック。田所ちゃんの顔がいつも通りだと、いろいろ安心する人たちもいるってこと。てか、今日出勤早いね? いつもこの時間だっけ?」
「今日はNプロの情報会議がある」
「あれか。東都昇降機初の大規模プロジェクト」
「それまでに報告書の最終チェックをしておきたい」
「おー田所ちゃんってばシゴデキー」
同期ということもあってか、それなりに付き合いが長くなってきた高橋は、出会ったときからこんな調子だった。
飄々としているように見えて、観察力は人並外れている。情報網を常に張り巡らせ、案件を掴んだときにはすでに顧客の心を掴み終えた後だ。そうして次の仕事に繋ぐための足掛かりへと変えていくことすら、高橋は機微を読んで、うまくやる。
とある下請けとゼネコンの折り合いがつかず、難航していた案件を、高橋が好条件で横取りしてきたときなどは、さすが、と舌を巻いたものだった。
そんな営業スタンスを貫く高橋に、まるで鷹だと評価したのは、吉澤だったか。
「デカい案件が動くっていうのに、田所ちゃんのスタンスはブレないねー。いいよね、そういうの」
高橋の軽口に、そりゃあどうも、と肩をすくめた。スタンスのブレなさは、高橋もだろうに。
「吉澤くんのほうはもうずっとピリピリしてたよ」
「俺だって実際は似たようなもんだ」
毎日ラジオを聞いてしまうほどには。その言葉を音にすることなく、腹の奥底へと沈めた。
あらまあ。高橋はわざとらしく驚いている。
「まあ、ピリピリするのが普通か。五十階建てタワマンのエレベーターをうちが担当するなんて、創設以降初めての規模だから」
上階から降りてきた人を避けながら、高橋は会話を続ける。
「吉澤くんはもう少し、力の抜きどころを覚えたらいいのにね」
「高橋はそのへん、上手くやりそうだな」
「そうでもしないと続けられないし。でも俺、吉澤くんの土俵際の踏ん張りと、焦ったときの機転の速さはすごいと思うから、適度に追い込まれてたほうがいいのかなって思うときもあるけど」
「やめておけ」
唸るように言えば、高橋は「本当だ。田所ちゃんも、ちゃんとピリピリしてる」となぜか楽しそうに笑う。
「ま、いろいろ冗談として。田所ちゃんの前だと吉澤くんはリラックスできるっぽいし、社運かけたプロジェクトを頓挫させるわけにもいかないからね」
んじゃ、うちの吉澤を最後までよろしくー。営業課のある三階に到着し、高橋がフロアへと躍り出ていく。
これは、ますます逃げ場のないプレッシャーだ。
四階へと続く階段を踏みしめながら、細く息を吐いた。
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