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第14話

 相変わらず仕立てのよさげなスーツに身を包み、そのてっぺんに佇むヘルメットがやけに高橋には不釣り合いに映る。 「ごめん、高橋。田所とちょっと話しこんでた」  吉澤が軽く手をあげ、そのままシャフトから出ていく。 「いいよ、別に。俺のほうから、ほかの場所も見学したいって言い出したんだし」 「ここの現場所長、気のいい人だろ?」 「俺のために見学ツアーまでしてくれたしね」 「……今日は二人で来てたのか」  シャフトから出た後、そう問いかけた俺に、二人分の視線が一斉に注がれる。 「そうそう、挨拶まわり。北村課長も吉澤くんも忙しいからね、俺が課長のかわりにここの営業補助として入るんだよ」 「高橋も十分忙しいだろ。大丈夫なのか」  心配の目を向けると、高橋はうれしそうに口角を持ち上げた。田所ちゃんはやさしいね。その台詞を聞きながら、吉澤は深くため息をつく。 「営業のやつら、だれもそんなふうに気遣ってくれないよ? 仕事押しつけられるだけ、押しつけてくんの」 「気遣いは営業スキルとしか思ってないやつに、いちいち気を遣うだけ損だし」  吉澤の反論に、違う違う、と高橋が首を振る。 「スキルのひとつ、なんかじゃなくて、課内で気遣ってたら仕事が回らないって思ってるだけ」 「仕事を円滑にするために、気遣いこそ必要なんだろ?」 「でもそのせいで、吉澤くんはいつも気疲れしてるよね? 俺たちが頑張らなきゃいけない場所は、会社の外でしょ。そろそろ認めようよ。人間、なにごとも素直が一番だって」  田所ちゃんもそう思うよね。突然、矛先を向けられた。人を試すような物言いをするのは、高橋の悪い癖だ。からかってやろう、と試すんじゃない。自分の言動によって生まれる反応そのものを観察して、楽しんでいる。  視界の端で、吉澤がこちらをじっと見ているのに気づいた。視線を向ければ、気まずそうにゆっくりと目を伏せてしまう。 「……俺は、どちらの言い分もわかる。だが吉澤が疲れて見えるのなら、方法を少し変えてみるのは有りかもな」  そう来るんだ、とでも言いたげに高橋が目を細めた。吉澤のほうは今度はわずかに苛立ちを乗せて、短く鼻を鳴らす。二人の会話が、淀むことなく続いていく。 「ほら、田所ちゃんは高橋派だよ」 「なんだよ、高橋派って。っていうか前々から気になってたけど、なんで田所のこと『ちゃん』付けすんの?」 「なんでだと思う? 気になる? 教えてほしい?」 「……高橋に頼み事するのだけは、絶対ヤダ。おまえ、今、鷹の目になってるもん」  三人で話すと、大抵俺は聞き役だ。  この二人といると、特に実感させられる。達者なほど口が回らなければ、緊張を伴う交渉の場ではなにひとつ言えずに終わっていくだろう。  しみじみと、俺に営業は向いていないな、と認識を改める。 「さて。ここで立ち話もいいけどさ、そろそろ行かないと。次、佐々木さんの現場でしょ」  高橋の言葉に、ハッとしたように吉澤が肩を揺らす。そうだった、ごめん。 「佐々木さんは吉澤くんのこと気に入ってるから、終業間近に行っても怒らないかもだけどさ」 「いや絶対怒るよ、あの人」  怪訝な顔をして呟く吉澤を差し置き、田所ちゃんもごめんね、と高橋が眉を下げる。 「長くお邪魔しました。また今度俺たち三人で飲みにいこ」 「ああ、いいな、それ」  高橋の後、うれしそうに続けたのは吉澤だった。 「同期会、しばらくやってなかったし。田所はどう?」 「都合があえば、いつでも」  また計画して、連絡するから。そう告げる吉澤に、俺は静かにうなずいた。 「ふたりとも、気をつけろよ」  慌ただしく去っていくスーツ姿の背中に声をかけた。高橋は薄く笑い、吉澤は俺に手を振りながら遠ざかっていく。  未練がましい自分に苦笑しながら、あいつの残像を断ち切ろうと強引にまぶたを閉じる。  冬の鼻先を感じるような冷たい風が、現場の奥深くまで強く吹きこんできた。  *  それから数週間も経たないうちに、同期会の話はまとまった。  フットワークの軽さでは、誰よりも高橋に軍配が上がる。  やると決めた高橋の行動は、早い。  日程も予算も店も、いつも高橋が事前に候補を絞ってくれる。絞りきれなかった候補は選択肢として提示して、俺と吉澤が選んで決める。これが同期会のいつもの流れだ。 「ねえ、今日雨降る?」  混雑した駅からようやく抜け出したところで、高橋が言った。見上げると確かに、夜空の中には厚い雲の層が混ざっている。  仕事終わりの金曜。TSEのエントランスで待ち合わせして、俺たちは三人そろって電車で移動した。最寄り駅から徒歩十分ぐらいの場所に店はあるという。 「俺、傘持ってきてない」  吉澤が空を眺めながら、ぼんやりとした声で答える。やっぱりか、と思ったがちょっとしたことで吉澤と口論になる高橋がいる手前、言うのはやめた。  普段は忘れものをしないのに、なぜか傘はたびたび忘れる吉澤を、よく部活の帰りに拾ってやったものだった。ひとつの傘に男二人で入るのはあまりに狭く、結局服もリュックもずぶ濡れだった。あまりの濡れネズミっぷりに見かねて、実家に招いたこともあったはずだ。 「降るといっても深夜から、らしいな」 「今調べたの?」  吉澤が俺に訊ねる。わざわざ振り返るので、前を向け、と指摘してから、問いかけに答えた。昨夜、ラジオで聞いたんだ。  へえ、なんか意外、と抑揚のある高橋の声がすかさず流れてくる。 「なんでまたラジオ?」  笑みを崩すこともなく、高橋が言う。

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